- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003322215
作品紹介・あらすじ
天下国家の政治もその根本は一身の修養にあることを説く『大学』。人間の本性とは何かを論じ、「誠」の哲学を説く『中庸』。朱子によって『論語』『孟子』とともに四書の一つとされた儒教の代表的な経典。本書では、朱子以前の古い読み方を探求して、両書の本来の意味を明らかにすることを主眼とした。朱子の『大学章句』等を併収。
感想・レビュー・書評
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儒教の基礎と極意がセットになったお得な本。
儒教の有名どころは一通り読んでので再読。
大学は儒教を学ぶ者がすべきことが簡潔に書いてあり、
中庸には最終的に目指すべき人物像が書いてある。
大学は分かりやすく、中庸は分かりづらい。
大学は修己治人の教えが一貫して説かれるが、
中庸は最初のうちこそタイトルの通りの内容だけど、
話があっちこっちに飛び、突然孔子と弟子達の問答になり、
著者による誠に関する説明が始まったりする。
誠というのはつまり意識しなくても善き行動が取れる事であり、
それが出来るような人は聖人と呼ばれるようになり、
意識して善き行動を取れる者は君子であり、
聖人である誠に至る事が最終目標だということだと思う。
人間である以上、そんな奴は居ないんだろうけど、
それを目指して頑張る事が重要なんだろうなあ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「大学・中庸」金谷治 訳注
儒教は一般に「修己治人」の教えだといわれる。「己れ自身を修める」道徳説と「人を治める」民衆統治の政治説とを兼ねた教説が、儒教だというわけである。確かに『論語』を読んでも『孟子』を読んでも、儒学思想というものは現実の社会的人間を第一の問題としていて、要するに道徳と政治を中心とする思想である。
『大学』の内容は、まず「大学の道は」という言葉で始まる。「大学教育の理想的なあり方とはどうあるべきか」というのが、巻頭で提示された問題である。そして、『大学』はその回答を最初の第一章で総括的に示しており、第二章以下はその第一章の項目を受けた解説となっている。そこで、『大学』の要点はその第一章を読むことによってほぼ明らかになるが、それは、己れ一身の修養を基盤として天下国家の統治を目ざすという「修己」と「治人」との組織的な連繋統一であって、それこそが大学教育の目的だというのである。
<連繋(れんけい)物事と物事、あるいは人と人との間のつながり。また、つながりをつけること。つながっていること。>
大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、輝かしい徳を身につけてそれを[世界にむけてさらに]輝かせることであり、[そうした実践を通して]民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。
<睦ぶ(むつぶ)仲よくする。>
ふみ止まるべきところがはっきりわかってこそものごとを正しく考えることができ、正しく考えてこそ[最高善に止まるという]目標も達成できるのだ。
ものごとには根本と末端があり、また初めと終りとがある。[そのことをわきまえて]何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、それでほぼ正しい道を得たことになるのである。
ものごと[の善悪]が確かめられてこそ、はじめて知能(道徳的判断)がおしきわめられ[て明確にな]る。知能がおしきわめられて[明晰になって]こそ、はじめて意念が誠実になる。意念が誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。一身はよく修まってこそ、はじめて家が和合する。家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。国がよく治まってこそ、はじめて世界じゅうが平安になる。
仲尼(孔子)はいわれた、「君子は中庸の徳を守るが、つまらない小人は中庸[の価値あgわからないでそれ]にそむくものである。君子が中庸を守るというのは、いかにも君子らしいりっぱなふるまいでいて、そのうえどんな時でもその場に応じて中でおれるからだが、小人が中庸にそむくというのは、いかにも小人らしいつまらない行動をとって、しかも[慎しみを知らない過激さで]何でもあたりかまわずやってのけるからだ」
先生はいわれた、「わかりにくいはっきりしないことをむりにさぐり出したり、風変りな奇怪なことを行なったりすると、[人の注意を集めて、]後の世にそれを誉めて受け継ぐものも出るだろう。だが、わたしはそういうことはしない。君子は道を規準として行動するものだ。たとえ[力及ばず]途中で挫折することがあるとしても、わたしには[道を守るのを]やめることはできない。君子は中庸に依りそってゆくのである。世間に背をむけて隠遁し、だれにも知られずに終っても悔いることがないというのは、これはただ特別の聖者だけにだきることだ。[それもわたしの望むことではない。]」
先生はいわれた、「学習好きなのは知の徳を育てることになり、実践につとめるのは仁の徳を育てることになり、わが身の恥を知るのは勇の徳を育てることになる」と。この[学習を好むと実践につとめるのと恥を知るのとの]三つのことをわきまえたなら、わが身を修めるその修め方もわかるだろう。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかるだろう。人の治め方がわかれば、天下や国や家を治める治め方もわかるであろう。
すべてのものごとは、あらかじめ事前によく考えておくとりっぱに成功するが、事前によく考えもしないで始めると失敗するものである。[たとえば、]何か意見をいうにも、それが前もってしっかり固まっているなら、途中でつまずくようなことはない。何が事業を起こすにも、それが前もってしっかり確定しているなら、途中で苦しむようなことはない。何か行動するときも、前もって計画が定まっているなら、途中でくよくよと迷うことはない。進もうとする道も、前もってよく考えて確定しているなら、ゆきづまって進めなくなるということはない。 -
大学に入ったら、一応一般教養として目ぐらい通そうかな、と思って買ったのですがいまでもなんとなく手放せない。大きさ、分量がちょうどいいからかもしれません。
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大学は、個人の修練が国家安寧にもつながることを説いている。中庸は、バランス感覚の重要性を中心に、勉学の仕方等について説いている。後者は自分の価値観の核にもなった。
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第84回アワヒニビブリオバトル「おすすめの1冊」で紹介された本です。
2022.03.21 -
開始:2022/10/3
終了:2022/10/6
感想
儒教の中心教理までの道のりは果てしない。たとえ頭で理解しても実践に移せなければ意味はない。まずは親を敬い、友達を大事にするところから。 -
『大学』『中庸』の本3冊目にして、ようやく全章収録の本に辿り着いた。さすが安心の岩波文庫。
『大学』部分では、全体解説と旧本の漢文・読み下し文、注釈と現代語訳、朱子『大学章句』の旧本と重複しない要素の記載がある。
『中庸』部分では、全体解説と漢文・読み下し文、注釈と現代語訳、朱子『中庸章句』序の訳註の記載がある。
全章載っているのがありがたい面を重々感じつつ、とはいえ解説・注釈が分かりやすいかというと個人的にはそうでもなかった。かといって全くわからないというほどでもない。
訳註の位置が章末ではなく、読み下し文と現代語訳の間にあるのが始め慣れなかったが、それで読む場所の迷子になりにくかったかも。 -
歴史で習った「四書」は『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』の順で学ぶべきという。本書はそのうち最初と最後を学べる。
大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善(大学第1章)
大学は、最高学府と大人の学びの意味を兼ね、まずは一身の修養が大事。
中庸は、その意味だけならさほど難しくもないが、
誠者、天之道也、誠之者、人之道也(中庸第11章)
という窮極の道が示されている。最後に学ぶわけだ。
今、露国の大統領に送りたい言葉があった。
一人貪戻、一国乱作乱(大学第5章)
「君主一人の身が貪欲(不譲)ででたらめ(不仁)であれば、国じゅうが争乱を起こすことになる(60p)」 -
大学は本当に参考になる
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2022.2.6 読了
四書五経のうち、大学と中庸について総花的に原著アプローチができる。細かい概念などは読み込んでいく必要あり。