- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004150237
感想・レビュー・書評
-
筑豊をはじめとする九州北部の炭鉱労働者の話を集めてまとめたもの。
笑い話といっても小噺みたいなものではなく、厳しい環境下で絞りに絞った末に滲み出てくる甘味という感じ。
なので面白おかしい本ではなく、知らない世界のことを紹介する本という位置づけが適当だと思う(いまとなっては)。
「ケツワリとは逃亡・脱走の意であり、動詞としてはケツをワルというふうに用いられている。……もともと脱走を意味する朝鮮語の「ケッチョガリ」の転訛であることは明らかだ。係員のことをヤンバンといったり、飯をくえというところをパンモグラといったり、炭鉱で日常用語と化した朝鮮語がすこぶる多いが、これはすでに明治時代からかなり多くの朝鮮人移民が炭鉱に流れ込んできているためである。」
のような、知らなかったことが載っている本だ。
ほかには「八木山越え」という、嫁盗みのローカル版みたいなものとか。
坑内の男女の関係性については虚々実々なあれやこれやがあるという。
「スカブラ」については、つかこうへいも書いていたことを思い出す。
彼は、「個人としては非生産的な存在だけど、全体の生産性を維持するためには欠かせない」という趣旨の書き方をしていた。
だけど、本書では「ここ一番」では大車輪の働きを見せる姿も描く。そのギャップの大きさが「おかしみ」を生む。
著者によればスカブラは労働法制の整備で女性が坑内労働をしなくなったことで代替的に生まれた面があるという。そうだとしたら、10~20年ぐらいの期間にだけ存在していたことになる。意外な気もするし、まあそんなものか、とも思う。
著者は1947年に京大を中退して鉱員として働いたという経歴の持ち主。もちろん共産党シンパで、それっぽい理屈っぽさがあって、それを読みにくいと感じる人はいるだろう。本書では冒頭がそう。そこを越えると面白くなる。
(メモ)著者は使っているけど「坑夫」という語はいまや死語なのか? Win機では変換もしないし。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「地の底」とは、炭鉱のことを指している。自身も炭鉱で働いていた著者が元炭鉱労働者達から聞き集めた話を集めている。
タイトルは「笑い話」だが、笑えない話がほとんど。常に死と隣り合わせの上、脱走者にはみせしめと称して管理者達から徹底的に痛め付けられる。見せしめで命を奪われることもしばしば。
そんな過酷な状況を振り返り、怒り半ばで「昔は酷かったもんだ」と笑い飛ばすか、脱走に成功した武勇伝や管理者達の無能をコケにするなどして「笑い話」に昇華させているようだ。
一体いつの話か、と思ったら本書が書かれたのが1967年。語られている昔話は大正~昭和初期辺りだ。たった100年程前の、日本人の倫理観の一部が見えてくる。 -
過酷な重肉体労働。圧制と屈辱にまみれた暗闇で働く。夏目漱石の抗夫では、その悲惨さは伝わってこないが、本書では、題名こそ笑い話ではあるが、悲哀、苦衷、生と死などその中身は、これほどないほど重い。人権などというものが、この世に存在しない時代。でも今現在も世界のどこかにはそのような土地があることを忘れてはならない。人が人として生きるために。
-
日本の近代化を裏で支えた坑夫たちの人生。それを笑い話に昇華させなければやりきりない過酷さがそこにあった。
日本の近代化をプロレタリア以下の人々が支えて作り上げたといっても過言ではないだろう。 -
学生時代か
-
1 笑い話と身の上話
2 死霊の話―働く幽霊
3 八木山越えの話―ヤマの嫁盗み
4 特別キリハの話―女坑夫の哄笑
5 スカブラの話―黒い顔の寝太郎
6 ケツワリの話―脱走と流亡
7 離れ島のケツワリの話
著者:上野英信(1923-1987、山口市、作家) -
ついつい怠けてしまう自分を
叱咤激励したい時に
手に取って
はらっ と 拡げたところから
読み直してみる
本当に絶望的なところから
生まれいでくる過酷な状況を
笑い話として
語る継ぐ
そんな
人間が確かに居たのだ
と 自分に問いかけながら
再読し続けている一冊です -
『追われゆく坑夫たち』を読んでから本書を読んだ方がよかったかもしれない。
(147ページ)「大多数の労働者にとってケツワリ(=逃亡・脱走 ※引用者注)は唯一の無言の抵抗と復讐の手段であったと同時に、もっとも日常的な感覚の次元における退職手続きであった。あるいは退職闘争と名づけてもよいだろう。」
ブラック企業に翻弄されながらも、それと闘う手段を持つことが必要ということか。 -
笑えない。
-
私が読んだのは、図書館にあった1967年の初版。10年前に復刻されたらしい。上野英信というと『追われゆく坑夫たち』は知っていたが、この本は知らなかった。
挿絵はすべて山本作兵衛さんの作品で、「筑豊の地底で生きてきた生粋の炭鉱労働者」である山本さんが、離職後にその炭鉱生活を克明に絵で記録したものが、章の扉をはじめ、数多く掲載されている。
「地の底で働くひとびとの笑い話をともしびとして、日本の労働者の深い暗い意識の坑道をさぐってみたい」(p.iV)というのが、著者がこの仕事にこめた願望。坑内労働の合間に、おりにふれて老いた坑夫たちが語ってくれた「古い、なつかしい笑い話」を求めて著者はほうぼうの炭鉱を歩き、話をきいてまわった。そうした笑い話を拾い歩く中で感じたことを書きとめたのがこの本だという。
▼…今日も依然として、働く民衆がみずから名づけて「笑い話」と呼ぶ世界に生きており、生活と労働のもっとも重い真実をそこに託している…彼らはなぜそれほど重要なものを笑い話と名づけなければならなかったのか。彼らにとってそもそも笑い話とはなんであるのか。(p.iv)
はしがきには、「わが国の石炭産業の労働者が、いわゆるエネルギー革命によってどのように壊滅的な打撃を受け、いかに悲惨な状態に追い込められているのかということについては、いまさら説明の必要もないだろう」(p.iv)とある。この本が出された1967年には、説明の必要もなかったことなのだろう。石炭から石油へというエネルギー革命からほぼ半世紀、なにが当たり前になり、なにが当たり前ではなくなったのかと考えてみるが、私にはわからないことが多い。
前近代的な炭鉱の労務政策については凄惨な話も多いが、暗い救いのない話ばかりがすべてではない。たとえば「どれほど好条件の特別キリハをもちだされようと、頑として小頭の奸計にのろうとしない女たちがいたことを、おもしろおかしく、しかも力づよく、笑い話は私たちに伝えてくれる」。(p.78)
あるいは、炭鉱からの逃亡・脱走をいう「ケツワリ」について、「ケツワリ遊びをいやがうえにも楽しいものとするために、それぞれ精いっぱいの知恵をしぼり、工夫をこらす。その姿がどんなものであったか、笑い話はいまなおユーモラスに私たちに語り伝えている」。(p.140)
とりわけ離れ島の炭鉱からのケツワリ話が伝えるのは、知恵をはたらかせることの大切さである。
▼偶然はもはやここではけっして脱出の奇蹟を恵んでくれない。人を頼らず自力で、あくまでも絶望せず積極的に、しかも熟慮して創造的な方法で断行を、という経験者たちの教訓は意味深い。が、その三条件のうちでもとりわけ、知恵を働かせることの重要さを、かずかずのケツワリ話は教えてくれている。(p.160)
離れ島の炭鉱で、坑夫の脱走防止には、島の住民たちに、強圧的に脱走坑夫の監視と逮捕の責任が求められた。かりにも坑夫に逃走の便宜を与えた場合には「直ニ地主ヨリ其地所ヲ引揚ゲ退去セシムル事」が確約され、「作物番人給扶助費」という大金を投じることによって。つながりを断つという労務政策である。
▼…たえまない脱走に手をやいていたことはたしかであるが、それをひそかに庇護し、脱出を援助する者も少なくはなかったのである。脱走防止の完全を計るためには、そうした結びつきを断ちきり、いやがうえにも一般島民と坑夫たちとの対立を激化させ尖鋭化させる以外に途はなく、それがまた最善の方法であった。(p.157)
坑夫たちは、「ところで、これは笑い話ばってん…」と言い、「ところで、これは馬鹿話ばってん…」と言い、あるいは「夢の話は馬鹿がするというが、わしは馬鹿じゃけん、夢の話をしよう」と前置きをして、それぞれの体験を語った。
▼いずれにしても、笑い話であるかないかを決定しているものは、ここでは個々の話の形式や内容ではなく、その話の主人公や語り手の人生そのもの、労働者としての存在そのものの喜劇性である。坑夫と呼ばれる人間自身が、しょせん一片の笑い話以外のなにものでもないというリアリスチックな認識に支えられて、はじめて個々の話はいきいきと笑いの生命を獲得するのである。…特殊の例外を除いて、笑い話だけが独立し完結した形で語られることはけっしてない。いつもきまって長い苦難の身の上話の流れの中から顔をだし、やがてふたたびその黒いゆるやかな流れの底に沈んでいく。(p.22)
この本には、そんな話がつまっていた。
(11/18了)