フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳――いま、この世界の片隅で (岩波新書)
- 岩波書店 (2014年2月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004314714
感想・レビュー・書評
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マララさんのノーベル平和賞に関わる諸々の報道があって、『カーリーⅢ』でインドって怖いなと思って、そのあと後藤健二さんの事件があって、日本の常識ではフィクションにさえ思えてしまう日常が世界にはあるということを、根本的に私は知らなすぎるのではないかと思ってもう一度ちゃんと読んでみた。写真とそのキャプションを眺めているだけでも、世界の見方が変わる。
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本屋で岩波新書のコーナーを歩いていたら「林典子」が目に飛び込んできた。いつかのナショジオでキルギスの誘拐婚の記事を書いた人で、その後のナショジオでナントカ賞を受賞したことや写真集を出したことなどを見ていて名前に覚えがあった(確認すると2013年7月号だった)。手に取って「やっぱりあの人だ!オレの記憶力もまんざらでもないな」と一瞬得意になったけど、著者名のフォントはけっこう小さいし、帯には顔に硫酸をかけられた女性のインパクトの強い写真が載っているし、次の瞬間には「自分は本当に著者名に反応したのか?」と疑心暗鬼になった。本書との出会いはそんな具合だったわけだけど、購入を即決してすぐ読んだ。出会った偶然に感謝。
本書は6章からなり、「第一章 報道の自由がない国でーガンビア」、「第二章 難民と内戦の爪痕ーリベリア」、「第三章 HIVと生きるーカンボジア」、「第四章 硫酸に焼かれた女性たちーパキスタン」、「第五章 震災と原発」、「第六章 誘拐結婚ーキルギス」で構成されていて、著者が大学を休学してガンビアに渡ったところから時系列に並んでいる。
ガンビアと言えば、前『和風総本家』というテレビでテレビ局(国営だったか?)のクルーが日本を訪れ、ガンビアに日本を紹介する番組を作っていたが、まさかこんなに報道が規制され、ジャーナリストが命を狙われたりしていたとは。あの番組では全然悪いイメージを持たなかったので今回驚いた。
どの章も重く心にのしかかってくるような内容だったけど、パキスタンの、女性が顔に硫酸をかけられるというのは本当に痛ましかった。結婚や交際を拒否したり、浮気の疑いをかけられた女性が、名誉を傷つけられたとする男や近親者から報復として顔に硫酸をかけられる事件が後を絶たないという。写真の威力は強力。顔なんてちょっとした違和感でも目立っちゃうのに、こんなふうに顔面を破壊されてしまうなんて。若い女性ばかりだからなおさら気の毒。それでも被害者の女性たちが現実を受け止めて強く生きていく様子が紹介されているのはよかった。被害者の女性の「弁護士になって同じ硫酸被害に苦しむ女性の権利を守りたい」という夢はぜひ実現してほしい。
キルギスの誘拐結婚はナショジオに続いて二度目だけど、改めて考えさせられる。一目ぼれ同然の女性を無理やり誘拐して結婚に同意させる。一度男の家に入った女性が出てくることは恥ずかしいことという価値観も手伝っているよう。自殺してしまう被害者もいるし、同意して結婚したものの夫から暴力を受けて後悔する女性もいる。一方で「誘拐されたけど、今は結婚して幸せだ」という女性もいる。
19世紀以前の誘拐結婚とは、両親に決められた相手との結婚を拒否した恋人同士が駆け落ちすることだった。そして、駆け落ちの誘拐結婚が、「伝統」としてここ半世紀の間に、現在の暴力的な誘拐結婚の形にねじ曲がって伝えられたという。信じられないような話。
結婚について、恋愛結婚に任せていると日本のように未婚・晩婚が増えてしまうのである程度強引な手段もありなのではないかという気もしている。ここで紹介されるような誘拐はめちゃくちゃだけど。
写真を扱う本が新書で出るというのは果たしてふさわしいのかという疑問があったけど、価格、大きさの面からもお手ごろだし、たぶん岩波文庫/岩波現代文庫より多くの人の目に入る。近年やたらと立ち上がった他の新書レーベルじゃ信頼感もないし、やっぱり岩波新書くらいで出るのがふさわしいし多くの人に読まれる気がする。
あとがきより「見たくないから見ないといえば、それで済んでしまうのが日本で暮らしている私たちの日常かもしれない。ただ、世界には見たくないと思っていても、見なくてはいけない問題に直面しながら生きている人びとがいる。」結局テレビでもネットでもほとんど見たいものだけを見るばかり。意識的にこういう本などに接していきたいと思う。 -
年若く、キャリアも浅いのに、ここまでの仕事をしていることに感心する。
個人的に人権派というのはどこか胡散臭く、信用していないのだが、虐げられた人々に寄り添いながら情景を切り取る(フォト)ジャーナリストというのは、シャッターを押すたびに身を削る思いをしているのではないか。
テーマごとのレポでありながら、通読すると著者の成長譚にもなっている。
東日本大震災の際に立入禁止区域まで入り込んで取材をしたのが海外メディアだけであった、というところに本邦マスコミの限界を見る。 -
きちんと生きている人の仕事は尊い
ここに紹介される
人たちは いずれも
なんらかの意味で人間としての尊厳を
剥奪された人たちである
林典子さんは
その人(被写体)に寄り添い
その人の心に寄り添えることができた時だけ
初めてそっとシャッターを切る
その人たちに
写真を撮るという作業を通じて
その人たちが
剥奪された人間としての尊厳を
もう一度取り戻しておられる
ように 感じる -
人間の尊厳をテーマに世界各地の社会問題を取り上げた新書。フォトジャーナリストの筆によるものだが、新書だけに写真は少ないが、写真だけでなく文章にも迫力があり、強く心に残った。
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特にパキスタンの被害者の写真が衝撃的だった。女性フォトジャーナリストが、被害者達と心の交流があって初めて撮られた貴重な写真とルポルタージュなので、直視すべき悲しい現実を鮮明に突きつけられた。
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本書で今まで目を向けないできたことを、知ることとなった。自分が育ってきた環境や、いかに平和ボケしているかを痛感した一冊だった
ネットを見ていてもたまにこのような記事や、写真をみることはあるが、本書のあとがきにもあった通り見たくないから見ないことができるのが私たちで、私はショッキングである内容に目を背けて来たが、見たくないと思っていても目を背けられない問題に直面しながら生きなければいけない人がいると言うこと、筆者の諦めずに世界で起きている様々な問題を伝えようと言う姿勢が写真や文面からひしひしと伝わり、自分に対し情けなさや恥ずかしさを感じた -
日本人の常識では考えられないことが世界各地では起きている。日本人とまで言わなくても、私自身がこの様な世界の事実を知ったのは本書が初めてであった。ニュースで流れるウクライナ戦争、アフリカスーダンの内戦も繰り返し何度も放映され、気がつくとその様な大きな出来事をテレビやインターネットから断片的に得ているだけであった事に気がつく。ニュース番組も勿論視聴者の興味を惹きつける事件や出来事を優先的に流さざるを得ないと思うし、世界で起きてる出来事全てを流すことは時間がいくらあっても足りない。だから大きなニュースから優先的に、事の重大さに比例した時間枠が取られるのは当たり前だ。それを否定するつもりも無い。
だが考えてみるとそれも随分身勝手だなと感じる。要するに自分主観な考え方なだけだ。ニュースで流れる内容だけが世界の全てでは無く、そこに暮らしている人から見た重大さは私とは異なる、こんな当たり前の事でも日常生活では容易に勘違いして生きている。
本書は筆者の学生時代の経験やその後ジャーナリストを目指す中で感じてきた想いをストレートな文章とその場を切り取る写真で構成されている。私は趣味レベルの写真技術しか無いから、技術などは語ることが出来ないが、そこに居る人々の感情が写真の表情から十分に伝わってくる。勿論文章があることでより一層鮮やかさを増しているのは間違いないが、筆者の想いは十分に伝わってきた。
馴染みのないアフリカの国々、観光地とでしか知らないアジアの国、そしてソ連崩壊後の東アジアの独立国。そこには我々の常識では到底考えられない事件や慣習が存在する。驚きと恐怖で読み進めるが、実際にそこにいた人々や筆者にとっては想像できない様な悲しみや絶望を感じさせたであろう。自分の病気も知らない子供や、それを見守る親族たちのどこにもぶつける事が出来ない叫びを感じる。
そして震災で原発事故により入る事さえ困難だった地域での活動では日本人の良さも改めて感じる事が出来た。同時に未曾有の被害をもたらした地震と津波の恐怖を瓦礫の中に見た。
私は如何に自分目線で世界を捉えてしまっていたかという深い反省とニュースやジャーナリズムの限界、困難さを理解する事となった。
筆者も伝える事を仕事にし徹底的に懐に入ろうとするがそれも簡単な事ではない。言葉の壁、習慣の違い、経済的な問題など苦しい状況でも決して諦めない筆者の姿には世界が知らない、目を遠ざけている真実を伝えたいという想いが十分に伝わってきた。
危険な世界ではある。だからこそ価値がある文章や写真なのではない。危険な世界の背景にどの様な原因や経緯があるのか、真実に立ち向かっていく筆者の姿勢を垣間見る事で、視野を広げると同時にその様な真実に立ち向かうには我々に何が必要なのか、それを問いかけられ続ける。真実はそれを受け入れて懸命に生きる人々それぞれに存在している。 -
同じ女性として、ショッキングな内容が多い。
特にキルギスでの誘拐婚
都市に住む女性が無理やり郊外の昔ながらのコミュニティが根付く場所へ誘拐され、そこの男性と結婚させられる。親族の説得や「伝統だから」という社会観念から、根負けして結婚を受け入れる。
相手も、一度か二度しか会ったことないのに…
写真だからこそ、被害者の絶望や諦めが言葉以上に伝わる
「写真を撮るなら、被害者を助けるべきなのでは?」という意見がある一方で、著者の立場は、自分が育ってきた環境とは異なった社会を切り取るとき、他者である自分がどこまで介入すべきなのか?を考えさせる