東南アジア史10講 (岩波新書 新赤版 1883)

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  • Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004318835

作品紹介・あらすじ

ASEANによる統合の深化、民主化の進展と葛藤。日本とも関わりの深いこの地域は、歴史的にさまざまな試練を経ながらも、近年ますます存在感を高めている。最新の研究成果にもとづき、世界史との連関もふまえつつ、多様な民族・文化が往来し東西世界の要となってきた東南アジアの通史を学ぶ。「歴史10講」シリーズ第五弾。

感想・レビュー・書評

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  • 古い本なのかと思ったら、意外とコロナ禍の頃まできちんと改訂されていて驚いた。
    日本人はどうしても東南アジアで一括りにしがちだが、インドシナ三国、タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシアで気候、国際関係、宗教など全く違う。それ故に高校世界史程度の予備知識がなければ読み進める事も厳しいのではないだろうか。
    また東南アジアの通史を10講に分けた形だが、その内訳はここ5〜600年に7割を割く構成になっており、古代〜中世における東南アジア史の追いづらさをひしひしと感じる(絶対的な資料が少ないだろうし)。
    この本で新たに得た知見としては、植民地期においても短い期間で植民地にされた訳ではない事だろうか、タイのアユタヤ王国などはヨーロッパ人が進出したのちも有力であったし、ベトナムに至っては19世紀後半に至るまで脅威をヨーロッパより中国に置いていた節すらある。またナショナリズムの起こり方も様々であり、決して日本が植民地解放を積極的に行なった訳ではない事は肝に銘じておきたい(ただ、きっかけを作った事は間違い無いが)
    現代においても、東南アジア内での経済格差や政情格差はなお激しく、ASEANもEUと違い緩やかな連合体の為決して一枚岩ではない。日本はどのように対応していくべきだろうか。

  • 新書というと、入門編・ビギナー向けのきらいがあるかと思います。とはいえ、例外だって往々にしてあります。

    そして本作はその例外にあたるかと思います。

    古代から現代に至るまで、歴史の縦糸を10の講(章)で区分します。そして同時代の東南アジア諸国の出来事や歴史を横糸でつなぎます。

    ・・・
    ということで、まずもって中上級者向け、と書いたのですが、その理由は、非常に情報が細かいからです。

    ですので、よほど東南アジア史に興味のある方、あるいは基礎的な流れが頭に入っている方は楽しいのだと思います。事前にあるベースで、本書のトリビア的な蘊蓄を知ることができて。しかし、東南アジア史初心者にとっては、古代・中世のカタカナ王朝の袋小路に迷い込み、何だか良く分からん=東南アジア史詰まらん、となりかねません。

    私も先日読んだばかりですが、超初心者は池上彰氏による『池上彰の世界の見方 東南アジア』で、東南アジアがフィットするかどうか確認いただくのが良いかと思います。

    ・・・
    で、ある程度世界史も分かる方にとっては、以下のようなトリビア的な知識は、さらにあなたの東南アジアライフ(なんだそりゃ)を豊かにしてくれるかもしれません。

    ・18世紀、交易の中心は稀少性を武器にした商品(スパイスとか)から、中国や欧州での大量消費作物(米・コーヒー・紅茶)へと変化してゆく。『海の時代』から『陸の時代』へ(第四講)。

    ・そのようなオランダ東インド会社の『陸上がり』により、スパイス栽培からコーヒー栽培へとインドネシアの重点作物が変化。ジャワコーヒー(第四講)。

    ・マレーシアの現在のペルリス、ケダ、クランタン、トレンガヌの諸州は1909年まではタイ(旧シャム)であった(第五講)。

    ・タイのビーチリゾートのパタヤは、ベトナム戦争の前線ウータパオに近いことから開発された(第五講)。

    そのほかにも、インドネシアの暴れ者っぷりや、ASEANのまとまりのなさの歴史等々についても良く書かれており、へー、の連続でした。

    ・・・
    ということで、新書ながらまったく侮れない東南アジア史の書籍でした。

    個人的にはある程度東南アジア史をご存じのかたにお勧めします。そのような方は、色彩豊かな東南アジアが本書で味わえると思います。

    世にEUというクリスチャン世界の統一性と比較すると、東南アジアは多様だ、なんていたりします。そんな多様性という単語では表現できない色彩豊かな東南アジアが本作にはあります。是非お楽しみください。

  •  2021年に書かれた本で、コロナ禍での状況にも触れられている。東南アジア地域の通史。10章に分かれていて、始めにそのテーマの全体的な状況の説明の後に、各国史がついている、という感じの構成。
     一冊前に読んだ『海の東南アジア史』が近世以降だったので、古代も含めてもう一度東南アジア史の本を読んだら理解が深まるかなと思って、もう一冊読んでみた。少し教科書的な事実の列挙も覚悟の上だったが、思っていたよりも読みやすく、興味深い内容が多かった。現在ではその歴史がどう解釈されるか、どういう位置付けにあるのか、という話もあって、面白い。以下にメモしていく。
    まず『海の東南アジア史』にも出てきた「港市」という言葉は東南アジア史では基本用語なのか、と思った(というかもしかして歴史全般での基本用語?)。「港市は、河川を通じて後背地の熱帯産物を集積し、海を利用した東西の交易に結びつけていた。ここに『港市国家』と呼ばれる交易に基盤を置く国家が形成されていく。」(p.5)、そして「中国やインド、そしてのちにはイスラム世界やヨーロッパといった外部の大きな市場が繁栄すると、『海の東南アジア』=交易国家が発展し、戦乱などで外部の大市場が停滞すると、『陸の東南アジア』=農業国家が台頭する。こうしたプロセスが繰り返され、東南アジアの歴史を形づくっていった。」(p.6)という、東南アジア史の大枠の捉え方が初めに解説されていて、分かりやすい。「古代の東南アジアは、交易路の点や線を支配した外向型国家の歴史だったが、唐が衰退し南海交易が一時的に交代した九〜一〇世紀には、ベトナムの紅河デルタ、カンボジアと東北タイ、(略)といった、比較的人口が多い農業地帯を基盤にした内向型の国家が興隆し、これらの国家が、その後の交易の発展の時代に対処していく。」(p.20)ということで、当たり前なのだろうけど中国の盛衰が直接影響する地域、ということらしい。他にも、「今日では、モンゴル帝国の世界史的意義は、破壊よりも、ユーラシア大陸に大帝国が出現したことによる東西交易の活性化、特にユーラシア全域を結ぶ海路の交易・交流圏が完成し、それが『近代世界史』を切り開くことにつながったという面が重視されるようになっている。」(p.36)、という時代とともに国の歴史観というのも変わるらしい。「東南アジア史においても一三〜一四世紀が分水嶺であり、内陸部にある内向型の農業国家の都に、政治権力の力で物資を集積する中世的国家は終焉を迎えた。そして、マジャパヒトや後述するアユタヤのように、河口近くの海へのアクセスのよい所に都を起き、農作物を輸出しうる農業基盤と、工芸作物や手工業製品などの輸出産業をもった、『交易の時代』への経済合理的な対応ができる近世国家へと、東南アジア市の主役が交代していった。」(p.37)ということで、中世から近世へ、という大まかな流れも分かる。18世紀のベトナムの話で、「ベトナム人、カンボジア人、華人、チャム人などが入り混じった、開放的でコスモポリタンな新しい世界が、メコン・デルタというフロンティアに誕生した」(p.71)という、今の世界では「コスモポリタン」というイメージから遠いような地域が、当時は栄えていた、というのがちょっと驚いた。といっても今はどこもここもグローバル化しているから、コスモポリタン、という言葉自体が機能するのだろうか、とも思ってしまうけど。そして同じ当時のベトナムの話としては、「『交易の時代』が猿と、ベトナム北部は、農業以外に頼るものがない状況に再び直面した。いったん天災が発生すると、大量の流民が発生する。村落は、村で養いきれなくなった人々を流民として切り捨てつつ、これらの人々の土地を集積し、公田に対する管理権を掌握して、国家に対する自立性を強めていく。中央政府にとっても、地主や武人などの中間権力を抑えられる村落の権限強化は都合がよかった。ここに、現在まで北中部ベトナムに見られる強固な村落共同体が形成されたと考えられ、東南アジアでは珍しい、国際商業性に乏しい小農的自給社会が紅河デルタを中心に形成された。」(p.77)という流れがあるらしい。天災に左右される農業を中心にするとこういう国家が出来るのか、というモデルのようにも思えて興味深い。その時代の「シャム」では、「清朝がタークシンを『アユタヤの王』として公認する姿勢をみせた一七八二年、タークシンを『精神異常』と主張する勢力の反乱で処刑され、かわってチャオプラヤー・チャクリが、ラーマ一世として即位し、トンブリーの対岸のバンコクに新しい王朝を開いた。これが、今日まで続くラタナコーシン朝(チャクリ朝)である」(p.82)という、タイの今のルーツがここに来るのか、ということとか、今の王朝にもやっぱり名前があるのか、とかそもそもそういうところが勉強になった。もう少し後の時代で、タイはなぜどこにも侵略されないのか、という疑問がずっとあったけど、「独自の近代化施策と、イギリスとフランスの緩衝地帯となったという地政学的要因によって、シャムは、東南アジアでは唯一、その独立を保全できた」(p.103)ということらしい。そのまま現代までのタイの話を続けると、タイが今のように発展しているのは、ベトナム戦争でアメリカを積極的に支援したから、という、「永世中立」のイメージが勝手にあっただけに意外だった。「米国による北爆が本格化すると、タイは米軍基地の設置を認め、地上軍の派兵にも踏み切った。タイは、一九六〇年代に平均して六.八%という高い経済成長をとげたが、これは反共の姿勢を明確にしてベトナム戦争参戦国になったタイに対する、米国や世界銀行からの支援が大きな意味をもった。軍事的な要請もあってインフラの整備が進んだのに加えて、ベトナム戦争参戦米兵の休養地としてタイの観光開発が進み、ベトナム爆撃の米軍吉となったウータパオに近いパタヤが開発され、後にタイを代表するリゾート地となる礎が気づかれた。」(p.201)という、全く知らなかった。そしたら今はタイとベトナムの関係って、どうなんだろう、と思う。近世の話に戻って、この地域で本当に全く知らなかったこととしては「ゾミア」という「東南アジアの大陸部およびそれに境界を接する中国南部の、山地民が居住する地域」(p.88)があって、「あえて国家を持たず、国家を拒絶した人々が、その自由な意思で暮らす『避難場所』であるという意義づけを行い、近代的な領域国家に収斂するような社会論・歴史論を批判して、大きな話題を呼ぶ研究が出されている。」(同)という、その地域は今どうなっているのか、気になる。いよいよ19世紀に入ったところで年表を見ると「第一次英緬戦争」と書いてあって、緬っていったいどこの国なんだ、とうろたえてしまったが、ビルマのこと?らしい。途中ナショナリズムの話で、フランス革命の話が出てくるが、「しかし、この新しい共同体がその結束を高めるためには、排除されるべき他者=『やつら』が必要となる。言語でみると、国民議会という民主主義的な立法府が機能するには、議員が共通の言語を使用しなければならない。その言語は、いまや国家の行政言語にとどまらない、国民の言語=国語と見なされるようになったフランス語であり、フランス革命当時、フランス人口の半数以上が話していた非フランス語は『前世紀の名残り』とみなされ、その話者のフランス語世界への同化が、国家権力を背景として求められる」(p.116)という、半数以上がフランス語を話していなかった、という事実が驚いた。というか日本も明治時代に「共通語」がなかった時代と同じ話なのか?それからこの地域の歴史を勉強すると、今の地名とは違う地名、国名が使われているから難しいのだけど、例えば「東インド」については、「『インドネシア』という言葉は、現在のフィリピン、マレーシア、インドネシアの島々を指す地理用語だったが、これが、二〇世紀に入ると、蘭領東インドの代名詞として使われるようになる。ただし、現地の人々の団体名という点からみると、東インドという場合には、オランダ人や欧亜混血児などを含めた、東インドに居住する人々全体を包摂するというニュアンスがあるのに対して、インドネシアのほうは、より人口の大多数を占める『原住民』を中心としたまとまりというニュアンスがあった。」(p.125)ということで、その名前にこめられている意味の違い、というのも歴史を勉強しないと分からないことかもしれない。あと20世紀の話で、この地域で共産党が力を持つ背景には、「ナショナリストの一部が共産主義に接近したのは、第一次世界大戦の講和に際して『民族自決』が提唱されたにもかかわらず、それはアジア・アフリカの植民地には適用されないことが明らかになり、ソ連だけが植民地解放運動の一貫した支援者に見えた」(p.138)ということがあるらしい。そしてここで日本が出てくるが、「日本が東南アジアを占領した最も基本的な意図は、石油をはじめとする『重要国防資源獲得』のためだったが、日中戦争を継続しつつアジア・太平洋戦争を起こし、少数の兵力で東南アジアを支配しなければならなかった日本にとって、東南アジアのナショナリストを通じて現地の人々の協力を確保することは必須の課題であり、そのためには『大東亜解放』とか『独立付与』を掲げざるをえなかったのである。日本にとっても、東南アジアのナショナリズムにどのように向き合うかは、重要な課題だった」(p.145)という、そうせざるを得なかった事情、というのが分かった。あとベトナム戦争はベトナムでは「抗米救国戦争」(p.189)と呼んでいる、ということで視点が変わると戦争の名前も変わる、という例だった。21世紀の歴史のところではインドネシアのことが色々書いてあるが、さらっと読んだだけでは頭に入らず、インドネシアの歴史も整理してみたいと思った。
     マレーシアに夏に旅行に行ったことから興味を持った東南アジア史だったけど、インドネシアとか、タイの歴史という各国史を見たらまた面白いのかな、とも思ったりして、色々興味が広がった一冊だった。(23/08)

  • FM4a

  • 東南アジア各国について先史から現代までバランスよく記述。興味深い点は以下のとおり。
    ・13〜14世紀頃に農業国家は終焉を迎え、海へのアクセスの良い場所に都を置く交易の時代に移行。
    ・日本軍の東南アジア支配は、工業製品供給という対価無しでの資源略奪という「最悪の植民地統治」
    ・米国の東南アジアにおける冷戦政策の課題は中国封じ込めであり、その最良の防波堤は、統一され自立したベトナムの存在であったが、それを無視した政策をとった。
    ・米国は朝鮮戦争の反省から、地上軍による戦闘は南に限定した。その結果限定戦争の強度を高めた。弾薬総量は第二次世界大戦の2.4倍
    ・2010年に越の国会では南北新幹線計画の審議をしたが、共産党指導部が承認したにもかかわらず政府案は否決

  • 洋の東西を結ぶと言うとシルクロードが連想されるが、それと同等以上のバリューを持つ海の道に目を向ける。東南アジアは航海技術が発達するほど要衝の地位を高めた。その地勢上、文明を発信するよりは、受容する側に位置づいてきたが、中華文明、インド文明、仏教、イスラム教、キリスト教が、各国にこれほど様々混在した地域もない。近代にかけて殆どのエリアが帝国主義の支配に屈したが、ASEANとなった今日、各国の独自性が色濃い分、紐帯が緩やかなスタイルは、離散しにくいという強みとなり、年月を経るに従ってプレゼンスを益々高めていくように思う。古代から現在までの東南アジア各国事情が網羅され概観を知るのに適した一冊。

  • 第二次世界大戦後も東南アジアは苦難の道を歩んでいたのだな、としみじみ。古代から近代、現代にかけての東南アジアの世界を俯瞰できる良書。読みやすく、わかりやすい。世界史の勉強のおともにすればより深い理解が得られると思う。大変おすすめ。

  • 223||Fu

  • 東2法経図・6F開架*B1/4-3/1883/K

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著者プロフィール

古田元夫(ふるた・もとお)1949年生まれ。東京大学名誉教授。日越大学学長。
専門 ベトナム現代史
主要著書 『歴史としてのベトナム戦争』(大月書店、1991年)、『ドイモイの誕生:ベトナムにおける改革路線の形成過程』(青木書店、2009年)、『ベトナムの世界史――中華世界から東南アジア世界へ』(増補新装版)(東京大学出版会、2015年)など。

「2021年 『ベトナム戦争の最激戦地中部高原の友人たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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