寺よ、変われ (岩波新書 新赤版 1188)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004311881

作品紹介・あらすじ

日本の寺は、いまや死にかけている。形骸化した葬儀・法事のあり方を改めるだけでなく、さまざまな「苦」を抱えて生きる人々を支える拠点となるべきではないか。「いのち」と向き合って幅広い社会活動や文化行事を重ね、地域の高齢者福祉の場づくりにも努めてきた僧侶が、その実践を語り、コンビニの倍、八万余もある寺の変革を訴える。

感想・レビュー・書評

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  • 「変われ」ということで先進的な取り組みができるところは僅かだろう。それ以外の、地域に密着しているお寺がどのようになるのか?
    興味深いところ。

  • 杜康潤さんの「坊主DAYS」を読んでいて、期限付きとはいえ修行は本当に大変そうな印象でしたが!!(杜康さんのお兄さんは臨済宗の住職さんですね。)
    この本だとその修業編はさらりと終わり、その後の感性も干からびてルーティンワーク化した住職さんの退屈な日々の赤裸々な告白にまずびっくりしました。正直過ぎる…。
    しかしその後人が変わったように精力的な布教活動、というより人の魂だけではなく生活そのものまで対象とした救済活動に猛進。
    本当に、素晴らしいです…。
    「イベント坊主」、結構ではありませんか!
    この調子でお寺さんにがんばってほしい、と素直に応援できる一冊でした。

  • onRadio?
    sainsational, but.....
    -----
    『日本人のための仏教ガイド』、仏教基本書
    『ブッダの考えと仏教のことがわかる本』、同上、
    永田美穂、以上120628ビーバップ6ch.
    『未来国家ブーダン』、by朝日120506
    『日本仏教から見たブータン仏教』、2005
    『ブータンに魅せられて』、2008、以上京大こころ研.

  • 寺が日本文化に貢献する方向で変わることを願う著者。

    「イベント坊主」と呼ばれても頑張る姿には頭が下がる。

    ペルーのカトリック大学へ行ったら孔子の研究所があった。

    寺が、アジア地区の宗教、文化の中心になることを願う。

    国際的な視点と、アジア地区の友好の拠点となって欲しい。

    神社ではできないことをやらないと意味がないと思う。

  •  104ページの「禅」の教化研究会の話が印象的だった。
    「寺に人を集めるには、どうしたらいいのか?」という問いに対して、「自分の心を磨く」と答える人が多いとのこと。
    「自分の心を磨く」ことそのものには誰も文句がつけられないが、問いの答えにはなっていない。
    その人たちの気持ちは、よくわかる。なぜなら、私も昔はそうだったから。
     「どうやって店の売上をあげるか」の問いに対して、「まずはお客様をよく見て、ひとりひとりが自覚するべき」と考えていた。
    やっぱり答えになっていない。(笑)
    問いに答えていないことは、ある程度自覚していたけれど、私の心の底には「ろくに自覚のないあなたに、自覚のある私がそんな質問をされること自体が不愉快」という意識があった。
    この態度が、具体策もないくせにやたらと他人に批判的という評価になったと思われる。
    具体策は、私の顧客対応術(気の利いた接客、まめな手紙出し)だったのだけど、もともと顧客に目を向けていない人に私のよさは、わからないのだ。
    それが激しい他人批判にもつながった。
    逆に顧客に目を向けている人ならば、すぐに私がどれだけりっぱかがわかると思っていた。
    (ただ他人は、自分がやっていることの価値を自己評価の7,8割くらいにしか評価しないものだ。ましてや嫌いな人の評価は半分くらいになってしまうだろう。嫌われ者の私の評価が低いのは当然だった。)
     ということは禅僧で「自分の心を磨く」と言った人たちもお前の心を磨けと言っていたのかな。
     

  • ドラッカーは、「世界で最も古い非営利公益組織は日本のお寺である」と言っています。同時に「非営利公益機関は、その使命に基づき、人と社会をより良く変革していかねばなりません」とも述べています。私はクリスチャンですが、この本はとても参考になりました。宗教者として私たちな何をすべきなのかを深く考えさせられました。3.11以降の社会の在り方を想う時に、そのキーワードは変革だと思います。変わるべきは、私たちひとりひとりなのです。

  • [ 内容 ]
    日本の寺は、いまや死にかけている。
    形骸化した葬儀・法事のあり方を改めるだけでなく、さまざまな「苦」を抱えて生きる人々を支える拠点となるべきではないか。
    「いのち」と向き合って幅広い社会活動や文化行事を重ね、地域の高齢者福祉の場づくりにも努めてきた僧侶が、その実践を語り、コンビニの倍、八万余もある寺の変革を訴える。

    [ 目次 ]
    プロローグ―世界は「苦」に満ちている
    第1章 寺は死にかけている
    第2章 なぜ仏教の危機なのか
    第3章 苦界放浪―いのちの現場へ
    第4章 寺よ、変われ
    第5章 葬儀が変われば、寺は変わる
    エピローグ―寺が変われば社会は変わる

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 私は、著者と同じ宗派の臨済宗。
    臨済宗はもともとさほど縛りが少ない。
    ゆえに自由な発想が生まれるのか。
    それを実行するのも大変なことだ。

    10/04/17/52

  • 長野県にある神宮寺の住職である筆者は、形式的に葬式を行なうことのみに特化しがちなお寺やお坊さんたちの現状を憂い行動されている方です。お寺は形式的な葬式でのみ外部とつながり、人々が死と向き合う際の痛みを軽減するなど、より一層必要とされるような関わり方ができていないと述べられています。お寺が必要とされるのは、お寺を開放したり人が集まる催しをするなど理解を広げると共に、葬式に必要なお金を軽減したりや葬式の際に本人や家族の意思を反映した形で行なうべきと書かれています。お寺の世界は保守的な部分も多く様々な意見が出るとのことですが、積極的に行動されている姿に共感がもてました。(2009.10.5)

  • 弟のためと思い読んでみました。なかなか鋭い。でも実際にやるのはとても大変そうです。弟に読ませて感想聞きたい。

  • ★形骸化した葬儀・法事/日本の寺はいまや死にかけている

    ★コンビニの倍の八万余もある寺の変革を訴える書

    この国の生と死にかかわる重大な事柄が、今まさに大問題として横たわっています。

    誕生の要である産科医師の数が、様々な訴訟事件絡みでとんでもなく不足しているとか、死をつかさどる葬儀社やお寺が独占的退廃というか、高価な葬儀プランを押しつけたり、遠い場所にある墓参りに悪天候でも出かけて行く無意味さ、仏事を特権的に取り仕切るお坊さんの存在価値の希薄さ、例えば読経ひとつでも素人の私の方がもっと上手にありがたい感じに唱えることができるのですから、ともかく限りなく葬式仏教を温存固定化している現状はすべからく打破すべきみたいな重要問題が袋小路に入ったままです。

    寺よなくなれという思いを幼少の頃から持って来て、最近ますます強く抱いている今日この頃ですが、葬式仏教にはもう何の意味もないということを、21世紀の今そろそろ国民的理解として波及させるべきかもしれません。

    幼いころから父母の親戚関連で15、6回の葬儀に京都・滋賀・長野・北海道・千葉・埼玉・岡山などその土地ごとの異なる風土に根ざしたお葬式風景・作法を体験しましたが、それはそれで貴重な伝統的儀式としての意味があるとは思いますが、それらは自分たちの手で、いわば自主管理的で行えばいいのであって、高いお布施を出して読経を頼んだり戒名をつけてもらう必要はまったくないと思います。

    実際どう贔屓目にみても下手な読経を我慢するのも苦痛ですし、お坊さんのスケジュールに合わせて法事の日時を変更するなど本末転倒も甚だしいこともあったりします。今までほとんど幻滅だったので、この本もどうせと期待もしていませんでしたが、意外や意外こんなに積極果敢なお坊さんもいるのかと驚きました。

    今年64歳の著者は、33年前に戦死した日本軍兵士の眠る南島に慰霊に行った時、恐ろしい気配で迫ってくる亡霊の泣き叫ぶ声を聞いて衝撃を受け、仏教徒としての姿勢を改めたといいます。そしてその後、チェルノブイリ原発事故で被曝した子供たちへの支援活動や、お寺を開放して「いのちを学ぶ」講座を催したり、社会に開かれたお寺を追求・実践してきました。

    南島でのリアクションにおける感受性・思惟のすばらしさ、その後の僧侶にあるまじき逸脱した活動、まるで親鸞か日蓮のような。
    亡くなった人たちだけでなく生きている人を救う仏教を、というのが著者の熱い思いだということがビンビン伝わってくる本です。

    [更新日]2012年07月31日

  • 日本には4万店のコンビニの倍以上の8万のお寺があるそうだ。そのお寺が、現代社会に起きている難問に立ち向かうとしたら、日本は必ず良い方向に舵を切ることができるだろう。その為には、情報公開を徹底し、地域のコミュニケーションを活性化させ、現代の生・老・病・苦に寄り添うような、生きるための仏教に立ち返ることが必要だ。

  • 昨晩、書店で高橋卓志著『寺よ、変われ』の書籍に目が留まり購入しました。

    まだ、積読しただけなので詳細は分かりませんが、僧侶として宗教活動を重視するのは言うまでもありませんが、そのほかにも、葬儀を待っているだけでなく社会活動や文化活動をとおしてお寺に関心を抱いてもらうコミュニティの輪を広げていく重要性が述べられています。

    神社も同じでないかと思います。

    日本文化である神祭りを重視しながら、みなさまに神道の素晴らしさを積極的にPRしていくことはとても大事なことだと思います。

    後ほど、ゆっくりと読んでみたいと思います。

  • 誰がどう見ても「スーパー僧侶」。自身がどう考え、どう行動したか、迫力ある言葉で語られる。特に30歳の時、セブ島での「回心」のくだりは出色のドキュメントだ。

    部外者から見れば「スゴい坊さんがいるもんだな」といったところだが、問題は、この人の言動が仏教界でほとんど総スカン状態にあるらしいこと。この本を読んで、「よし、俺も」と考える僧侶も、ほとんどいないだろう。そこが、日本仏教界の病巣の深さを物語る。

    個人的には、坊主は葬儀や法要から身を引き、それを収入源とすることを一切やめるべきと考える。さすがに著者ほどのスーパー僧侶でも、そこまでは考えないようで。それが、残念と言えば残念。

  • (2009/5/28読了)ホント日本の伝統仏教は瀕死です。檀家制度じゃ今の60代以上がいなくなったら未来はないだろうに。こういう風に斬新な取り組みをしている僧侶が増えれば、起死回生のチャンスはあるか。

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著者プロフィール

1948年、長野県に生まれる。龍谷大学文学部卒。1990年、神宮寺住職。2018年、神宮寺退職。NPO法人ライフデザインセンター理事、龍谷大学客員教授。1991年から1997年の6年間で36回チェルノブイリに通い、医療支援活動を行うなど、「四苦(生・老・病・死)のケア」を実践している。著書に『チェルノブイリの子どもたち』(岩波ブックレット)、『寺よ、変われ』(岩波新書)、鎌田實医師との共著『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)など多数。

「2018年 『さよなら、仏教』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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