- Amazon.co.jp ・本 (509ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003360170
作品紹介・あらすじ
ソクラテスは国家の名において処刑された。それを契機としてプラトン(前427‐前347)は、師が説きつづけた正義の徳の実現には人間の魂の在り方だけではなく国家そのものを原理的に問わねばならぬと考えるに至る。この課題の追求の末に提示されるのが、本書の中心テーゼをなす哲人統治の思想に他ならなかった。プラトン対話篇中の最高峰。
感想・レビュー・書評
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「正義とは何か、悪とは何か」を導き出すために、ソクラテスがその友人や弟子たちと対話していく話の、上巻。
これまで読んだ『ソクラテスの弁明・クリトン』と『パイドン』ではソクラテスの死の間際というタイミングであったのに対し、この国家は弁明・裁判から遡った時間軸になる。
そのためソクラテスの質問への回答や話しぶりではまだ悟りきったような部分がなく、それが故により親近感を湧きやすい。「死の直前」ならではの緊張感がないので落ち着いて読める印象がある。
「正義とは何か」、つまり「正しさとは何か」というのはテーマとして非常に難しい。人によって回答が違って当然と私には思われる。だからとてもこれと断言回答できない。
ソクラテスは、「正しい人間があるとすれば、正しい国家というものが分かれば、それを敷衍できる」といった論理で答えを探っていく。
では正しい国家とは何か。何がもっとも「良い」国家なのか。
理想の国家を定義するために、国家のサイズ、国家を構成する人々の仕事や役割、他国との関係性、婚姻や性交渉や出産育児、触れるべきOR触れてはならない音楽や娯楽の類などなど、微に入り細に入り最も理想的な国というものを定義していく。
この過程できっと紀元前当時の様々な生活様式、習慣、思想などの情報が現代まで残されてきたのだろう。貴重な情報源だ。
この理想の国家というのが、ソクラテスも上巻の終わり間際でいうように、実現可能とは言っていない。実現可能であるかどうかへの回答は難しすぎて、最大限実現に向かうにはどうしたらよいかという回答とさせてほしいし、それで十分なのではないか、という話をする。
事実、この理想の国家は、ヒトラーが真面目に捉えてしまって影響を受けたと思われるような、かなり非現実的な像が描かれる。
例えば「子供は生まれたらすぐに親から取り上げて、誰の子供であるかは絶対に知られてはならない。全子供が全大人の子供であり、特定の親子関係を持つべきではない」という実現が厳しい内容や、
「ギリシア人は内戦などによって敵を捕らえても奴隷にしてはならないが、ギリシア人以外では構わない」という差別に関わるもの、
「気持ちを明るくしたり奮い立たせる音階は使ってよいが、不協和音を用いた、悲哀や不安を表現するような音階は使ってはならず、そのような音楽を聴いてもいけない」という表現の自由や娯楽を制限するもの、
「優生な遺伝子を持つ子供は積極的に生み育て、優遇するべきで、そうでない遺伝子の子供は可能な限り少なくなるように仕向け、また当人たちにはそれを悟られてはいけない」という優生学の思想などである。
彼らは論理的に真面目に思考検討しているものの、今では物議を醸す露骨な男女差別的な発言も多い。
正義は立場によって変わる。国家の良し悪しも、その地理的特性や時代特性によって大きく変わるだろう。
本書から学べるのは、決して具体的なノウハウではない。
その論理的な思考法を一アイデアとして受け取ること。
当時の慣習や思想などの情報を得ること。
そして真摯に、目的となる困難な答えに向かって思考し、対話し続ける姿勢などである。
この姿勢こそ、一番心に刻んでいきたいものである。
本書の終わりでは哲人政治が遂に登場する。
最終的にどのような結末を迎えるのか、下巻を楽しみに次へ進もう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ひとまず上巻読了。
読書日記は下巻の方で。 -
手近に読みたい小説がなかったから、小説として読み始めた。
「いくら不正をしたからって、不正を貫けばそれは正義で、けっきょく結果的に自分が得するのなら、それで万事OKじゃない!?」
しょっぱなから、ソクラテスに対して、現代日本でいまもっとも愚かな有名人(花見が大好きな)がいかにも言いそうなセリフをのたまう人物が登場する。とても古代ギリシャごととは思えない。
あと本書を読んでいてとても興味深いのは、当時の社会状況が垣間見れること。例えば、もうこの頃から貨幣は使われていて、それを貯め込もうとするやつがいたんだなとか。
資本主義とは無縁なこの時代にだよ!? -
ソクラテス先生の僕が考えた最強の国家の巻。
プラトン哲学の集大成の呼び声も高い本書。
正義とは何か?という導入部から始まっており、
理想の国についての議論に移っていくという流れだが、
扱うテーマは職務や結婚、戦争など多岐に渡っており、
男性も女性も分け隔てなく向いている職務に着き、
幸福を皆で共有し、それを実現するために支配者は
真理を追究する哲学者であるべきと結論を出している。
個人的に印象に残ったのは以下の二点。
一つ目は、神々の不道徳な逸話を問題視している点。
ギリシア神話の神々のやることがひどいというのは、
「図解雑学ギリシア神話」の感想に書いたが、
神々を人々の道徳の規範とすべきという点において、
プラトンも問題視していたということが分かる。
彼らの後継者であるローマ帝国の支配者が、
絶対的に正しいキリスト教の神を選択したのは、
当然の成り行きだったのかも知れない。
二つ目は、早くも男女平等を説いている点。
この時代英雄と言えば戦争で活躍した者だったが、
その権利を女性にも平等に与えようとしており、
女性が戦争の訓練をすることを滑稽だとしつつも、
スパルタの訓練法も最初は馬鹿にされていたが、
今では誰も笑わなくなったと言う論に舌を巻く。
ただ、ギリシア人のみで結束することを説き、
異民族は奴隷要員としているのは残念。
下巻ではどんな議論がなされるのか楽しみ。 -
プラトンの本に対する書評などおこがましいので、書評ではなく純粋な読書感想を思いつくままに述べたいと思います。本書は1000年後も読み継がれている名著だと思います。
*日本語訳が読みやすいです。難しく、かつ微妙なニュアンスの表現をうまく日本語にされていて、本当に読みやすかったです。また巻末の解説が極めて有用でした。あの解説がなかったら理解度はかなり低くなっていたと思います。
*本書は「国家」という題名ですが、まず正義とは何かという命題からはいります。そしてそれを深掘りする過程において、理想の国家像を描き始めるということですが、テーマはかなり広く感じられます。ただ読み終わって改めて思い返すと、すべてが関連していたのだなということがうっすらわかってくるという感じでしょうか。本書は全編通じて対話形式になっていて、私自身ソクラテスの言っていることがよくわからないな、と思う個所があると、ちょうど対話の相手が「よくわかりませんが」と受け答えをしてくれて、ソクラテスが具体的な事例で説明してくれる(例:動物に当てはめたり具体的な職業で説明したり)というケースが何度もありました。
*上巻の最後では美を事例に、美の実在(イデア)と美をまとっているものの違いを理解できるかどうかが哲学者(愛知者)とそうでないものの違いである、と指摘されていますが、美に限らずあらゆる場面において本質は何かを理解できる力がいかに重要であるか、改めて痛感しました。
*最近読み始めた禅の思想とはまっこうから対立している面もあります。たとえば本書では「同一のものが同時に静止しまた動いているということはありえない」と述べられていますが、禅の思想では「ありうる」となります(「禅と日本文化」鈴木大拙、などを参照のこと)。ただしそもそも対立していると感じること自体がプラトン的であり、禅の思想では対立していないとみなされるのかもしれません。いずれにせよ、どちらが正しいということではなく、比較するのはおもしろいと思います。 -
国家に必要なリーダーとリーダーが保持すべき魂とその詳細について対話形式で解説した著作
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あまりに有名なので義務感から上巻だけ頑張って読んだが、知的刺激も新規性もなく極めて退屈であった。知識のない中高生が考える姿勢を学ぶために読む本としてはおすすめだが、現代を生きる成人が改めて読む必要は感じられなかった。もちろん歴史的背景から学問的価値の高さは述べるまでもないが、書籍としての価値は教養書として名を連ねるほどのものではないかと。
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哲学史を3冊読んで、さぁ、一次資料(翻訳だけど)と思って、まずは何からか、プラトンの国家か、と。
分厚い、、、。岩波文庫、、、。めんどくさそう、、、。とずっと敬遠してきたのがアホらしくなるくらい読みやすい。
岩波文庫の上巻は、もとの1〜5巻を収めているが、1日1巻ずつ、5日で読めた。500ページくらいなのに。
現在でこれを読むのは少し注意が必要かもしれない。素朴の極みだけど共産主義的であるし、ファシズム的に誤読できる部分もあるので、そこの立ち位置を自覚してないと高校生頃の自分が読んでたら思わず勘違いしそうだ。
そう、高校のころ、友達が「饗宴」とかを読んでた。僕も図書館で、「ソクラテスの弁明」を少しだけ立ち読みした。
哲学はその頃から興味はあったけども、どの本を読んでもそこには前提としている感覚があって、それを共有できてないことには一行ずつに中身と理解が乖離していく。
なんでこんなもん読めるんだ、「存在」とか「感覚」とかをその都度に定義せずにどうして厳密に使えるんだ、と腹立たしくもあった。それは割と今もそう思ってる。お前の言っている「感覚」や「意識」は、なんのことなのかまず説明しろ、と思う。
「ツァラトゥストラ」や、「死に至る病」など、冒頭だけ読んだ哲学書はいくつかある。でも、最後まで読むことは少ない。
大学生になって、カミュの「シーシュポスの神話」に衝撃を受けた。不条理!そう!不条理!と喝采したものだけども、それも最後まで読んでない。そろそろちゃんと読みたいと思ってる。あんな薄い本。
その頃、「アンチオイディプス」とかが文庫になって、かっこつけて読むのがまわりで流行ったけど、そこにもいけなかった。
ブコウスキーのほうがかっこよかった。
話は逸れたが、そういう紆余曲折を経て35歳、プラトンに戻ってきたのだ。高校生の頃の「弁明」から20年経った。この一歩に20年かかった。
そこで衝撃的な読みやすさに出会って肩透かしをくらいつつ、次にいくつもりだったアリストテレスの「形而上学」を立ち読みして、またちょっと挫折の気配を感じつつ。
プラトンがイエス・キリストより400年近く歳上ということに驚く。
「国家」の中には、「これは時代が既にキリストを待ってるじゃないか」と思うようなところがいくつもあった。
素朴な演繹法で続けられる対話は、正直、読むのが辛い(飽きる)ところもあるけども、「対話」という型へのこの信頼はどこからきてるのだろうか。ほとんど独演になるんだから、対話じゃなくて良いのではないか、と思うけども、ソクラテスが対話の人だったので、哲学するのと対話するというのがそのままプラトンではひとつのものだったのだろう。
さぁ、(下)に突入します。 -
【政治学の参考文献】
古代ギリシャの哲学者・プラトン(前427~前347)の代表作。
理想国家について論及した世界最古の政治学の書と呼ばれるもので、後の西洋哲学に絶大な影響を与えたらしい。
真の政治は哲学(学問)に裏付けられていなければならず、政治的権力と哲学的精神とが一体化され、多くの人々の素質がこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止しない限り、国々にとって人類にとって不幸の止む時はないという。 -
哲学的名著の一つということで義務感から読んだが、個人的に読む価値はあまり感じられなかった。
現代からしたら真新しい知識があまりないという点は百歩譲って良いのだが、高く評価されているように思われるソクラテス式問答法についても、批判的思考によって事実を論理的に細かく積み上げていくのかと思いきや、当時のソクラテスの信念を極論によって暴力的に納得させているように思えるし、その結果誤った結論に辿り着いていることも数多くあると思う。何よりもソクラテスの言葉に対して批判的に答えようとする論者が出てこないのが、読み物としてもきつい。洗脳されてるような気分になり、抗おうとしても話は進んでいくので疲れてしまう。
トラシュマコスがイライラする気持ちがとてもよくわかり、トラシュマコス負けるな、という気持ちになっていた。
唯一、社会契約論的な考え方がこの時代にすでにあったのだということを知れたのが良かった。