本居宣長 (岩波現代文庫 学術 58)

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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006000585

作品紹介・あらすじ

「日本とは何か」「日本人とは何か」が問われるとき、本居宣長が甦る。何ゆえに宣長は近代にたえず再生するのか。宣長畢生の大業『古事記伝』を徹底的に読み直した著者は、そこに日本をめぐる語りの原型があるからだと見る。近代日本の「神」の言説を強く呪縛してきた『古事記伝』の自己神聖化の言説を解体する衝撃的読解。

感想・レビュー・書評

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  • 「からごころ」を排して日本とはなにかという問いを追求した本居宣長の仕事は、『古事記』のテクストを読み解くことにおいて成立したということに注目し、言説批判の方法によって宣長の思想の問題を掘り起こす試みです。

    著者は、宣長の求めた「日本」が、中国という他者を鏡とすることでみずからの像をえがいたものであったことを指摘します。さらに宣長が、皇国の音声の正しさを、平田篤胤のように自然主義的なしかたで基礎づけるのではなく、『古事記』の漢字・漢文表記によって口誦の音声を復元しているにもかかわらず、彼のテクストにおいてはそうした方法が隠蔽されており、「私心」にもとづく解釈を拒否するというしかたで、いわば空虚な中心としての「日本」がつくりだされていることを明らかにしています。

    さらに著者は、こうした『古事記』の神話化に抗する試みとして、折口信夫の民俗学的なアプローチがあることを紹介しつつ、それが「原始信仰」を見いだそうとするものである以上、宣長の轍を踏むものとならざるをえないことを指摘しています。

    著者の問題意識は非常によく理解できるのですが、はじめからきめられた結論へ向けて議論が進んでいるように思え、やや知的刺激にとぼしいように感じてしまいました。本書で論じられていることは、たとえば近代日本の言説空間において「国体」が果たしたとされる機能のと同様の問題だといってよいように思います。

  • 本居宣長が目指すところは、漢語に汚染された日本語文から和語を取り戻すことである。これまでにも、このことは他の本のレビューで述べてきた。それにしても、彼のこだわりはすごい。すごいを通り越して気持ち悪い。古事記の最初に出てくる「天地」を「テンチ」と読まず、「アメツチ」と読み、「命」や「尊」の読み方やその意味にも徹底的にこだわりぬく。こんな調子で古事記を読み進めて、「発音方法」も含めた読み方を再構築したのだからたいしたものであるが、どうして発音方法がわかったのか、それが知りたい。 

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著者プロフィール

1933年生。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科(倫理学専攻)修了。文学博士。大阪大学名誉教授。日本思想史学会元会長。専攻-日本思想史、倫理学。
主著:『江戸思想史講義』『宣長学講義』『徂徠学講義』『漢字論』『思想史家が読む論語』(岩波書店)、『伊藤仁斎の世界』『平田篤胤の世界』『方法としての江戸』『仁斎学講義』(ぺりかん社)、『はどう語られて来たか』『昭和とは何であったか』『「大正」を読み直す』(藤原書店)、『鬼神論』『歎異抄の近代』(白澤社)、『国家と祭祀』『とは何か』『和辻倫理学を読む』『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社)。

「2017年 『仁斎論語 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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