孫文――近代化の岐路 (岩波新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316138

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/706063

  • 辛亥革命で大きな役割を果たし、現在も、中華民国(台湾)では「国父」として、中華人民共和国では「革命の先行者」として尊敬されている孫文の評伝。「民主」と「独裁」という相矛盾するかにみえる2つの道を追究した「ヤヌスのごとき革命家」としての孫文の生涯を描いている。
    孫文については、「辛亥革命」の立役者だが、いつの間にかどこかに行ってしまったというくらいのイメージしか持っていなかったが、壮大な理想主義者でありながら、目的のためなら手段を選ばないマキャベリストの面があったり、何度も蜂起に失敗して長い漂白の時代を過ごしていたりと、本書によりその人物像がくっきりと見えてきた。正直、だいぶイメージが変わったと言ってよい。これまで「人々に慕われる仁徳者」のようなイメージを勝手に抱いていたが、かなり人間臭い人物だったんだな、という印象を持った。日本との関係が思っていたよりも深いことも、知ることができた。
    また、下(地方・社会・部分)へ向かう「放」(分散・自由)と、上(中央・国家・全体)へ向かう「収」(集中・統制)という2つの力のせめぎ合いとして孫文を巡る中国近代史を描いているのが、興味深く、また、納得感があった。

  • 孫文の一生。民主と独裁を指向したヤヌス。革命後の状況は収と放の交錯。

  •  孫文は「マレビト・トリックスター」「独裁志向の民主主義者」。清朝から中華人民共和国に至るまでの中国の体制は「収」(中央集権)と「放」(地方分権・分裂)の関係。筆者はこれらのキーワードを各時期を跨ぐ串のように繰り返し使っている。
     孫文は、20代から革命組織のリーダー格であったとは言え、実際にはカリスマ性に依拠し国内に勢力基盤をほとんど持たなかった。筆者はそれ故に辛亥革命に際しては余人には果たせぬ役割を果たすことになったとしているが、国内の安定化にはやはり袁世凱や(本書ではほとんど触れられていないが)蒋介石のような実力者が必要だったのではないか。
     また、孫文の「三段階革命論」。戦後の台湾は奇しくも「憲政」にまで至ったと言えるが、大陸の方がむしろ孫文が目指しある程度残した「収」と党国体制を強固に残しているのだろう。

  • 「孫文」深町英夫著、岩波新書、2016.07.20
    228p ¥907 C0222 (2017.09.26読了)(2017.09.14借入)
    副題「近代化の岐路」
    孫文というと「辛亥革命」「三民主義」などが浮かんでくるのですが、中国の近代史を読んでも、孫文の名前があまり出てきません。どうしてなのだろうと思っていたので、図書館の岩波新書コーナーで見つけたのをこれ幸いと、借りてきました。
    孫文は、1866年に生まれ、1925年に59歳で亡くなっています。
    13歳でハワイに移住し、そこの学校で学んで、17歳の時香港に戻っています。20歳で医学を志し、26歳で卒業し、医院に勤務しています。
    1893年、27歳、政治活動開始。ホノルル、香港、横浜、ロンドン、東京、ニューヨーク、シンガポール、などを巡りながら、同志を募り、何度か中国での蜂起実施。
    1911年~12年、辛亥革命。1912年、南京で中華民国臨時大総統就任。宣統帝退位。
    この後、大総統は、袁世凱に譲っています。
    孫文は、自分で実際の政治をやりたい人ではなかったようです。中国での活動よりは、国外での活動のほうが多いようです。
    孫文は、世界に先駆けて民主化の運動を始めたけれど、理論は考えるけれど、自分でそれを実現するために先頭に立って現場に立つというひとではなかったようです。世の中に合わせて理論を修正したり、妥協したりという柔軟性はありますが、自分で指導力を発揮しながら世の中を変えていく力量までは持ち合わせていません。中国国内で財力と軍事力を蓄えている人たちにはかなわなかったということでしょう。

    【目次】
    はじめに―岐路に立つ男
    第1章 天は高く皇帝は遠し
    1 帝国の片隅で
    2 興中会
    3 世界を味方に
    第2章 漂泊の預言者
    1 弟たち
    2 中国同盟会
    3 橋頭堡を求めて
    第3章 千載一遇
    1 地殻変動
    2 辛亥革命
    3 新紀元
    第4章 ヤヌスの誕生
    1 うたかたの夢
    2 中華革命党
    3 孤高の領袖
    第5章 最後の挑戦
    1 危うい橋頭堡
    2 中国国民党改組
    3 共和国の首都へ
    おわりに―ヤヌスの行方
    あとがき
    略年譜
    索引

    ●興中会(23頁)
    「韃慮を駆除し、中華を回復し、合衆政府を創立する」
    (「韃慮」は満州人の蔑称です。清朝は満州人の王朝です。満州人の王朝を滅ぼして、漢人の国を回復しよう、民衆の国を作ろう。)
    ●光緒新政(44頁)
    科挙の廃止であり、欧米・日本留学の推奨である。
    ●国家社会主義(124頁)
    「地権を平均する」という従来の主張に加えて、カール・マルクスをも参照しつつ、銀行・鉄道・水運などの重要産業を国有化して、大資本家の出現を防ぐという「国家社会主義」、すなわち国家が経済活動を管理下に置くことにより、社会の分極化を抑制するという構想を繰り返し説いた。
    ●鉄道敷設計画(127頁)
    孫文の構想は外国からの借款により、南路(広東―チベット)・中路(江蘇―新疆)・北路(直隷―モンゴル)の、三路線を敷設するというものであった。
    ●宗慶齢(146頁)
    1915年9月1日に孫文は妻の蘆慕貞を東京に呼び寄せて離婚し、長年の支援者である上海の実業家・宋嘉樹の次女で、アメリカのウェスイレアン大学を卒業した22歳の英文秘書・宗慶齢と、自身が49歳になる直前の10月25日に結婚し、翌々日に梅谷庄吉宅で披露宴が開かれている。
    ●『孫文学説』(158頁)
    1919年6月5日、彼は自身の哲学思想や政治思想を集大成し、独自の革命哲学として理論化・体系化した『孫文学説 行うは易く知るは難し』を上梓する。
    「知者」たる自身が「行者」たる国民に対して、彼の革命理論(知)に賛同して革命実践(行)に参加するよう促すというのが、同書の基本姿勢である。

    ☆関連図書(既読)
    「坂の上の雲(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1978.01.25
    「日清戦争-東アジア近代史の転換点-」藤村道生著、岩波新書、1973.12.20
    「日清・日露戦争」原田敬一著、岩波新書、2007.02.20
    「李鴻章」岡本隆司著、岩波新書、2011.11.18
    「中国の歴史(12) 清朝二百余年」陳舜臣著、平凡社、1982.12.15
    「中国の歴史(13) 斜陽と黎明」陳舜臣著、平凡社、1983.03.07
    「中国の歴史(14) 中華の躍進」陳舜臣著、平凡社、
    「世界の歴史(9) 最後の東洋的社会」田村実造著、中公文庫、1975.03.10
    (2017年9月27日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    中国で最も早く「専制王朝の打倒」と「民主共和国の樹立」を唱えた革命家は、その後、党による独裁的支配を提唱した。民主と独裁という相矛盾するかに見える二本の道がやがて出会い一つとなることを、奇妙なことに彼は信じてやまなかった。さながら二つの顔を持つヤヌス神のごとき相貌を示した孫文の思想と生涯。

  • 孫文は辛亥革命を成就させた英雄だというようなイメージを漠然と持っていたけれど、この本では、コウモリのような外交姿勢や臨機応変な妥協、二転三転する理念にもかかわらず、権力掌握がなかなか上手くいかないトリックスターとして描かれていた。確かに彼は中華の理念を掲げてはいたが、その内実には一貫しているところだけでなく移り変わるものもあった。辛亥革命においては華々しく臨時大総統に就任したが、袁世凱に譲らざるをえなかったし、なかなか頂点には立てなかった。頂点に立てないだけでなく、広州という地盤すらしばしば危うかった。
    また、「ヤヌス」という面も強調されていた。一方で民主主義を掲げつつ、その実現の手段として党による独裁を主張する。その二面性ゆえにこそ、共産党・国民党の両方から「国父」という評価を受けるのだろう。
    彼のなかでの中国解放の理念が、ハワイ王国の政治のイメージから影響を受けているというのは面白かった。
    あと、中央政府の力が弱まって地方自治の機運が高まったり、サロン的な中間団体がどんどんできたり、出世のルートが多元化したり、世界中の華僑のネットワークが力を持ったり、いろいろな過程が同時進行している清末のワクワク感。

  • チェ・ゲバラのイメージからは程遠い。

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。
    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=7914

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著者プロフィール

中央大学経済学部教授

「2005年 『アジア経済のゆくえ 成長・環境・公正』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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