- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003900048
作品紹介・あらすじ
最大多数の最大幸福をめざす功利主義は、目先の快楽追求に満足しないソクラテスの有徳な生き方と両立する。人間生活全般の根本原理として、個人や社会が正義とともに個性や人類愛を尊重するよう後押しする功利主義のあり方を追究したJ.・S・ミルの円熟期の著作(初版一八六三年)。『論理学体系』の関連部分も併せて収録。
感想・レビュー・書評
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ジェレミ・ベンサムによって創始された最大多数の最大幸福を第一とする功利主義を、同調者であったジョン・スチュアート・ミルが解説する一冊。
幸福と不幸の兼ね合いによって正誤を判断する思想を功利主義と認識していますが、幸不幸は主観的であり客観的に計測することは不可能です。
高尚ですが曖昧さによって脆い骨子となっている考え方であり、それを語る本書は著者の挑戦であっただろうと思います。
功利主義について要約されている部分を引用します。
効用、つまり最大幸福原理を道徳の基礎として受け容れる考え方によれば、行為は幸福を増進する傾向があれば、その度合に応じて正しいものとなり、幸福とは反対のものをもたらす傾向があれば、その度合に応じて不正なものとなる。
明らかなのは功利主義における正しさが正義であるとは言い切れないということです。
悪行であっても最大多数の最大幸福を満たせば正しいものとなり、限られたコミュニティでこれを計れば平時と戦時で全てが逆転する代物となります。
人間らしい思想なので人間に適している面も多々あるのですが、諸刃の剣であることを十分に理解した上で活用する必要がありそうです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自然権といった経験を越えた普遍的な原理により何が正しいかを判断すべきでない。個々人の幸福はさまざまで、幸福の優劣を判定する客観的な基準はない。行為の正しさはそれが何をもたらすか(帰結)、幸福をもたらすかどうかで判断すべき。幸福は善であり、苦痛は悪。幸福をできるだけ増やし、苦痛はできるだけ減らす。自由はそれ自体に価値があるのではなく、幸福をもたらすなら価値があり、幸福をもたらなさないなら価値はない。▼自然権は特権階級の利益(一部の人々の幸福)を守るためでしかない。社会の幸福は個々人の個別の幸福の総計で見るべきで、これを最大化すべき。「一部の人々」の最大幸福ではなく、「最大多数」の最大幸福を目指すべき。 ▼各人がそれぞれ自由に幸福を追求することでおのずと最大幸福が実現される。政府の役割は各人の利益衝突を調整すること。ジェレミー・ベンサムBentham『道徳および立法の諸原理序説』1789
幸福・快楽には質的な優劣がある。正義や真理を追求したり、利他的な行為によって得られる快楽は高次のもの。一方、本能的な欲求を満たすことによって得られる快楽は低次のもの。(低次の快楽に)満足した豚よりも、(高次の快楽を目指して)不満を抱えた人間の方がよい。(低次の快楽に)満足した愚か者よりも、(高次の快楽を目指して)不満を抱えたソクラテスの方がよい。ミルMill『功利主義』1861 -
ミルが晩年に、功利主義の考え方についてまとめた本です。功利主義は、現代においても誤解や先入観によって批判的に捉えられることが多いですが、当時(1860年代)のイギリスにおいても、同様でした。本書は、想定される批判を潰していくという形式を取っており、当時の風当たりの厳しさを肌で感じ取れます。
ミルはまず、既存の倫理上の2つの学派として、「直覚主義学派」と「帰納主義学派」の2つを取り上げます。直覚主義学派というのは、道徳の原理は明らかにアプリオリ(最初から決まっている)という考え方です。一方の帰納主義学派は、観察と経験から道徳を決定しました。一見真逆の道徳観ですが、道徳は原理から導き出さなければならないと考えている点は共通です。しかし、この2学派は、その原理を列挙したり、共通の根拠に還元したりはしませんでした。これに対して、功利主義の新しさは、「最大幸福原理」という単純な原理を持ち出したことです。
効用(utility)とはなんでしょうか。これは、快楽や苦痛でないことに加え、精神的な喜びもひっくるめた、幸福全般を指します。ミルに言わせると「満足した愚者よりも満足していないソクラテスがよい」のであり、精神的な喜びは重要です。で、功利主義(utilitarianism)は何かというと、すべての人の効用の総和を最大化すること基本原理とする考え方です。シンプルですね。功利主義においては、自己犠牲の精神や禁欲主義は否定されます。他の人々のために自分の善を犠牲にすることは素晴らしいことですが、犠牲それ自体を善と考えるわけではないんですね(これ、現代では受け入れられると思うんですが、当時のキリスト教の文化背景を考えると結構ショッキングなはずです)。
道徳と功利主義の関係性を見ていきましょう。人々の行為は、一般的に道徳に従って行われます。道徳は慣習的なものになっていて、ある種、神聖化されており、拘束力も大きいです。このように、「道徳→行為」と見方が自然に思えますが、ミルは道徳を二次的原理と見ます。じゃあ一次的な、根本の原理は何かというと、効用の原理なわけです。効用の原理という一般原理があって、そこから二次的原理である道徳が生み出され、行為につながる、と考えます。
個人の効用の最大化ではなくて、社会の効用の最大化を目指すことについては、少し論理の飛躍があります。これに対して、ミルは「一体感」という説明をしています。社会が形成されていない野蛮状態においては、個人の効用を追求した方が良いように思います。しかし、社会的な絆が強化されると、他の人々の幸福に配慮することは、自分の個人的利益にもつながるようになります。そして、自分の感情を他の人々の幸福に重ねるようになる。これを一体感と呼んでいます。そして、一体性の感情は、教育のもたらした迷信とか、社会の権力が押し付けた専制的な規範ではなく、自分達の幸福に欠かせない特性であるとしています。
また、認められるべき権利とはなんでしょうか。ミル流に読み解いていくと、権利とは、自分の所有するものを、法の力や教育と世論の力によって保護するよう社会に要求するのは当然と考えられることを指します。例えば、ある人がタピオカ屋を営んでいて、年間2000万円の売り上げがあったとします。翌年、全然売れなくて売り上げが500万円だったとしても、差額の1500万円を補償しろっていうのは話になりませんよね。他方、1000万円の債券の利子5%が不払いになった際には、これは50万円の支払いを求める権利がありそうです。だってこの権利を認めないと、誰も債券を購入してくれなくなって、金融市場が成立しません。権利は、それが認められることが社会全般の効用のためなるから認められるのです。
全体を通じて、功利主義はとても分かりやすいし、しっくりくる方は多いと思います。とくにぼくのバックボーンは経済学なので、すでに功利主義に染まっていた感もあります。ただ個人的には、「一体感」のところは弱いかなと思いました。一体性の感情がアプリオリだと言っていいのか。一体性の感情があってほしいからそういう教育をしているんだ、という説明の方が現実的じゃないのかなと。 -
【書誌情報】
原題:Utilitarianism
原題: (Chapter 2.) Of liberty and necessity, in A System of Logic: Ratiocinative and Inductive: Being a Connected View of the Principles of Evidence and the Methods of Scientific Investigation, 8th edition.
著者:John Stuart Mill (1806-1873)
訳者:関口 正司
出版社:岩波書店
ジャンル:岩波文庫 > 白(経済・社会)
通し番号:白116-11
刊行日:2021/05/14
ISBN:9784003900048
Cコード:0110
体裁:文庫 ・ 254頁
最大多数の最大幸福をめざす功利主義は、目先の快楽追求に満足しないソクラテスの有徳な生き方と両立する。人間生活全般の根本原理として、個人や社会が正義とともに個性や人類愛を尊重するよう後押しする功利主義のあり方を追究したJ.S.ミルの円熟期の著作(初版一八六三年)。『論理学体系』の関連部分も併せて収録。
https://www.iwanami.co.jp/book/b577709.html
【簡易目次】
凡例 [003-006]
目次 [007-008]
第一章 概論 011
第二章 功利主義とは何か 021
第三章 道徳的行為を導く動機づけについて 069
第四章 効用の原理の証明について 089
第五章 正義と効用の関係について 105
附録
一 自由と必然について(『論理学体系』第六巻第二章) 163
二 道徳と思慮を含む実践あるいは技術の論理学について(『論理学体系』第六巻第一二章) 183
訳注 [207-230]
解説(二〇二一年三月 関口正司) [231-252]
ミルが本書を執筆した経緯
ミルがめざしていたこと
動機や感情の心理的事実に注目する視角
あるべきこと(目的)への視角
有意義な感情と心理学的決定論
人生の技術と中間原理(二次的原理)
ミルの考察と現代的課題
具体的な人間観察にも注目を
本書の邦題について
索引 [1-2]
【『論理学体系』目次】
Volume I
1 Of the necessity of commencing with an analysis of language;
2. Of names;
3. Of the things denoted by names;
4. Of propositions;
5. Of the import of propositions;
6. Of propositions merely verbal
7. Of the nature of classification, and the five predicables
8. Of definition
Book II. Of Reasoning:
1. Of inference, or reasoning, in general;
2. Of ratiocination, or syllogism;
3. Of the functions, and logical value, of the syllogism;
4. Of trains of reasoning, and deductive sciences;
5. Of demonstration, and necessary truths;
6. The same subject continued
Book III. Of Induction:
1. Preliminary observations on induction in general;
2. Of inductions improperly so called;
3. On the ground of induction;
4. Of laws of nature;
5. Of the law of universal causation;
6. Of the composition of causes;
7. Of observation and experiment;
8. Of the four methods of experimental inquiry;
9. Miscellaneous examples of the four methods;
10. Of plurality of causes; and of the intermixture of effects;
11. Of the deductive method;
12. Of the explanation of laws of nature;
13. Miscellaneous examples of the explanation of laws of nature.
Volume 2
Book III. On Induction (continued)
14. Of the limits to the explanation of laws of nature; and of hypotheses;
15. Of progressive effects; and of the continued action of causes;
16. Of empirical laws;
17. Of chance, and its elimination;
18. Of the calculation of chances;
19. Of the extension of derivative laws to adjacent cases;
20. Of analogy;
21. Of the evidence of the law of universal causation;
22. Of uniformities of co-existence not dependent upon causation;
23. Of approximate generalizations, and probable evidence;
24. Of the remaining laws of nature;
25. Of the grounds of disbelief
Book IV. Of Operations Subsidiary to Induction
1. Of observation, and description;
2. Of abstraction, of the formation of conceptions;
3. Of naming, as subsidiary to induction;
4. Of the requisites of a philosophical language; and the principles of definition;
5. Of the natural history of the variations in the meaning of terms;
6. The principles of a philosophical language further considered;
7. Of classification, as subsidiary to induction;
8. Of classification by series
Book V. On Fallacies:
1. Of fallacies in general;
2. Classification of fallacies;
3. Fallacies of simple inspection, or a priori fallacies;
4. Fallacies of observation;
5. Fallacies of generalization;
6. Fallacies of ratiocination;
7. Fallacies of confusion
Book VI. On the Logic of the Moral Sciences:
1. Introductory remarks;
2. Of liberty and necessity;
3. That there is, or may be, a science of human nature;
4. Of the laws of mind;
5. Of ethology, or the science of the formation of character;
6. General considerations on the social science;
7. Of the chemical, or experimental method in the social science;
8. Of the geometrical, or abstract method;
9. Of the physical, or concrete deductive method;
10. Of the inverse deductive, or historical method;
11. Of the logic of practice, or art; including morality and policy. -
↓利用状況はこちらから↓
https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/BB00558655 -
やっぱ質的功利主義ってガバガバ理論ちゃう?
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1863年刊。
有名で、現在はしばしば悪評も高いベンサムのスローガン「最大多数の最大幸福」というアレに代表される「功利主義」の考え方について、あれやこれやと弁明を試みる著作。
私自身、「最大多数の最大幸福」というスローガンは目下大嫌いで、あれを浅はかに理解し利用し、多数者のためなら少数者を虐待しても良い、多数決で決まったら少数意見はことどとく蹂躙して良い、といった暴虐につながりかねないからだ。
ミルがどのようにこれを擁護するかというと、「効用」は人間の獣的な欲望の部分で測るべきはなく、すこぶる知的な・十全に道徳的な心性において最大限に長期的な視野に立って測るべきものだ、とするのだ。
だがこのような弁明は、ルソーが民主主義というものを十分に育成され知的に熟成された民の高度さを欠くべからざる大前提としているのに似ていて、現実とは大きく乖離せざるを得ないのではないか。実際の大衆というものは、もっと怠惰で、ワガママで、短絡的で、知的に劣悪な存在に過ぎないことを現実の歴史が明かしているのではないか。だから自由も民主主義も、本書で称揚される「効用」も、ことごとく劣化していき、解体してゆくほか無いようにさえ思える。
大海原を延々と漂流する救命ボートに5人の飢えた人間が乗り、何日間も食料を得られなかったとする。そのうちの、たとえば最も体力の弱い者を他の4人で殺害し、その人肉を食することによって4人の延命を図るべきなのか。5人もろともに死ぬよりも、1人が死という最大の不幸に追いやられてさえ、4人という多数が助かる可能性があるのだから、これを良しとするのか。
ミルならここで人間というものは人肉を食した経験を後半生において後悔し、ずっと夢にさえ見てさいなまれることになるだろうから、結局は幸福につながらない、と指摘しそうである。だが、現在の世論の一部は、4人の延命を支持しそうだ。すこぶる倫理的な問題を迫ってきたコロナ禍において、どうせ先の長くない老人が多少死んだって構わないから、若い者たちで社会の経済を栄えさせ楽しもうぜ、という主張の一派は少なくない。むしろそのような暗黙の主張がどんどん強まってきていると感じる。「最大多数の最大幸福」というスローガンは、結局はこのような帰結に至るのだ。そして、あの新自由主義という野蛮さにも。
従って、いかにミルが弁明しようとも、功利主義そのものを規範の核心とすることには私は危険性を感じてしまう。ボートの中の弱い1人を殺害するくらいなら、全員がおとなしく死を甘受するべきだと私は考える。 -
マルクシズムが終わってポストモダンもなんかよくわかんないまま終わってコロナとか戦争とかで結局ナショナリズムなの?ってとこにきて唯一機能し得る政治哲学は功利主義なんじゃないかって思ってる。てか下の世代の意識高い人の発想を聞いてると大抵無自覚に功利主義できなんだよね。
ベンサムの功利主義への批判の半分くらいは既にミルが論破してるよね。動物的快楽に溺れてる自分の姿って嫌だから善人になりたくなるっしょ?みたいな。マズローの6段階?のやつは科学的ではなかったって証明されてしまったらしいけど、行動経済学とか新たな知見によって功利主義は補強されうると思う。
ただし人間以外の動物も頭数に入れちゃうのはよくないと思うなー哲学を観念するのは人間だけなんだから哲学が頭数に入れるのもまた人間だけであるべき。 -
人間の生きる目的(幸福の追求)における「幸福」は決して普遍的ではなく、社会や他者・自身の思考の変化にも影響されて変わり続けていく
幸福への手段である正義や道徳も避けがたい矛盾や変化を孕んでおり、絶対的な正解などはあり得ない
だからこそ幸福についてあらゆる視点から考え続けていくことが重要なのだということが伝わってきた -
「功利主義」という名称から自己中心的な意図を感じ取っていたが、それは全くの誤解であった。解説でも触れられていたが、功利ではなく効用、全体の幸福の最大化が「功利主義」で正としているものだと理解した。
けれども全体の幸福とはなんだろう。周囲の幸福のために個人が進んで損害を被ることは功利に向かうのだろうが、その程度次第ではそうともいえないのではないか。
また、全体の幸福そのものが相対的に移ろいゆくものなのではないだろうか。
もしかしたら、このように「功利」とは何かを問いかけ続けることが肝要なのかもしれないが、まだ頭の中でぐるぐるとしている。