パリの聖月曜日: 19世紀都市騒乱の舞台裏 (岩波現代文庫 学術 191)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006001919

作品紹介・あらすじ

一九世紀初頭のパリで繰り返された民衆騒乱の背景には、何があったのか。労働者が日曜日ばかりか月曜日も痛飲して休みにしてしまう「聖月曜日」の習慣、路上で物売りをして生計をたてる人びと、コレラ流行の際に流れた毒薬散布の噂、居酒屋で築かれる仲間同士の絆…。近代初めの都市の日常生活世界を生き生きと描き出した歴史叙述の傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 19世紀のフランス、パリの市門の外には「関の酒場」が広がっていた。平日こそ人はまばらだったが、日曜日にもなれば、一週間の仕事を終えた労働者が大挙して集い、遅くまで酒を酌み交わした。そして、それは月曜日までも続いたのである。労働者にとって、日曜日が家族のための休日であれば、月曜日は自分のための、仲間のための祭日であった。市外の酒場で労働者が酔いや唄えやする「聖月曜日」、市中の工場では空しく始業ベルが鳴った。かといって、労働者が、火曜から土曜日まで、勤勉だったかというと、それもまた違った。市中にもたくさんの酒場があり、労働者は始業前と後とに関わらず、酒を酌み交わした。雇主をはじめとする資本家は、そんな労働者のモラルを嘆いたが、労働者はお構いなしだった。それが「日々の労働によって成り立つ生活に埋没することをいさぎよしとしない労働者の気質」であり、「日々の労働を、自らの生活リズムに即して実現していこうという」労働者の自律的な在り方なのであった。また、劣悪な生活環境にあって、当時のパリは衛生、医療、教育などの社会制度が未発達で、労働者は自分たちより他に頼るものがなかった。酒場は、労働者の連帯と結束の場であり、酒を酌み交わすことは政治そのものであったのである。こうしてみると、資本家と労働者の関係が、貧富の差こそあれど、支配被支配ではなく、実は対等なものであったことがわかる。労働者は資本家におもねることがなく、資本家は労働者を規律付けることができなかった。むしろ、その後、労働者に様々な諸権利が付与され、法的保護が実現されていくことで、労働者は個人に分断され、その自律的生活圏を弱体化させていく。無法な労働運動が、合法的な組合運動になり、そうやって一つの社会規範に受容包摂されることによって、労働者は支配被支配の関係の中に組み込まれていったのである。実際、労働者の生活は大きく改善されたわけだが、「労働者の市民化」は、かつてあった「聖月曜日」=労働者の自律性が失われることで達成されたのである。

    『聖月曜日―それは祭りと騒乱の日々であった。ミゼラブルな生活のなかでも、人びとは仲間同志の絆を結んだ。病気のときは助け合い、また日曜を『家族の日』、月曜を『仲間の日』と呼んで仕事を休み、市外の『関の酒場』にくり出して、お祭り騒ぎを楽しんだ。当時の民衆騒乱は必ず月曜日、『関の酒場』から起こったという。』

    「日曜日がミサの日として予定されるということはなくなっているとしても、労働者にとって少なくともそれは家族の日とみなされている。日曜日の一部を家族のために予定しておくことに、労働者は喜んで同意する。夕方、彼らは妻や子供を外に連れていくのである。しかしこうしたからには、他の一日は自分自身の気晴らしと楽しみの日とする権利があると労働者は考える。かくて月曜日は仲間の日となり、ひどく金を使う。」

    「労働者の労働は厳しく疲労のともなうものであるから、力を回復する仕組みがなくてはならないことになる。この仕組みは実質のある食物をとるよりも、混り物のない自然のぶどう酒を適度にとることから成り立つ。酒は誰よりも労働者にとってまずもって必要なものなのだ。それは労働で失われた力を回復する効力があり、労働者の精神を元気づけ苦労をやわらげる」

    「当時の史料にしばしば出てくることなのだが、労働者たちは仕事にはいる前に居酒屋に行き、仕事を始めてからも一回二回とこれをくり返し、昼食時に一リットル、二時と四時にまた同じことをやって、帰路にまた居酒屋に寄るということがある。このようなことはフレジエやパリ商工会議所の目からみると、労働者を酔いどれにしてしまう悪習として指弾されてしかるべきことになるのだが、労働者からすると、仕事を自分たちの集団的で自律的なリズムに従ってやっているまでのことにすぎないのである。月曜日も仕事を休むということが、労働者の習慣として当時も生き続け「聖月曜日」と呼ばれていたということも、この点と無関係ではありえない。雇主たちは職場の規律というものをまだ確立しえていないのである。彼ら、そしてパリを支配し管理しようとする者たちは、労働者の身体を工場と機械の論理に即したものへと規律づけることができないでいる状態をこれらのことは示している。」

    「労働者が、その日常生活の「四つ辻」として居酒屋に求めたものは、彼らに独自の人的結合関係であり、同じ生活現実を共有するという感覚や認識であり、また彼らにとって自律的な「政治」などであった。」

    「労働組合は労働力商品に価値法則を貫徹させるという機能以上に出ることがなかなか困難なことになる。このような状態と対比するとき、七月王政期のストライキ運動に見られる特質は、運動の初期的形態として把握されるべきものではなく、労働運動の本源的形態とみなさるべきであろう。その本源性を支えているのは、いうまでもなく労働者の生活圏=「文化」の自律性にある。現代においてこの本源性を回復することは、けっして歴史を過去に向かって復帰させることではなく、歴史の現段階において、労働者の自律的な生活圏=「文化」を、新たなものとして実現することを不可欠としている。」

  • <閲覧スタッフより>

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    所在記号:文庫||235||キヤ
    資料番号:10209046
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  • 141025 中央図書館
    政治体制がめまぐるしく変わる中、急速に人口が増え、貧民が劣悪な衛生環境で暮らしていたパリの様子。街に汚水汚物はあふれ、生活用水は汚染され史上初めてガンジス川流域以外でコレラ大量感染が発生した時代。労働者は腕っ節でのし上がり、日曜日のみならず月曜日も「聖月曜日」と称して居酒屋で談論喧嘩して「盛り上がっていた」。
    内容は、シンプルで面白い。
    著者は、社会の急激な変革時に行政権力サイドからの「システムの構築」が追い付かない中で、市民は猥雑な中にも活力をもって自前の活動ネットワークを持っていた、というような興味で本書を著したのであろう。

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著者プロフィール

元信州大学、日本女子大学。

「2013年 『歴史として、記憶として』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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