- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004311270
作品紹介・あらすじ
一度は通して読んでみたかったあの物語を、練達の案内人と共に楽しむ。講釈師演じる「語り物」から生まれた中国の白話長篇小説には、他に類を見ない面白さが満載。とりわけ五大小説を読むことは、まさに「小説」が生まれ成熟してゆく歴史に立ち会う、限りなく魅惑的な経験に他ならない。読後は原作に手がのびること請合い。
感想・レビュー・書評
-
三国志演義は類書もたくさん読んできて、なるほど、そーだよね!って共感するところが多かった!
西遊記は先月読んだこともあり、そういう見方もあったのかと目から鱗な場面が多かった。中国古典小説には、聖人君主のような出来上がった人格者ではなく、あくまで人間として、良いところもあるけど、悪いところもあるよね、というより人間性に目を向けた描写が多いように思う。仁義を強調するために、あえて脇役を役立たずにするとか、語り手の試行錯誤が見え隠れする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
蔵書整理で手放すので、再び出会い読む日もあるか
-
中野さんのを読むついでにこっちも読んだよ。西遊記のとこを読みたくて買ったので、前半は読んでません。
あらすじが多くて、さざっと全体をなでるよーに解説したみたいな感じ。三国志演義とか、他の小説との比較も多かった。 -
上巻は「三国志演義」と「西遊記」の解説。
両方とも部分的には内容を知っていても、作品そのものを(もちろん翻訳で、だけど)読もうとも思えない大作。
この本がきっかけで、読んでみようと思うかな~、なんて期待していた。
両書の共通点は、講釈師の話術に大きく影響を受けた作品であること。
「章回小説」という、一話完結型の物語が連なってできた作品であること。
しかし、物語の構成原理が全く違う、という話だった。
三国志は、曹操をトリックスターとして、大きな歴史の流れを起伏激しく描いていくのが特徴なのだとか。
一方、西遊記は、必ず三蔵が窮地に陥り、それを孫悟空が救うというお決まりの形式の安定感を楽しむものだそうだ。
こうした大きな話のほかには、やはり専門家ならではの細やかな分析がおもしろい。
例えば、三国志の蜀の最後の皇帝、劉禅。
何もしなかったことで生き延びた人であり、もし自覚してやっているのなら、とんでもなく聡明な人だったのではという見方は、ちょっと穿っている気もするけれど、おもしろい。
西遊記では、沙悟浄が「水怪」であり、実際にはどんなものなのか、具体的なイメージが描きにくいものなのだとか。(河童のイメージは日本で作られたそうだ)。
菩薩や玉帝といった聖なるものも、現実主義的で人間的な造形になっているとか。
で、この本で何か十分満腹になってしまった気がする。
やはり、「三国志演義」「西遊記」を読むことは…ないかも。 -
明清代に成立した中国の有名小説5編について、その概略とさわりの部分を紹介しながら、各小説の成立の背景や物語展開の特徴、他の作品との関連等をわかりやすく説いている。近年よく見る、ただ粗筋を追うだけの類書とは、比較するのも失礼。三国志の劉備も西遊記の三蔵法師も、物語の中心にいる人物が「何もしない」「何もできない」からこそ従者一同が大活躍できる構造になっている、という指摘に納得。各物語の大枠についての分析もおもしろかった。
-
入門書としては、非常に纏まっており、各小説を読む気にさせる。ただ、詳細な研究内容を記載しえないので、別途研究書を読む必要あり。
-
中国の「五代小説」のうち三国志演義と西遊記のあらすじを紹介している本。
とてもわかりやすく紹介されている。個人的には是非とも三国志演義を読みたくなった。