モンテーニュ 人生を旅するための7章 (岩波新書 新赤版 1786)
- 岩波書店 (2019年7月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004317869
作品紹介・あらすじ
「人間はだれでも,人間としての存在の完全なかたちを備えている」──不寛容と狂気に覆われた一六世紀のフランスを,しなやかに生きたモンテーニュ.本を愛し,旅を愛した彼が,ふつうのことばで生涯綴りつづけた書物こそが,「エッセイ」の始まりだ.困難な時代を生きる私たちの心深くに沁み入る,『エセー』の人生哲学.
感想・レビュー・書評
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「モンテーニュ」宮下志朗著、岩波新書、2019.07.19
240p ¥907 C0210 (2020.06.27読了)(2020.06.10借入)
副題「人生を旅するための7章」
モンテーニュの代表的著作は、『エセー』で日本では『随想録』と訳されたりしています。
僕も、モンテーニュと『随想録』をセットで覚えてきましたが、読んだことはありません。
堀田善衛さんの『ゴヤ』を読んだ縁で、同じ著者の『ミシェル城館の人』を購入してしまいました。しばらく積読していたのですが、第一部を2020年3月から読み始めて、第三部を5月に読み終わりました。モンテーニュの評伝とでもいうような本です。随所に『エセー』が引用してあります。
『ミシェル城館の人』を読んだついでに『エセー』も読んでしまおうと目論んでいますが、400頁ほどの本が6巻もあるので、大変そうです。
ということで、助走として、この本を読むことにしました。
序章で、モンテーニュを紹介し、第1章から第7章で、『エセー』のさわりを紹介してくれています。さわりで満足できれば、『エセー』に取り掛からずに済むでしょう。
モンテーニュのフルネームはミシェル・エーケム・ド・モンテーニュです。(2頁)
1533年2月28日、モンテーニュ村の城館で生まれた。(2頁)
モンテーニュ村は、ワインで有名なボルドーの50キロほど東にある小さな村。(2頁)
ボルドーは、スペインの画家ゴヤが晩年を過ごしたところだったと思います。その関連で、堀田さんは、モンテーニュに興味をもったのかもしれません。
1580年、『エセー』初版(第1巻・第2巻)を自費出版。(15頁)
1581年9月~1585年7月までボルドー市長を務める。
1582年、『エセー』第二版刊行。(17頁)
1588年6月、『エセー』第1巻・第2巻の改訂版と第3巻を刊行。
1592年9月13日、モンテーニュ死去。享年59。(23頁)
1595年、モンテーニュ生前の加筆訂正を反映させた『エセー』死後版刊行。
「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えている」(27頁)
「私が書物に対して、最初に興味を覚えたのは、オウィディウスの『変身物語』の神話を読んで、面白かったのがきっかけです。」(52頁)
「セネカは、プルタルコスと並んで、モンテーニュにとってもっとも大切な古典なのであった。」(65頁) (セネカの『倫理書簡集』、プルタルコスの『モラリア』)
「ソクラテスは、どこの出身かと聞かれて、「アテナイだ」とは答えずに、「世界だ」と答えたのです」(83頁)
「野蛮人たちが、われわれにとって不思議だとしても、それはわれわれが、彼らにとって不思議なのと同様のことにすぎないのであって、たくさん理由があるわけではない。」(107頁)
「拷問というのは、危険な発明であって、真実を試すというより、むしろ、忍耐を試すものであるかに思われる。」(123頁)
「モンテーニュは、人間が個人としてかけがえのない存在、還元不可能な存在であることを実感して、そのことを書きつけた、最初の人物ではないのか。」(197頁)
「さまざまな対象と接する機会をみずからに与えて、そこで「判断力」を実践するという「試み」が『エセー』という作品の企てなのです」(207頁)
「『エセー』を最初から、つまりは第一巻第一章から律儀に読んでいくと、まずほとんどの読者が頓挫してしまう。」(218頁)
(『エセー』は)「「哲学」としてしかつめらしく考えて読むのではなくて、「経験」「体験」の書物として読めば、親しみを持って読み進められます」(222頁)
☆誤植と思われるところ
203頁上段
未刊の遺作『孤独な散歩者の夢想』の⇒未完の遺作の『孤独な散歩者の夢想』の
【目次】
まえがき
序 章 モンテーニュ、その生涯と作品
第1章 わたしはわたし
――「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えている」
1-1 人間はだれでも
1-2 「わたし」を抵当に入れてはならぬ
1-3 おしろいは顔だけで十分
1-4 「店の奥の部屋」を確保しよう
第2章 古典との対話
――「わが人生という旅路で見出した、最高の備え」
2-1 ローマ人とともに育てられたミシェル
2-2 書物、人生という旅路の最高の備え
2-3 昼型の読書人、夜型の読書人
2-4 セネカ vs.プルタルコス
2-5 ソクラテスに徳の輝きを見る
2-6 ソクラテス的な知のありようとは
第3章 旅と経験
――「確かな線はいっさい引かないのが、わたしの流儀」
3-1 どこか遠くへ行きたい
3-2 旅することの快楽
3-3 死の隠喩としての旅
3-4 旅は人間を知るための最高の学校
第4章 裁き、寛容、秩序
――「わたしは、人間すべてを同胞だと考えている」
4-1 真実と虚偽は、顔も似ている
4-2 拷問とは危険な発明
4-3 寛容の精神、世界市民として
4-4 「変革」をきらうモンテーニュ
第5章 文明と野蛮
――「彼らは、自然の必要性に命じられた分しか、望まないという,あの幸福な地点にいるのだ」
5-1 野蛮と野生
5-2 自然と人為
5-3 はたしてどちらが野蛮なのか
5-4 野蛮人から文明人への眼差し
5-5 文明化と相互理解
第6章 人生を愛し、人生を耕す
――「われわれはやはり、自分のお尻の上に座るしかない」
6-1 なにごとにも季節がある
6-2 「愚鈍学派」でいこう
6-3 病気には道を開けてやれ
6-4 老いること、死ぬこと
第7章 「エッセイ」というスタイル
――「風に吹かれるままに」
7-1 探りを入れる、彷徨する
7-2 引用する、借用する、書き換える
7-3 「ぴったりとは合わない寄せ木細工」とソクラテス
7-4 「エッセイ」の誕生
コラム
1 ラ・ボエシーとの友情、喪の儀式
2 『エセー』の陰に女性あり――グルネー嬢とノートン嬢
3 温泉評論家モンテーニュ
4 二つの『エセー』――「一五九五年版」vs.「ボルドー本」
5 モンテーニュの塔を訪ねる
6 モンテーニュというライバル――パスカル、ルソーなど
あとがき
主要参考文献
モンテーニュ略年譜
『エセー』総目次
☆関連図書(既読)
「ミシェル城館の人 第一部」堀田善衛著、集英社文庫、2004.10.25
「ミシェル城館の人 第二部」堀田善衛著、集英社文庫、2004.11.25
「ミシェル城館の人 第三部」堀田善衛著、集英社文庫、2004.12.20
「モンテーニュ」原二郎著、岩波新書、1980.05.20
「王妃マルゴ」アレクサンドル・デュマ著・鹿島茂訳、文芸春秋、1994.12.20
「王妃マルゴ(1)」萩尾望都著、集英社、2013.01.30
(2020年7月8日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えている」―不寛容と狂気に覆われた一六世紀のフランスを、しなやかに生きたモンテーニュ。本を愛し、旅を愛した彼が、ふつうのことばで生涯綴りつづけた書物こそが、「エッセイ」の始まりだ。困難な時代を生きる私たちの心深くに沁み入る、『エセー』の人生哲学。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エッセイという言葉の語源となった「エセー」という本を書いた、モンテーニュについて語った本ですね。「エセー」には興味がありましたが、超大作でもあり、かつ翻訳も値段が高いので、なかなか読むにはハードルが高い本ではあります。その中で、作者のモンテーニュ自身について書いた新書があると知って読んでみました。
「エセー」がどのように書かれたのかという事が、時代背景も含めてよく理解できますし、随所に「エセー」に書かれた金言もたくさん載っており、手軽に「エセー」のエッセンスに触れることができるので、とても良い本だと感じました。
「エセー」本編も、いずれきちんと向き合いたいなと思います。 -
人間らしいありのままの自由な姿を、エセーの内容や彼の書き方から感じ取ることができた。自身の文化や価値観を正しいものであると決めつけるのではなく、他者の差異を認めるという部分は現代社会で生きる我々にも通じるものがある。また、モンテーニュの気ままに読み、飽きたら違う本を読むという読書法にも興味を持ち、実践していこうと思った。
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乗馬がなにより好き
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著者の〝モンテーニュ愛〟がほとばしる一冊。随分前に購入したが積読のままの『エセー』をやはり読まないと…という気持ちになった。隠棲者のイメージがあったモンテーニュだが、社会的な活動をいろいろしていた人だと知る。彼のもって回ったような込み入った言い回しは影響力の大きさを自覚してのことか。その中の芯になる考え方は共感できるものが多い。
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2019年8月7日購入。
2020年6月11日読了。 -
序章 モンテーニュ、その生涯と作品
第1章 わたしはわたし―「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えている」
第2章 古典との対話―「わが人生という旅路で見出した、最高の備え」
第3章 旅と経験―「確かな線はいっさい引かないのが、わたしの流儀」
第4章 裁き、寛容、秩序―「わたしは、人間すべてを同胞だと考えている」
第5章 文明と野蛮―「彼らは、自然の必要性に命じられた分しか、望まないという、あの幸福な地点にいるのだ」
第6章 人生を愛し、人生を耕す―「われわれはやはり、自分のお尻の上に座るしかない」
第7章 「エッセイ」というスタイル―「風に吹かれるままに」
著者:宮下志朗(1947-、東京都、フランス文学) -
人間・モンテーニュについて書かれた本書。
著作「エセー」についてしかめつらしいものだろうと、本書を読むまで考えていた。
しかし、そんな重々しいものではなく、ライトなものだと知った。
改めて、「エセー」に取り掛かってみようと思う。 -
数ある保有のモンテーニュの手引書で最も早く読み終わったもの、各書に共通しているのは、エセーには直球勝負ではかわされるし、跳ね返されるので、力を抜いて自由にかかって来なさいということだろう。
我が蔵書では本書の作者である宮下志朗ではなく、原二郎先生なので、テキストも異なり、活字も小さく、モンテーニュの修正が加わって、かねりのハードルが期待されます。