イエスとその時代 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.37
  • (2)
  • (7)
  • (7)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 94
感想 : 7
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004121589

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書に加え、トマス福音書、ピリポ福音書などの史料を比較対照させながら批判的に読み取り、「各福音書記者の編集作業と、編集の視座に見られる固有な思想」(p.15)を存分に考慮に入れた上で、イエスが宗教(=政治)にどのように関わってきたか、イエス自身の「視座」がどこにあるのかを推定したもの。
     いくつかのポイントが明示されているが、どの点も新鮮で、興味深いものばかりだった。おれ自身が聖書を読んだことないので、元になる知識が不十分であるだけ、難しく感じられるところも少なからずあったが、それでも面白い。まず伝統主義・保守主義の「サドカイ派」と、律法の「合理化」を行い、「天使論や復活信仰を積極的に受けいれた」(p.34)「パリサイ派」について。パリサイ派の律法主義に陥る傾向が「前景で出てくるのは紀元後七〇年以後に、ユダヤ教正統派の位置についた以後のことであって、イエスの時代にこの傾向を読みとることについては慎重でなければならない」(p.35)という部分が新鮮だった。また、イエスがいわゆる「奇跡行為」を振る舞ったという事実がイエスの視座を示すものである、という部分(pp.80-1)。つまり、イエスの力そのものではなく、イエスが民衆の希求に即応するような「功利的」、「御利益宗教的」な振る舞いをしたことが、社会の最下層に所属していた価値理念に応える姿勢を見せていた、という主張が理解できた。ついついどんな奇跡をどうやって起こしたのだろう、と思ってしまうが、そういうことではない、ということが分かる。また、聖書の読解について述べた部分で、「譬話の本文は、私の解釈の対象としてのものから私に自己理解を迫るひとの性格を帯びて迫りくる。―これをより一般的に言えば、聖書の本文は、それが解釈主体の認識のあり方に変革を齎した時にこそ、解釈主体によって了解されたということになる」(pp.136-7)ということは、重要な問題であると思う。これが聖書の魅力の究極的な部分なのではないだろうか。ところで、「良きサマリア人」、「失われた一匹の羊」の話の解釈が、そんなに単純なものではないということが分かった。同じように、「神のものは神に」の話や、処刑前の「あなたがユダヤ人の王であるか」のくだりも、一般的な解釈と異なる部分で、著者のロジックを辿ることは興味深い。最後に、pp.180-1の「祈るイエス」に対する解釈は、「人間イエス」を描くものとして、興味深かった。マルコの想像力への間接的な裏付け、という部分であるが、こういったイエスの苦悩が、最期の「アラム語で叫んだといわれる言葉『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』、―訳すれば「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(p.189)という絶叫に象徴されるのだとすれば、一人の人間の歴史として、イエスや聖書を捉えることができると思う。
     とても古い本で、学校の文化祭の古本市で手に入れたが、有益な本だった。(15/09/23)

  • 正直言ってしまえば
    おのおのの文の解説書に尽きるまでで
    肝心の歴史は実存したのか?
    という部分に関してはあまりにパンチが弱すぎます。
    と、いうわけで星は大幅減点。

    ただし、この本ほど世界に読まれている本は
    ないというのも事実。
    高度な文章テクニックも交えつつ
    神の存在を説いていくある意味の奇書。
    これに勝る作品は少ないといっても
    過言ではないでしょう。

    基本的に岩波の初期本は
    一般人が手出しできる本ではないです。
    それは心得ておいてください。

  • イエスについて、イエスが生きた時代背景から説明してある。予備知識がないとかなり難解な文章である。ある程度知識をつけて、また読みたいと思う。

  • 新約聖書学者荒井献の代表作のひとつ。聖書批評学的見地から新約聖書を検証し、イエスとイエスが生きた時代を論じている。我が国新約聖書学者の重鎮の書だけあって、文体は高貴で揺るぎがないが、やや著者の主観により過ぎる感も否めない。まあ、これはこれで荒井ファンには面白く読めるのであろうと思ったが、一方では、福音派のクリスチャンなどは本書を読んでもあまり賛意は示さないであろうとも考えた。新約聖書の史料的意味や記述の信憑性はともあれ、イエスの視座が常に社会の底辺にいる弱者の立場にあったという指摘だけで、自分はイエスが神の子であるとの信念をさらに強めた。
    あまり読みたがらないとは思うが、とりわけ福音派のクリスチャンは本書を読むべきと思う。

  • 俺にはわけがわからなかった。
    そもそも、なんで長々とこんなことをしているのかがわからなかった。

全7件中 1 - 7件を表示

著者プロフィール

あらい・ささぐ氏は、1930年生まれ。東京大学教養学部、同大学院西洋古典学専攻を経てドイツ・エアランゲン大学で神学博士を取得。原始キリスト教史・グノーシス研究に開拓的な業績がある。現在、東京大学および恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。著書『荒井献著作集』(全10巻+別巻、岩波書店)、『使徒行伝』上中下(新教出版社、現代新約注解全書)ほか多数。

「2018年 『キリスト教の再定義のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

荒井献の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×