- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004202806
感想・レビュー・書評
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(1985.09.30読了)(1984.10.23購入)
(「BOOK」データベースより)
「やがて私の時代が来る」と自己の前衛性を確信していたグスタフ・マーラー。彼の交響曲は自由で柔軟、感傷的で情感的、また急激な大爆発を起こすなど、近代人の知性と矛盾をさらけ出している。著者はマーラーの作品の背後に非西欧世界にも及ぶ広大な音楽文化圏の存在を見いだし、現代音楽への道を切り開いていった彼の歩みを跡づける。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
逗子図書館で読む。統計を示しながら、丁寧に説明しています。マーラーの復活の理由として、オーケストラの能力の向上を指摘している。時代の気分より、こちらの方が説得力があります。
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柴田南雄「グスタフ・マーラー」
マーラーファン以外には全くもって勧められないけど、マーラが好きな俺としてはそこそこおもしろかった。それにしても、当時闘っていたんだよな、クラシックの人ってさ。
序章「われわれとマーラー」
p2
1、マーラーの復活
・ベートーヴェンよりもマーラーの方が現代の管弦楽の機能をフルに生かしている。
・マーラーは開放的で自由で柔軟で、感傷的なまでに情感的で、そうかと思うと急激な大爆発を起こすなど、音楽によって近代人の知性と矛盾と苦悩と弱さのすべてをさらけ出している。
P4
・「交響曲」とは、本来「声」と「楽器」が響き合う曲という意味。
P20
・1938年のウィーンフィル定期ライブでワルターが第九交響曲を録音した時の事について。
P22
・1925(大正14年)頃のラジオ放送では「鶏を絞め殺すようなソプラノ放送をやめろ」というような苦情がたくさん来ていたが、音楽ファンを増やす為に流し続けていた。
第一章「ボヘミアからヴィーンへ」
P28
1、少年時代
・1880年の七月七日〜1911年の五月十八日。五十歳。
・両親の夫婦仲は最悪で幼少期には多くの兄弟が早世に遭い、ユダヤ人としての疎外感を味わうなど思い出はあまり良い物ではなかった。
↓
14人兄弟の内、9人がマーラーの幼少時に死亡。成長した者の中にも犯罪者がいたり自殺者がいたりで天寿を全うしたのはマーラーと妹二人だけ(吉井亜彦「名盤鑑定百科(交響曲篇)」
)。
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マーラーの孤独感や瞑想的な要素、またそれとは正反対の激しい情熱や攻撃的な姿勢などは、こうした幼少期の体験と関係しているのでは?
・幼少の頃過ごした家の近くに軍隊の兵舎があり、ラッパの音楽が絶えず聞こえていた。
↑
マーラーの音楽にはトランペットがたくさん使われている。
・幼少の頃、民謡にハマりかなりの量を暗記していた。
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第三交響曲は二つの影響がみてとれる。
P36
2、嘆きの歌
・作曲のコンテストでは受賞した人の方が大成していない事の方が多い。
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規則通り、誤りなくし上がった凡庸的な作品の方が高い評価を受けるため。
P40
3、第一交響曲
・第一交響曲「巨人」(1884〜1888)
・第1楽章の序奏部には「自然の音のように」と記されている。
第二章「新しい世界への出発」
P54
1、第二交響曲(復活)
・第二交響曲「復活」(1887〜1894)
・この第二交響曲によってマーラーは世間に認められた。
P66
3、第三交響曲
・第三交響曲(1895〜1896)
・マーラーの音楽的想念としての着想の天才ぶりと、これら、言葉による着想の幼稚さ、平俗さの間の乖離は、ほとんど常識では理解出来ない。
・マーラーの音楽はスケールが大きいため、CDよりもコンサートの方がより魅力が伝わってくる。それがたとえアマチュアのオーケストラであったとしても。
P70
・冒頭のホルンや旋律は幼児期の環境(軍隊の寄宿舎の近くに住んでいた/民謡にハマっていた)がみてとれる。
P82
・第三交響曲の発表当時、この曲はとても新しい手法で作曲されていた為、批評家かの評価はまっぷたつに割れていた。
P88
3、第四交響曲
・第四交響曲(1899〜1900)
・第二楽章には「死神は演奏する」とメモがされている。
第3章「成熟と崩壊の始まり」
p96
1、「第五交響曲」
・1901〜1902
・アルマと出会う。
・アルマは音楽と二種類の造形芸術と文芸を順次、伴侶に選んだ。
・カラヤンは第五のトランペットにベルリンフィルのメンバーではなく17歳の少年を起用している。それは、その柔らかい唇からしか得られない音色をどうしても使いたかったからである。
P111
2、「第六交響曲」
・1903〜1904
・西洋の古典音楽では打楽器は、音楽にアクセントを付ける為の騒音、という固定概念がある。
・副題の「悲劇的」というものが日本ではよく用いられるが欧米ではほとんど使われない。
P123
3、「第七交響曲」
・1904〜1905
・明治時代「セレナーデ」は「窓下夜楽(恋人の部屋の窓の下で聴く音楽)」と訳された。
第4章「背後の世界の作品」
p134
1、 第八交響曲
・1906〜1907
・「千人交響曲」と名付けられた事をマーラーは嫌っていた。初演の合計は千三十人。
P148
・1907〜1908
・第五章は李白の「春日酔起言志」
人生は大きな夢だ。
あくせくするのは愚行だ。
だから一日中酔い廊下でごろ寝する。
目が醒め庭を眺めると鳥が花に来て鳴いている。
今は一体いつなのだと聞くと春風の中を飛び交う鶯が答える。
驚嘆してため息が出そうになりまた一人で杯を傾ける。
大声で歌って明日を待とう。一曲終われば気分も変わろう。
2、 第九交響曲(亡き子を偲ぶ歌)
・1909〜1910
・引用されている歌詞は「あの子達は、ほんのちょっと遠くへ行っただけなのだ」「あの子達は、ただあそこの高みに行っただけなのだ」「(われわれもあの子達を追い、高みに行ってみよう)陽の輝きの中を! 今日、あの高みは良いお天気だ」である。
第五章「開かれた終末」
p178
1、第10交響曲
・1910〜未完
・楽譜には「君ために生きよう、君の為に死のう、愛するアルマよ…」と書かれていた。
・マーラーの最後の言葉は「モーツァルト!」である。
・マーラーは口癖のように「やがて自分の時代がやってくる」と言っていた。 -
著者は、洋の東西を問わず広範な素材(音、言葉)を理知的にコラージュする音楽を多く生み出した。そんな著者が、同様の傾向を持つマーラーに惹かれるのには納得がいく。著者の文章は彼の音楽に似て理知的で、マーラーの音楽の魅力を伝えるというよりは、資料を基に論じるといった風であり、マーラーに興味を持つ人になら面白く読めるのではないか。