- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004302377
作品紹介・あらすじ
第二次大戦中、戦争画を描いた多くの有名画家たちがいた。また時局にささやかな抵抗を試み、描くことを拒否した画家たちもいた。著者は、彼らの根底に潜む人間の弱さを凝視しつつ、自らが画家であることを深く意識しながら、当時の画家の戦争責任を考える。藤田嗣治と松本竣介の2人を焦点にすえ、時代と向き合う芸術家の生き方を鋭く問う。
感想・レビュー・書評
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美術の思想は戦時下でも完全には朽ちぬ。
世界大戦を通して、戦時下で美術家達がどのような思想のもと作品を作り、発表したのかを読み解く。
特に第二次世界大戦下の思想統制、自由な表現者ができない中でも、各画家が何を思い、何を表現したのかを記述されている。
特に、日本だけでなく世界でも高名な藤田や、新人画会の「自由な表現」などから、一億玉砕が叫ばれる、個人の思想が許されない世界線の中でも、自由な思想と戦争に対する懐疑心を常に持ち続けながら作品を出展し、戦争を乗り越えた画家たちの思想を読み解く。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(2000.11.09読了)(2000.08.11購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
第二次大戦中、戦争画を描いた多くの有名画家たちがいた。また時局にささやかな抵抗を試み、描くことを拒否した画家たちもいた。著者は、彼らの根底に潜む人間の弱さを凝視しつつ、自らが画家であることを深く意識しながら、当時の画家の戦争責任を考える。藤田嗣治と松本竣介の2人を焦点にすえ、時代と向き合う芸術家の生き方を鋭く問う。 -
美術に於ける戦争責任を語る事に一体どう云う意義があるか.正直なところ私には解らない.例えば「蒙古襲来絵詞」に戦争責任を問う意味はあるか,「トップガン」に冷戦の一端を担った責任を問うのは妥当か.もしそれに意味があるとしたらそれは,当該の戦争が現代にまで弊害を齎し,それによって何らかの被害を受けた人々が居られる場合が考えられると思うが,そうでなければ単なる魔女狩りであり,そして魔女狩り的姿勢は,容易に権力闘争の手段として使われ得る.
著者は画家でもあるようだが,なぜ今の自分が戦争画の責任問題について一稿を草するに至ったかの立場を必ずしも明確にしていない.そのあたりが最も疑問に感じるところだ.