- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003361566
作品紹介・あらすじ
人が生まれながらに持つ自然権の調整を通じてその成員に安全と平和を保障する機構が国家である。だが、人々が無気力である故に平和であり、隷属のみを事とする国家は国家ではない。最晩年のスピノザ(1632‐77)はこう説いて、各人が「他人の権利の下にある」と同時に「自己の権利の下にある」ことがいかにして可能かを追求した。
感想・レビュー・書評
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1677年、オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザの最晩年の著作であるとのこと。本書は冒頭の書簡によれば、自然権、最高権力の権利、最高権力の管轄範囲に属する諸政務、国家が志すべき最終最高の目的を論じる各章があって、その後、君主国家、貴族国家、民主国家の各組織の方法論について論じていく予定とあるが、民主国家を論じる序盤にその死をもって断筆している。
スピノザによれば、人間は自然状態では何でも自分のしたいようにできる「自然権」という権利=力を持っているとする。しかし、皆が理性を離れ感情にて自らの利益を追求すれば他者との激しい闘争状態に入らざるを得ない。このように「人間は本性上敵である」のだから、自然権のひたすらな追求を止め、共同して生活する道を選ぶ共同の権利とするべきで、こうした権利を他者へ委託(=国家権力)した上で、その最高権力が法を制定し、権利と義務を定め、正義を実現することとし、人々を導くこのような国家権力に対し、国民は絶対服従することをもとめている。そして、こうした自然状態から国家状態への移行により、人間は安全と平和でいられるのだとし、仮に理性に反する国家の命令に従わなければならないことがあっても、国家状態でもたらされる利益の方が大きいのだから、国家の権利に従う方が理性に適うのだとする。ただ、その国家がもたらす平和とは戦争状態の欠如ではなく精神の力から生じる徳であり、国家権利への服従は、国家の共同決定に従ってなさなければならないことを実行しようとする恒常的意志であるべきで、国民の無気力の結果としての平和は国家ではなく広野にすぎず、最高の国家とは理性と真の精神生活とによって規定される人間生活を意味するのだという。
この後、スピノザの考察は君主国家や貴族国家の具体的制度設計に入っていき、現代人であるわれわれにはそれがあまりにも具体的内容であるが故に少々ついていけなくなるのだが(笑)、当時の様々な国家の成り立ちや国家体制の考察から導き出されたスピノザなりの国家制度設計であると思うと興味深くもある。
例えば、君主国家においては実は顧問官に支えられた内密の貴族国家であるとか、王の子孫は反逆の芽となるので王位継承者以外の子孫は結婚や子を認めるなとか、軍隊は国民のみから構成し王の権威を奪わないように司令官任期は1年とすべきとか、顧問官団の選任の仕方やその比率などが述べられ、また貴族国家においては、中程度の国家なら100人の最善者を選ぶなら5000人の貴族が必要だとか、民衆への諮問や監視がない分において君主国家より絶対国家であるとか、裏切らない程度に設定している司令官の任期とか、私利私欲に陥らせない元老院・護法官・執政官の数(議員数が多いほど賄賂で多数派工作させにくいなど)と権利の取り決めが述べられるなど、スピノザが洞察する人間心理を踏まえ、人間の権力への欲望を努めて抑えこもうとする制度設計が窺われて、効率や効果よりも権力欲や民衆の反乱、軍隊の反乱の抑制にいかに心を砕いていたのかわかり面白い。(1年で任期が終わり再任されない軍司令官など役にたつのだろうか?(笑))解説を読むと、当時親しく交流していたというオランダの指導者が、反対派とそれに従った民衆が起こした動乱により殺されたというスピノザにとって衝撃的な事件に大きく規定されたということで、そう思えば、人間の自然権と理性を論じる反面、国家による支配の妥当性と権力を分散させるような制度を考察している背景もわかるような気がする。本書の概説といい、なかなかよい解説ですね。
民主国家の考え方や女性蔑視の考えなど、他にも現代人にはえっ!?と思えるような個所は散見されるが、権力への人間の欲を見越した国家制度構築への強い意志が伝わってくるほどに、現代からは一見単純に思えるその制度も、当時のしがらみを考えれば、より現実的な構想の選択であったのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
国家論
(和書)2008年10月27日 19:33
1976 岩波書店 スピノザ, Baruch de Spinoza, 畠中 尚志
個人的に自己批判についていろいろ考えることがあったがただそれがどう国家と結びつくのか具体的イメージがわいてこなかった。これを読んで国家について具体的に批判をするとっかかりになると思った。カント・柄谷の世界共和国などについて書いてあるものを読むと余計面白く読めると思う。 -
国家のあるべき姿を論じているわけだが、読んでいたら徳川幕府がなぜ弱体化して行ったかが納得出来た。
しかし一方で、時代のせいであろう、酷い男尊女卑なのはゲンナリした。 -
スピノザを引用した越境概念と関係があるかと思っていたが、どこが関連するのかがわからない。
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聖書の逸話が史実として扱われ、論証の根拠になってるのは、キリスト教の素地のない日本人としてはやっぱりびっくりもするし、君主国家、貴族国家についての論証には、現在から見るとはずいぶんだな、とも思うけれど、そりゃ確かにそうかもしれないな、と思う点も多々あり。それはそれで驚くべきことなのかもしれない。
現在の世界の国家の成り立ちを考えると、われわれはスピノザが考えたのよりずっと高所に本当にたどり着いたのだろうか、という気もする。
君主国家、貴族国家と論を進め、民主国家の論証を始めた所で著者の死によって断絶する国家論。やっぱり最後の民主国家論が読みたかった。 -
(以下、凡例より抜粋)神に酔える孤高の哲人スピノザは、同時にまた卓越した国家学者でもあった。彼の国家理論は、ここに邦訳した彼の最晩年の著作『国家論』の中に端的に示される。
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スピノザがその最晩年に著した国家論。その政体の区分の仕方などには、とりたてて他の思想家との差異は見いだせないが、『エチカ』で完成された彼の哲学体系から演繹される自然権論、自由論は、スピノザ哲学の文脈から切り離されてもなお一考の価値があろう。
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政治学の教科書の一冊、日本語版…と思ったらそれは「神学政治論」だったとさ。はぁーあ、やっぱ日本語でもムズカシ。