虚偽自白を読み解く (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004317333

感想・レビュー・書評

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  •  やってもない人がなぜ罪を告白するのか、やってもない犯行についてなぜ具体的に語れたことになってしまうのか、自白が嘘であることをどう証明するのか、自白に落ちる被疑者の心理、捜査官や裁判官の心理について、過去の具体的な事件をもとに説明した本。
     2年以上前に、中公新書で別の著者の『証言の心理学ー記憶を信じる、記憶を疑う』という本を読んだことがあった。その中でも供述分析の話があって、ブクログの当時の記録を読むと「そんなに興味深くは読めなかった」とおれは書いたが、この本はほとんどが「供述分析」で、話は分かりやすく、それなりに興味を持って読むことができた。ポイントの1つは「逆行的構成」、つまり「無実の人が自白に落ちて犯行筋書を語るときは、犯行の結果たる事後の『事実』がまず与えられている。そのうえで、それを自分がやったとすればと考えて、そこからそれまでの『計画』や『準備』、そして『犯行』の流れを『逆行的』に構成する」(p.193)というプロセス。だからこそ、突っ込んでみると矛盾や無計画さが露呈してしまう、という話で、いかに矛盾しているかを突くことで、被疑者の自白は虚偽であることを証明する、というような話だった。実際、足利事件、清水(袴田)事件、狭山事件の自白内容を検討していき、確かに不自然かつ言わされた、という感じがよく分かる。「賢いハンス」という、周りの人の空気を読むことで、求められている答えが分かってしまうという、そういうことが動物じゃなくても人同士でも起こるのか、ということに、少し驚いた。
     あとは、取り調べの様子というのが、実際のテープを起こしたやり取りが紹介されているが、生々しくて、ちょっと読むのがつらい。「『な、な、素直になって、勇気を出しなさい、勇気を。ね。勇気を出して謝罪しなさいよ。な。そんなことで頑張ってるじゃない、袴田』『袴田』『な。袴田。』『被害者に、あ、謝るのがだな、おまえ救う道だよ。』」(pp.82-3)という、こんなことを延々と寄ってたかって言われ続けて、自分の言い分は一切聞いてもらえず、密室空間で孤立無援で長時間暗示にかけられたら、そりゃ精神的に参ってしまうだろうし、自白をして、そこから犯人を演じ続けるというのも、そんなに異常なことではないということがよく分かった。もし万一おれにこういうことが起きたら、一体どうなるんだろう、と思うと、怖い。
     ここからはこの本とは直接関係ないのだが、最近こういう本を読んでみたのは、実は最近、ある企画で「模擬裁判」というのがあって、おれがたまたま被疑者役をやった、という経験をしたからだった。検察官役の人に「なんでやってもないのにやった、って言ったんですか」とか、「やってもないのに、なんでここまで具体的に語れたんですか」みたいな質問をされた。その時に、本当にたまたま2年以上前に『証言の心理学』を読んでいたことがすごく役に立った。しかもおれは模擬裁判とか一切やったことも見たことも、もっと言うと本当の裁判の様子もあまり知らないので、あんなアドリブの要素があるなんて思ってなくて、正直半ばうろたえそうになったが、『証言の心理学』を読んでいたことが自分を救ってくれた。(…知ってたら直前にちょっと読み直すとか、この岩波新書を読んでたりとかしてたのに。とか少し思ったりして。)という訳で、やっぱり色んな本を読んで、こうやって記録をしておくというのは大事なことだなあと、勝手に思った。でも、もし例えばおれが極度に口下手だったら、とかあるいは本物の裁判ならあそこまで適当に話せないだろうし、とかあるいは検察官がものすごい怖い雰囲気の人だったら、とかを考えると、裁判って怖いと思う。発言の仕方やどれだけ喋れるかということが、有罪無罪に影響を与えるのだとすれば、裁判って何なんだろう、とかを考えたきっかけになった。そういう、普通なら出来ないような経験をするという、貴重な機会を得られて、本当に幸運だったし、この機会を与えてくれた人に感謝したいと思った。(18/10/02)

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=24002

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB26654320

  • いやあ、なんとも・・・・・。
    現に再審で無罪と確定した判断が示された足利事件があるので、説得力が出てきている。そうでもなければ、無罪の人が「犯人を演じる」「犯人を演じるしかない」という事態があるなんて、ちょっと想像もできなかったし、にわかには信じられなかった。
    「確信」している取調官と、「演じるしかない」被告人が、共同作業で、存在している客観的事実から、一緒にストーリーを作り上げていってしまうという。一見秘密の暴露に見えるものも「賢いハンス」効果により、「答え」を知っている周囲の「雰囲気」によって、正解を当ててしまうことがあるという。
    そうなったら、もう、ちょっと、「いったんした自白」に頼った認定は相当恐ろしい。他方でそうなると、他に証拠がなくて真犯人の処罰に至れず、犯人の逃げ得になる事件が続出する懸念があるのだろう。「執念と確信で事件を解決してきた」という捜査機関の自負はなかなか消えないだろうし、強制されたような雰囲気もなく自ら語る様子を見てしまったら、判断者も「犯人に違いない」と思ってしまうだろう。
    自白撤回後は「無実の人が冤罪を訴える」のか「真犯人が冤罪を演じている」のかを見分けなければならないが、「無実の人はこのように冤罪を訴えるものだ」(押し付けられたとか言わないんだ)というのが公に出ると、かえって、真犯人がそれを利用する事態もあり得そうで、決定打にはできず、この点を考慮するとするならば、やはりある種の「直感」は入り込まざるを得ないように思う。
    多くの事件で取調べの録音録画がされるようになっているが、被告人フォーカス、取調官フォーカス、双方フォーカスで同じ場面を録画した時、被告人フォーカスでは任意性を認めやすく、他では強制を認めやすいという実験結果もあるそうだ。録画映像の視聴によって、誤った直感に至らないよう、利用には非常に慎重になる必要がある。

  • 自白強要の取り調べは、臓腑の不快が段階的にひどくなっていく。寒気がしたかと思うと、熱さを感じる。

  • 無辜の自白が虚偽と見抜けない人々は、人間の本質的な社会性、それゆえの人間の弱さを知らない。冤罪の最大の原因は、裁判官を含めた法律家や警察署が、無辜による虚偽自白の理由や虚偽自白の心理的過程を知らないことにある。捜査段階の身体拘束及び取調べの長さは、無罪だと主張しても、誰も信じてくれないという無力感や絶望を引き起こしやすい。裁判官なら真実を発見してくれるだろうと妄信し、刑罰が現実味を持たないのに対して、孤立無援の状態や身体拘束から解放されたいという現実的の衡量は一般的の人々にとって合理的判断となってしまう。

    無辜の自白が虚偽と見抜けない人々は、人間の本質的な社会性、それゆえの人間の弱さを知らない、という指摘は的を得ている。特に法律家は、平均すると社会的にも身体的・心理的にも恵まれた人々の集合であり、人の「弱さ」に無知である場合がある様に思う。自分が直接経験したことのない経験も、人間に対する洞察や豊かな想像力と感受性で補うべきであるが、それには限界がある。心理学とは、まさに人間現象を研究する学問であり、裁判の場でより参照されるべき価値があるように思う。無実の人は簡単に自白をしない、という常識があるのであれば、裁判員裁判において一般市民の社会常識が取り入れられたとしても冤罪は少なくならないどころか、増加してしまう恐れがある。裁判官と裁判員が同じ土台で自白の信用性を検討する際の共通ツールとなりうることを示唆する大崎事件第三次再審請審の地裁の判決は注目に値する。供述心理学に基づく鑑定書や供述心理学者を証人として採用したとしても、最終的な信用性判断は裁判所にあるのだから、少なくとも従来の自白の分析や任意性・信用性判断を謙虚に見直し、冤罪を産まないために供述心理学の知見を真摯に裁判で利用することを考えても良かろう。

    また、「自白的関係」は公判までも続くことはこれまでの冤罪事件話見れば明らかである。その背景には、被疑者・被告人が文字通り「孤立無援」の状態にあることにある。弁護人がしっかりと弁護活動を行うことはもちもんだが、取り調べの立ち会いや証拠開示が不十分であれば、いかに弁護活動が十分なされても接見よりも圧倒的な長時間の取り調べの中で虚偽自白をせざるを得なくなり、また弁護人自身依頼者の話を信用できるのか疑ってしまうこともある。録音録画では不十分だとする筆者の見解は、取り調べという磁力の恐ろしさに裏付けられている。

  • 空恐ろしさを禁じ得ない。「証拠なき確信」に囚われた尋問者に取り囲まれ孤立無援となる被疑者の「無力感」はまだしも、有罪となり刑を受ける実感に乏しい無実の人のほうが真犯人よりもかえって自白してしまいやすいという逆説が恐ろしい。
    判明した結果のみから事件の真相を帰納する、いわば「リバースエンジニアリング」への加担に、いとも簡単に追い込まれてしまう被疑者たち。本書で挙げられる事例(ただし確定的に冤罪であると認定されている事例ばかりではないが)にとどまらず、例えば2012年に起きた「PC遠隔操作事件」では誤認逮捕された4人中2名が全面自白に落ちている。
    「冤罪はこうしてつくられる (小田中總樹・著)」では、「3日あればどんな人間にもやってもいない殺人を自供させられる」と嘯くベテラン刑事のコメントが紹介されている。取り調べの現場に避けがたく織り込まれている「とにかく自白をさせ立件したい」という、取調官らの過剰な「使命感」にのみインセンティブを与えるという公権力の運用を変えない限り、同様の事態は何度でも起こる気がする。何しろ彼らは「うまくいってトントン」という被疑者とは全く逆に、「間違っても失うものは何もない」という絶対的優位をもって彼らに対峙できるのだ。

  • 第1章 虚偽自白とはどういうものか
    第2章 自白への転落―足利・狭山・清水事件
    第3章 自白内容の展開
    第4章 自白の撤回―自白を弁明するとき

    著者:浜田寿美男(1947-、香川県、心理学)

  • 虚偽自白を読み解く。浜田寿美男先生の著書。無実無罪の人を精神的に追い詰めて虚偽自白させるようなことは絶対にあってはならないこと。虚偽自白や冤罪は人の人生を劇的に変えてしまう。社会全体として虚偽自白や冤罪は決して許さない、虚偽自白や冤罪をさせるような捜査関係者や警察関係者を強く批判するといった姿勢が必要だと思います。

  • 東2法経図・6F開架 B1/4-3/1733/K

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著者プロフィール

1947年生まれ。発達心理学・法心理学者。現在、兵庫県・川西市子ども人権オンブズパーソン。発達心理学の批判的構築をめざす一方、冤罪事件での自白や目撃の心理に関心をよせ、それらの供述鑑定にも関わる。「自白の心理学」「子ども学序説」(岩波書店)「「私」とは何か」(講談社)ほか著書多数。

「2012年 『子どもが巣立つということ この時代の難しさのなかで』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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