丸山眞男を読む (岩波現代文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006003197

作品紹介・あらすじ

「近代主義者」「西欧主義者」「国民主義者」「進歩的文化人」など様々なレッテルを貼られつつ論じられてきた丸山眞男。われわれはこの思想家が遺したテクストをどう読めばよいのか。彼は何を問い、その問いといかに格闘したのか。これまでの通俗的な理解を排し、「現代に生きる」ラディカルな思索者として描き直す、スリリングな力作論考。『丸山眞男-日本近代における公と私』を改題し、一篇を増補した。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は1994年に初版、2007年に文庫化されたが、今回(2014年)出版社と書名を代えての再文庫化である。丸山の思考の最も良質な部分を的確に捉えた良書である。

    誰が最初に言ったか忘れたが、望遠鏡で見たヨーロッパを尺度に顕微鏡で見た日本を断罪しているに過ぎない、というのが丸山批判の一つの典型としてある。丸山の日本ファシズム分析がその負の側面を一面的に拡大し過ぎているというのである。これに対して著者は、「(学問的認識によって)形成された対象の像は決してあるがままの、総体としての対象ではなく、あくまで仮説としての対象」であって、この点を理解せずに一面的であると批判するのは的外れであると丸山を擁護する。これも繰り返された丸山擁護のパターンである。ウェーバーを持ち出すまでもなく、認識が仮説であることは社会科学の常識であろうが、こう開き直ってはそもそも相互批判などできないと言うべきだ。論点を「何々と何々に限定」することが「対象についての身を切る思いの断念を伴ってい」たとしても、それが免罪符になる訳ではないだろう。その断念があまりに「現実」と乖離していたり、認識者の価値観に引きずられ過ぎてはいないかという吟味は可能であるし、すべきである。そういう意味では丸山のファシズム論はやはり一面的に「過ぎる」と評者は考える。

    しかしそんなことは本書の価値をさして減じるものではない。本書が取り上げた丸山の思考で最も良質と言えるのは、その時その時の実感を重んじる「実感信仰」と、既成の理論を現実との対決を欠いたまま無限抱擁する「理論信仰」とが、振り子のように繰り返し現れ、また消えていくという日本思想の節操のなさの根源には、主体と客体が未分離で概念的思考を欠いた同化の論理があることを剔抉し、それを厳しく批判したことである。その反対物は政治思想に即して言えば、丸山が徂徠学に見出した「作為の論理」であり、直接的所与ではなく、あくまで構想されなければならない「フィクション」としての政治だ。これを近代主義と言うなら、近代主義なくして真の公共性は生まれ得ない。この丸山の思考は進歩か反動かといった対立軸を越えた普遍的価値を今でも持っていると思う。

  • 「近代主義者」として理解されることの多い丸山眞男の思想を読みなおし、公と私の対立を乗り越える強靭な思索を取り出す試みです。

    著者はまず、「大衆の現像を繰り込む」という立場から丸山を批判した吉本隆明をはじめ、民衆史の視角から丸山を批判する色川大吉や、丸山を国民国家論者とみなすポストモダン派の主張に対して、彼らの批判が丸山の論じている問題を正確に理解することなく、その一面だけをとりあげていると反論します。

    次に著者は、丸山の思索が、公と私の緊張関係のもとで展開されていることに触れて、それをデカルト以来の「内」と「外」の対立を克服する道をさぐるものだったという主張を展開しています。著者はここでパースやコリングウッドなどの哲学者の説を参照しながら、たとえば問題解決へ向けてわれわれのおこなう「活動」において、対立する「内」と「外」が統合されていると論じています。こうした著者の解釈は、ポパーのトライアル・アンド・エラーの方法に依拠した社会哲学に近いもののように思われます。

    著者の丸山解釈はたいへん興味深いものだと感じました。ただ、著者は吉本による丸山批判を、たんなる実感信仰にもとづく近代主義への批判であるかのようにあつかっている点については、丸山を擁護するのに性急となるあまり、吉本の提出している問題をていねいに掘り下げることがなされていないのではないかという疑問もあります。本書で論じられているような「公」と「私」の緊張関係がもはや成り立たなくなってしまったという状況認識が、吉本の批判の背景になっていたのではないかとわたくしには思えます。

  • 著者:間宮陽介(1948-)
    底本:『丸山眞男――日本近代における公と私』(筑摩書房、1999年)
    備考:2004年8月15日に行われた講演「現代に生きる丸山眞男」の記録を、文庫化に際し収録。


    【書誌情報+内容紹介】
    本体1,180円+税
    通し番号:学術319
    刊行日:2014/10/16
    ISBN:9784006003197
    A6 並製 カバー 302ページ
    在庫あり

      「近代主義者」「西欧主義者」「国民主義者」「進歩的文化人」など様々なレッテルを貼られつつ論じられてきた丸山眞男.われわれはこの思想家が遺したテクストをどう読めばよいのか.彼は何を問い,その問いといかに格闘したのか.これまでの通俗的な理解を排し,「現代に生きる」ラディカルな思索者として描き直す,スリリングな力作論考.
     『丸山眞男 日本近代における公と私』は,書き下ろし〈戦後思想の挑戦〉シリーズの第一回配本として1999年に筑摩書房から刊行されました.このたびの現代文庫化にあたり,付論として「丸山眞男手帖の会」が毎年8.15に主催する「「復初」の集い」での講演記録(「現代に生きる丸山眞男」)を収録し,書名を『丸山眞男を読む』と改めました.
     “吉本隆明の丸山眞男論をはじめとする多くの丸山論が,啓蒙主義者,近代主義者,進歩主義者,保守主義者,国民主義者などという丸山のワラ人形を勝手にこしらえて丸山を撃っている.”――本書11頁
     “本書を貫く視点は一貫している.丸山が何をいったかよりも,むしろ彼が何をいおうとしたか,その思想の余白を考えること.このことを本書では,彼の思想の隠された問いを発掘することによって考察しようとした.”――あとがき

      安直な丸山論がはびこるなか,間宮先生とともに丸山のテクストをじっくりと読み直してみましょう.
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b255950.html


    【目次】
    目次 [iii-v]

    第一章 思索と思想
      一 混沌と形象 002
      二 論点回避の丸山論 011
      三 問題史としての思想史 021
      四 「近代的主体」再考 036
      五 「活動」の哲学――前節への補論 053
      六 結論 075

    第二章 公と私の分岐
      一 はじめに 086
      二 ファシズム研究 089
      三 朱子学の解体過程 106
      四 公と私の帰趨 128

    第三章 時間・歴史・社会
      一 近代的精神 152
      二 転向の時代体験 164
      三 時間性と超越性 181

    第四章 政治的思考
      一 ロマン主義的思考と政治 210
      二 政治・非政治・過政治 215
      三 公と私の政治学 228
      四 政治空間の形成と民主主義 244

    あとがき [261-]
    〈付論〉現代に生きる丸山眞男 [279-]
    岩波現代文庫版あとがき [291-]

  • ようするに丸山眞男という人は知名度が先行した学者だったんだなという印象です。だから、だれかれなしに丸山氏を批判したり、あげつらったりしたのでしょう。
    批判さえしていれば時流に乗れると考える学者も多い。

  • 最初の部分だけは面白かったが、朱子学の話は、もうついていけなかった。

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著者プロフィール

間宮 陽介
間宮陽介:京都大学名誉教授

「2014年 『日本経済 社会的共通資本と持続的発展』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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