コーラン 中 (岩波文庫 青 813-2)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (369ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003381328

作品紹介・あらすじ

「コーラン」とは元来「読誦されるもの」の意とされる。朗々と声を上げて誦されるコーランの章句は、詩的韻律と音楽的な美をもって快く耳に響く。イスラーム世界に生きる人々の信仰生活のみならず、日々の実生活をも律する聖典の名訳。

感想・レビュー・書評

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  • 再読中。相変わらずほぼ同じ話を繰り返している。マホメッドは預言者なので、神の言葉をイタコのように下ろしているだけということらしいけど、だからつまり続き物じゃなくて、全国各地の講演会で同じ話を繰り返ししてるようなものだと思ったほうがいいんだろうな。同じ曲をどこでも歌い続ける演歌歌手のどさまわりに近い印象・・・とか言ったら罰当たりかしら。

    基本パターンというか、ベースとしてマホメッド自身が不信心者たちに「嘘つき」呼ばわりされているというのがトラウマというか、バカにされたことを根に持つタイプというか、毎回同じ話になる元凶はここにある気がしてならない。ゆえに、過去の預言者らを引き合いにだし、ノアもモーセも最初は嘘つきよばわりされたけど、最終的には神が奇蹟を起こしてくれた、だからお前たち、今自分をバカにしてると最後の審判でどうなるか覚えとけよ、今のうちに改心しときや、的なオチの話ばかりになる。

    とにかく何十回も出てくるお気に入りはノアとモーセだけど、その他ソドムから無事脱出したルート(ロト)や、スライマーン(ソロモン)、兄弟に売られたヨセフのエピソードなど旧約から次々引用して、だから自分は正しい、というワンパターン。

    例外的に「洞窟」の章では、あちらの民族に伝わる説話のようなものがあって面白かったのと、「夜の旅」の章の最初の数行で、アッラーがマホメッドを連れて夜間飛行した話が出てくるのは興味深かった(でもこれちゃんと説明されないのが残念)。

    反面、これはさすがに身勝手、と思ったのは、自分にとって都合のよい法律を勝手にアッラーの指示みたいにして正当化しちゃうとこ。あるときマホメッドの妻のアイーシャが浮気しているという噂を流されて、これは冤罪で讒言だったからマホメッドは腹を立てたのだろうけど、そこで「人妻に姦通の非難をあびせながら証人を四人挙げることができない者には、八十回の笞打ちを科す」というルールを作る。

    まあここまでは愛妻家なのねで済ませてあげてもいいけれど、のちに養子の嫁が美人なので気にいって横取り、それを正当化するために 「これは一般に信徒らが、自分の養子の女房でも、完全に用が済んでしまったものであれば自由に妻にしてよろしいという規則を作りたいと思ってしたことであった」「アッラーがせよと仰ったことであるからには、何もムハンマド(マホメッド)に咎はない」などと言い出すにいたっては、あまりの身勝手な自己弁護っぷりに唖然。 神様をこういう形で利用しちゃった時点でもうこの人預言者としてダメだと思う。

  • (2006.10.19読了)(2003.03.17購入)
    上巻にも少しは出ていたけど、中巻には、旧約聖書の説話、マリアのこと、イエスのことが結構出てくる。神による世界の創造、7日目に休んだこと、昼と夜を作ったことにより時間が生まれたこと、アダムとイヴ、アブラハム、イサク、ノア、モーゼ、ソドムの民のこと、等々。聖母マリアの話は、聖書の話とは、ちょっと違うようです。聖母マリアは、椰子の木の下で、一人でイエスを産んだという話になっています。モハメット(ムハンマド)は、文字が読めなかったということなので、耳から仕入れた知識と思われる。コーランも信者達によって語り伝えられたことを後の時代に書き留めたものといわれる。
    噂では、コーランには、イスラム教徒の生活でどのように判断したらいいかのすべてのことが書いてあるので、宗教と政治を分離する事は、できないのだ、ということであったが、中巻まで読んだ印象では、そんなに多くの事は書かれていないように思う。
    どうやら「コーラン」とは別に「ハディース」というものがあるらしい。「コーラン」を読めば、イスラム教が分かると思って読み始めたが、ドッコイもっと先があるようだ。

    ●修正可能(54頁)
    昔、汝より前にも、我らは幾人も使徒を遣わし、妻や子孫を授けた。すなわち、時代ごとにそれぞれ啓典があって、アッラーは御心のままに(その文章を)消したり、確定したりなさる。御手元には啓典の母体をお持ちになっておられるから。
    ●神はただ一人(80頁)
    アッラーの仰せには、「汝ら、二神を認めてはならぬ。神はただ一人のみ。さればこの我こそ汝らの懼れ敬うべきもの」と。
    ●人殺しは御法度(98頁)
    正当な理由なくして人を殺してはならぬ。人殺しはアッラーの御法度。誰か、不当に殺された場合は、その後継ぎの人間に(報復の)権利を認めておいた。と言うて、むやみやたらに殺す事はならぬ。必ず(神の)御加護がある。
    ●姦通について(190頁)
    姦通を犯した場合は男の方も女の方も各々百回の笞打ちを科す。そしてそのお仕置きには必ず数名の信者を立ち合わせること。
    姦通した男は、同じく姦通した女か、さもなくば邪教徒の女だけしか嫁にしてはならぬ。また姦通した女も、同じく姦通した男か、さもなくば邪教徒の男だけしか夫にすることまかりならん。これは信徒にはかたく禁じられている。
    ●美しいところは見せぬよう(194頁)
    それから女の信仰者にも言っておやり、慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう。自分の夫、親、舅、自分の息子、夫の息子、自分の兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子、自分の(身の廻りの)女達、自分の奴隷、性欲を持たぬ供廻りの男、女の恥部というものについてまだわけの分からぬ幼児、以上のもの以外には決して自分の身の飾りを見せたりしないよう。
    ●ごまかしてはならぬ(224頁)
    お前たち桝目は充分にはかるようにな。決して量をごまかしてはならぬぞ。いつも正しい秤ではかるよう。仮にも他人の持ち物を掠めたりするでない。
    ●昼と夜は神兆(238頁)
    我らがこうして彼らのために夜を設けて憩いの時となし、昼間はものが見えるようにしてやったのを、彼らは気付かないのか。信仰心あるほどのものにとっては、これこそ、れっきとした神兆ではないか。
    ●アッラーに戻れ(270頁)
    お前たちはいつでもアッラーの方に戻りつつ、懼れかしこまねばならぬぞ。礼拝の務めを欠かさず、偶像崇拝に走ってはならぬぞ。と言うのは、宗教をずたずたに裂いて分派を作り、それぞれ己が信条こそ一番だといい気になっておる人々のこと。
    (ユダヤ教徒やキリスト教徒、多神教の信徒のことを言ったのでしょうけど、イスラム教にも分派ができています。それぞれの分派は、自分達こそ、正統と主張するのでしょうけど。)
    ●マホメットだけの特権(295頁)
    これ預言者よ、我らが特に正当なものとして汝に許したのは、まず汝が正式に金を払った妻、次にアッラーが戦利品として授け給うた奴隷女、父方の叔父の娘に父方の叔母の娘、母方の叔父の娘に母方の叔母の娘など汝と一緒に(メッカから)移って来た者、それに、自分から預言者に身を捧げたいという信者の女があって、預言者の方でもこれなら嫁にしてもいいと思ったなら誰でもよろしい。但しこれは汝(マホメット)だけの特権であって、一般の信者には許されぬ。
    (マホメットには、妻が10人ほどいたといわれます。)
    ☆関連図書(既読)
    「創世記」関根正雄訳、岩波文庫、1956.05.06
    「出エジプト記」関根正雄訳、岩波文庫、1969.01.16
    「モーセ」浅野順一、岩波新書、1977.12.20
    「太陽の王 ラムセス1」クリスチャン・ジャック、鳥取絹子訳、青山出版社、1996.11.05
    「太陽の王 ラムセス2大神殿」同上、山田浩之訳、青山出版社、1997.01.25
    「太陽の王 ラムセス3カデシュの戦い」同上、山田浩之訳、青山出版社、1997.04.10
    「太陽の王 ラムセス4アブ・シンベルの王妃」同上、山田浩之訳、青山出版社、1997.06.10
    「太陽の王 ラムセス5アカシアの樹の下で」同上、山田浩之訳、青山出版社、1997.07.25

    (「BOOK」データベースより)amazon
    「コーラン」とは元来「読誦されるもの」の意とされる。朗々と声を上げて誦されるコーランの章句は、詩的韻律と音楽的な美をもって快く耳に響く。イスラーム世界に生きる人々の信仰生活のみならず、日々の実生活をも律する聖典の名訳。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706409

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  • 読んでいて面白くないので、後半は流し読み。

    なぜ面白くないかは、中身がマホメットの説教ばかりだから。

    聖書の旧約だったら、創世記のアダムとイブ、ノアの方舟、モーゼの十戒、とかいろいろ物語がある。
    新訳聖書の方は、イエスの誕生から十字架までの波瀾万丈(?)のストーリーを追っていけばよい。

    コーランにはそういうものがなくて、アラーを怖れ敬え信じよ偶像崇拝するなというモハメットの教えを、手を変え品を換え繰り返すばかり。

    それが原因かと思ったけれども、もう一つの理由は、訳文のせいだな。
    実はこっちの方が大きいのではないか。
    文章が無味乾燥すぎる。

    コーランの荘重華麗な文章は日本語には訳しようがないので、口語で訳しましたということが、それにしても艶のない文章で魅力が感じられない。
    読んでも読んでもちっともピンと来ないのは、こちらの不信心のせいだけではないと思うがな~。

  • 図書館で借りた。同じことが多いな

  • 全3巻中の第2巻。

  • この本はイスラム教の初学者にとって難しいと思われる。大学入試で倫理の受験経験がある人や大学の一般教養の講義を受けた人でも難しいかもしれない。何かイスラム教に関する入門書を読んでから、『コーラン』を読んだ方がよいと思われる。

  • 上・中・下巻と文庫では3巻構成。時期的に後期のものほど前に並べるような構成になっているので読みながら年代を遡行していく感じになる。
    さらに20年間にわたる啓示の集大成なので、マホメットの人間的成長、社会政治的条件の発展がコーランにも反映される。だから最初と言ってることが違うこともある。「えー、それってマホメットさんの話であってもはや啓示じゃなくね」という突っ込みはこの際なしである。
    コーランは親父の小言に近いと誰かが言っていたがまさにそんな感じで若干くどい。もともとマホメットが商人だからか現実主義的な側面がコーランには非常に強い。アラーは簿記の名人だとか、商業に関係する言葉がたくさんでてくる。悔い改めれば元金は保証してやるとか。イスラム銀行が無利子なのはコーランに利子を取るなと書いてあるからなんですね。宗教戒律、社会規範、国家の法律がイスラム教では全く一致している。キリスト教ではこれはありえない。
    あとはキリスト教には実体的な天国がないのと対照的にイスラム教では実体的に天国と地獄を説明しているのもおもしろい。そして男尊女卑を否定しない。むしろ明記する。さらには男性についての天国しか書いてないんですよ。天国では絶世の美女とセックスし放題で、しかも女性は処女のまま、みたいな。イケメンの童貞とやれるとは書いてない。結構マッチョな啓典だなぁ。

  • 世俗的な上巻より神の言葉らしさが出てきた。ノア、モーセ、ヨセフ、アブラハムなど旧約聖書の説話が多い。多神教、偶像神の否定。上巻よりユダヤ教、キリスト教への否定は少ないが、イエスを神の子とすることは否定。

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著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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