自我の起原: 愛とエゴイズムの動物社会学 (岩波現代文庫 学術 205)
- 岩波書店 (2008年11月14日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006002053
作品紹介・あらすじ
本書は、比較社会学の視座から現代社会を考察してきた著者が、生命史における「個体」発生とその主体化の画期的意義を明らかにする。遺伝子理論・動物行動学・動物社会学の成果に向き合いつつ、動物個体の行動の秘密を探り、「自我」成立の前提を鮮やかに解明する。「人間的自我」を究明する著者ならではの野心作。
感想・レビュー・書評
-
”ダーウィンの進化論”や
”利己的な遺伝子”を軸に、
細胞・遺伝子、動物の進化、宗教から宮沢賢治まで引き合いに出して
自我の起原を探って行きます。
知識ゼロですが、紹介されている本や作者の論点を説明してくれているので
作者の用意してくれた船で最後まで楽しむことができました。
「生物はどのように生まれ、自我が生まれるまでに至ったのだろう」という入り口に丁度良かったです。
これを基点に参考本も手にとって理解を深めようと思うきっかけになりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
見田宗介「宮澤賢治」から真木悠介「自我の起源」へ。期待わくわくのつながり読書ですが、こちらの勝手な思い込みを裏切るような新しい世界でした。このジャンプは見田ブランドと真木ブランドの違いか?文学から哲学と科学の融合した世界へ。たぶんもう一度、読まなくてならないかも…でもどちらも宮澤賢治が生み出したワールドであることは感じ取れました。
-
遺伝子の概説から、動物行動学的なものを経て、
人間にいたる自我への道行きをたどる。
まったく誠実にして、奇をてらうことのない論だと思う。
そして何段階にもわたる自我そのものであろう割れ目をのぞかせられる。
自由であるがゆえに「私」はここにいる。
拒否しようもなく、制限されようもない自由の原型。 -
見田宗介=真木悠介の構想した、壮大な社会学体系の根幹部分を成す傑作論文。
1993年の論文だが、現在でも全く色褪せていない。
執筆に10年掛けて<愛とエゴイズム>問題に取り組んだ成果がここにある。
ドーキンズ「利己的な遺伝子」のパラダイムを超えて、<自我の起源>の神秘に迫る。
生物は本来共生体なのだ。
生物は本来的に自己を超える契機を植え付けられているという現代生物学の到達地点が、自我の可能性を切り開き、独我論を超克する。
その論の進め方がスリリングで感動的だ。
真木悠介=見田宗介は、社会学を通じて、人間に普遍的な二つの問いを解明して見せた。
ひとつは<死とニヒリズムの問題>で、これについては「時間の比較社会学」(1979)で解決を与えてみせた。
もう一つの課題が<愛とエゴイズム>の問題だ。
その解答を求めたのが、この「自我の起源」なのだ。
見田=真木は<愛とエゴイズムの問題>を本書で見事に解決してみせる。
利己性(エゴイズム)は実は生物に本源的なものではないことを、生物学の知見のみで証明してみせるのだ。
これが社会学か、これは生物学の本ではないか、社会学はここまで広い領域をカバーして良いのか、という驚きを与えてくれる。
エゴイズムの問題は学問の対象になり得ないと誰もが考えていた。
文学だけが取り組みうるのだと信じていた。
しかし、本書は、社会学という学問が、エゴイズムという課題に、社会科学的に、正当にアプローチし得ることを高らかに示している。
生物学の知見によると、DNAのエゴイズム(利己主義)は避けられないように思える。
その隘路を、生物学の最新知見を突き詰めることによって、生物学自らの論理で突破してみせてくれる。
これには誰も文句のつけようがない。
生物は共生を基本とし、利他的行動を埋め込まれて生きていること。
自己を滅却してまでも、他者のために生きることが生物の根幹にあること。
それを鮮やかに示したのだ。
社会学はこんなことまで出来るのだ、と感動と勇気を与えてくれる。 -
「人間的自我」がどこから発生し、どのように発展してきたかを考察する著作。著者は日本の高名な社会学者である見田宗介。
テーマに惹かれて読んだが、面白かった。
表現は難解な部分が多くて決して読みやすい本ではないが、ロジックの展開は分かりやすくて鮮やか。
構成としては、まず生物社会学の基礎的な達成水準を確認し、個体と生成子(遺伝子)の作用と特徴を説明する。そこから個体が主体化される機序が解説される。
この個体が主体化していくプロセスについての分析が非常に斬新で、ベースはドーキンスの『利己的遺伝子論』へのアンチテーゼがある。つまり「遺伝子」が自らの増殖を目的として個体をその「生存機械」として見做しているのは事実だが、動物個体は遺伝子とは独立したそれ固有の目的を持っているという。
この固有の目的は「テレオノミー的主体性」と呼ばれ、この獲得を可能にするのは哺乳類に見られる高度に発達した群居性・社会性である。
他個体を個体として認識することが、選択的な攻撃性の抑制、およびユニークさの発達に繋がるわけである。
また個体は自立性・自律性を獲得してきたが、完全に閉じているわけではない。なお外部の生成子に対して開かれていて、互いに影響を及ぼしている。
主論の他にも示唆的なメッセージが多くあり、有益な一冊かと思う。
とはいえ、ハミルトンの「包括的適応」理論やローレンツ、トリヴァースといった動物行動学の内容を理解していることが前提で主張が進行するため、その事前知識はあった方が良いかと思う。 -
自我という現象を紐解くのに、こういう壮大かつ精密な掘り進め方があるんだな。生物一般における人間の遺伝子の運び屋としての側面と、自我を持ちさらにエゴを相対視できる自律的な側面を描写するアウトラインを軸に、宗教、性を軸に人間の自由のあり方を掘り進める。
-
マーグリスらの理論が明らかにしたのは、真核細胞は異種の生命の共生態として誕生したということであった。ここに進化の派生的自立態として〈個体〉というシステムが成立する。個体はまず「エージェント」的主体として派生するが、進化の高度化はついに個体を「テレオノミー」的に主体化するに至る。それでもなお、個体の共生系としてのありかたは失われていない。本論の表現では、個体は「自己裂開的な構造」を充填された「都市的」存在であり、真木はそこにエゴイズムの克服と我々の個としての自由の鍵を見るようだ。
-
時間の比較社会学より読みやすかった。
個体の中の細胞と同じように、地球の中の自分、宇宙の中の地球…、と考えると自分の存在がちっぽけに思えていろいろ楽になれた。利己的になるのも利他的になるのも遺伝子のせい、そして人間は遺伝子の乗り物だと客観的にみるとなんとなく楽になれると思った。