- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004314882
感想・レビュー・書評
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日本の移植医療をめぐる問題を論じた一冊。
移植医療といえばまっさきに頭に浮かぶ脳死のみならず、生体移植や細胞までひっくるめた移植医療の問題について。
とはいえ「脳死は人の死か」に代表される生命倫理にはあまり踏み込まない。
この本のテーマは日本でのルール(の無さ)への問題提起にしぼられている。
だから論点が明確で読みやすい。
日本では最初の心臓移植にけちが付いたこともあって、議論が技術の信頼性に終始してしまい、移植医療のルールがきちんと整備されないまま今に至るらしい。
「人から人への移植」を一元的に管理する法や機関はなく、問題が起こるたびにそこだけ応急処置をして、結果、穴だらけの体制になってしまった、と。
こういうのを読んでるとつくづく日本は「全体を見る」とか「なんのため」を考えるのが苦手な国なんだなとうんざりしてしまう。
どうして人権関係になるとこうもダメダメになってしまうんだろう。
出てくる話がみんな怖かったけど、生体移植の部分が特に恐ろしかった。
生体移植は人身売買や強制のおそれをぬぐえないし、健康な他者を傷つける。
だから、世界的にはなるべく避ける流れになっているが、日本では生体移植が主流。
チェックもゆるいからすでに臓器売買事件が起こってしまった。
赤の他人の売買はともかく、強制は脅迫によるものだけじゃないから避ける方法があるとは思えない。
生殖医療もそうだけど、「家族なんだから当然」「見捨てるなんて人でなし」というプレッシャーから断れない人がきっといる。
母親が幼児への移植を拒んでも尊重されるくらいの状況じゃなきゃ「自由意思」なんて確認できない。
疑問だったところ。
臓器移植は日本の死生観に合わないから定着しないという説がよくあるけれど脳死者が使者に見えないのは万国共通で云々という部分。
話の枕ではあるけれど、脳死の拒否と死体観って関係あるのかな。
遺体を傷つけたくないということであれば脳死も心臓死も同じだ。
(体が欠けたら天国に行けないという発想も日本特有じゃない。キリスト教でもエジプトのミイラでも中国の宦官でも「体のパーツをそろえて埋葬する」エピソードを読んだことがある)
むしろ生体移植への抵抗の無さに儒教的な感覚があるような気がする。
親の病をいやすために自分の股の肉を食わせたという孝行話や、処女肉を食わせるための殺人事件とか聞いたことあるぞ。
でも生体移植重視は「東アジア」ではなく「日本」の特徴らしい。
ううん。やっぱり感性よりシステムかなあ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
勉強になりました。