- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004308386
作品紹介・あらすじ
夏目漱石は作家になる前は俳人だった。特に英語の教師として赴任した松山時代から熊本時代にかけて、友人・正岡子規の影響もあって、句作に熱中し、新進の俳人として時めいていた。二千五百をこえる漱石の俳句から百句を選び、滑稽、ユーモア、ことばあそびにあふれる漱石俳句の世界を、漱石・子規と対話しながら紹介する。
感想・レビュー・書評
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現代俳句の代表作家の一人である著者が、漱石の俳句をフィクションながら、漱石、子規、著者の鼎談方式で鑑賞する(野心的な?)取り組みである。
小説家漱石になる前に既に俳人漱石としてデビューしていたとは知らなかった。もっとも漱石の親友である子規が選者となり、新聞その他に掲載したので、子規の贔屓の引き倒しと思いしや・・・子規は漱石の着想力を評価していたようである。
「明治29年の俳句界」という子規の評論が新聞「日本」に掲載された中で、子規は碧梧桐、虚子等の新派の俳人達を大々的に紹介したあと、漱石についても「漱石は明治28年始めて俳句を作る。始めて作る時より既に意匠において句法において特色をあらわせり。その意匠極めて斬新なる者、奇想天外より来りし者多し」
斬新さを好んだ子規は従来の発想法から飛躍した漱石の発想を評価していたのだろう。
・・・等々漱石の俳句の背景や当時の情況を色んな文献からの引用もふんだんに盛り込み、それを子規の口を借り、また著者自ら喋り、俳人漱石像を浮かび上がらせようとする試みは面白い。漱石の俳句に興味のある方は一読をお勧めします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
漱石、子規、著者の架空鼎談を通じて、漱石の膨大な俳句のなかから百句を論評したもの。架空鼎談は失敗作も多いけど(一人は相槌を打ってるだけ、とか)、本書は3者が突っ込みを入れ合ったりしていて、とても面白い。
「俳人漱石」はユーモアや余裕に溢れていたのに、そうした側面は、小説では後期3部作から失われていくようにも思われた。 -
もちろん子規の評価も大事だけど、<俳句的評価>が、必ずしも僕の云う「空間」と連動しているわけではないから、彼の見え方も知りつつ、でも自分は「相互浸透」や、「空間」「照応」のあるなしを感覚して、良しあしを見ていきたい。句会でもそれだけ評価はずれるわけだから。自分の眼を鍛えたい。あくまで「時間」「空間」の観点から、<詩>よして俳句を捉えること。
水仙の花鼻かぜの枕元
病あり二日を籠る置き炬燵
風呂に入れば裏の山より初嵐
★秋の川真白な石を拾ひけり
行けど萩行けど薄の原広し
秋風の一人を吹くや海の上
灯を消せば涼しき星や窓に入る
どっしりと尻を据えたる南瓜かな
山髙し動ともすれば春曇る
一里行けば一里吹くなり稲の風
梅の奥に誰やら住んで幽かな灯
肩に来て人なつかしや赤とんぼ
草山に馬放ちけり秋の空
ただ一羽来る夜ありけり月の雁
手向くべき線香もなくて暮れの秋
大慈寺の山門長き青田かな
弦音にほたりと落ちる椿かな
星ひとつ見えて寝られぬ霜夜かな
→寝られぬを、べつのいいかえに
真砂なす数なき星のその中に我に向かいて光る星あり
寺町や土塀の隙の木瓜の花
唐土干すや谷間の一軒家
灯を消せば涼しき星や窓に入る -
構成が面白い。
著者のあふれんばかりの尊敬と親愛が感じられる微笑ましい一冊。 -
[ 内容 ]
夏目漱石は作家になる前は俳人だった。
特に英語の教師として赴任した松山時代から熊本時代にかけて、友人・正岡子規の影響もあって、句作に熱中し、新進の俳人として時めいていた。
二千五百をこえる漱石の俳句から百句を選び、滑稽、ユーモア、ことばあそびにあふれる漱石俳句の世界を、漱石・子規と対話しながら紹介する。
[ 目次 ]
1 俳人になるまで
2 俳人・愚陀仏
3 二人句会
4 ときめきの俳人・漱石
5 俳人から小説家へ
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
著者が夏目漱石と正岡子規と漱石の俳句について鼎談しています。その設定だけでも面白いでしょう。