六ヶ所村の記録――核燃料サイクル基地の素顔(下) (岩波現代文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006032333

作品紹介・あらすじ

一九八四年、電気事業連合会は青森県知事に核燃料サイクル基地の建設受け入れを正式要請する。巨大開発の美名の下に農民たちを追い出し買収を進めた六ヶ所村の開拓地こそ、その立地点であった。日本の核センター建設は、偽計と裏切りから始まった。そして二〇一一年三月、またしても核の脅威に直面しながらも、なお六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の強引な操業を図るのは、日本の核武装への第一歩である。一九七〇年から現地取材を続けてきた渾身の労作。毎日出版文化賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 『六ヶ所村の記録』(上・下)
    2003.11東日本大震災以来、原子力発電について考えるようになった、というより考えなければならないと思うようになった。地震による15m超の津波で福島原発があれ程の被害を蒙るとは思ってもいなかった。
    1・3号機のメルトダウンと水素爆発、ヘリコプターや消防車での注水の映像がテレビで何度も繰り返され緊迫した惨状を思い出すと背筋が寒くなる。
    近隣住民16万人強が避難をさせられた。
    あの時までは、日本の原発は原子力の平和利用として技術進歩の結晶であり、CO2対策に最も有効であると思っていた。日本の研究・開発力は特に高く安全性も担保されていると確信していた。しかしそれは恐るべき楽観主義であり無関心の非とともに猛省を余儀なくされた。

    先ず、日本の核廃棄物の最終処理場・核燃料サイクル建設を下北半島の六ヶ所村に作った経緯である。
    1969年「新全総」の閣議決定で陸奥湾小川原湖地域開発の大規模コンビナート建設が決定され、「陸奥小川原開発」が地上げを行なった。計画が進まないなか、15年後の1984年電力会社の社長たちが六ヶ所村の核廃棄物最終処理場建設を青森県知事に申し入れた。
    この政策は企業や経済団体・業界の思惑で政治家の発案、国・通産省の政策、県や町村自治体・業界団体の推進、メディアも大々的に報道し原発の安全神話や施設建設の世論を盛り上げ、で強引に実行された。
    現地ではその間コンビナートや核施設のどちらにも反対する人が多くいた。荒涼たる僻村の経済的苦境を補償金や雇用で脱出するという理屈に対して自然破壊や健康被害と村が依存体質になる懸念が理由であった。先祖以来苦労して開拓した耕作地を手放したくない、やっと開発したホタテの漁場を放射能で汚されたくないなどの切実な思いが底流にあった。反対する住民のことや満州から引き揚げ不毛の下北半島に入植した先人の苦難の歴史も克明に描写される。
    多くの人達は目先の金に目が眩み土地を高く売って他に移っていく。
    筆者の長期間にわたる足を使った調査は六ヶ所村が日本の核処理施設になった顛末を住民の側に寄り添って丁寧に綴っている。

    「地盤の不安定な沼沢地に盛り土されて集中配置されようとしている各施設は世界でも例をみないほどに過大なもので将来3000トンの使用済み核燃料が持ち込まれ年間800トンの再処理がなされる計画である。使用済み燃料としての高レベル放射性廃棄物はガラス固化体(キャニスター)にして4640本(再処理工場で3200本、英仏など海外からの返還分1440本)、それらが六ヶ所村に集まってくる計算である。「低レベル」ではドラム缶で300万本が永久に埋没される。
    たしかに1000年もたてばたいがいの放射性物質の毒性は死滅するであろう。が、プルトニウム239の半減期は2万4100年、ネプツニウム237は210万年、ヨウ素129に至っては1630万年といわれている。1000年の安全を保つ容器さえいまだに保障されていないのだから六ヶ所のひとたちははるか一万年以上は毒性を保ちつづける死の灰と添寝することにになる----技術的に確立されず、経済的にも引き合わずして、なお突進しようとするなら、核兵器開発を志向する情熱を疑われても仕方あるまい。高速増殖炉や再処理工場の存在は常に軍事利用という原発の本卦還りのチャンスを手にしていることであり、と同時に絶望的な環境、破壊と日常的な労働者の被曝、そしてさらには大事故の恐怖に脅かされていることを意味している。」
    筆者の六ヶ所村の置かれた状況への危機感と推進側への怒りが漲っている。

    技術進歩には華やかな効用の裏側に必ず負の側面がつきものである。自分は負があるからすべて駄目という立場は取りたくない。言葉で言うのは簡単だが事前の十分な検証と負に対する対処の仕方やバランスの問題だと思う。原発については民主主義のもと国家の意思決定の難しさが際立つ「政治」の問題であり、情報公開と手続きの衡平性が重要である。東日本大震災前、原発は54機で電源の30%を賄っていた、現在は33機運用中の5%であり、増やす方向である。廃棄物処理については解決されないままである。原子力工学の進展を学術研究の人材育成から進め社会が正しく認知する広報が喫緊の課題である。
    今AI利用の功罪が社会を賑わしているが、この問題もスタート時の今こそ負の側面への対応が重要である。AIの普及により電力需要も急増が予想されている。
    鎌田慧の渾身のルポルタージュ作品であり、1991年毎日出版文化賞を受賞した。

  • 下巻は電事連が青森県に核燃料サイクル基地の立地を要請した1984年から、再処理工場の建設が進みつつある90年代半ばまで。反対運動の切り崩しがどのように進められたのかが、綿密な取材から明らかにされている。初版が1991年の関係から、工場進出後の六ケ所の変貌については、あまり描かれていない。これについては別の文献を当たる必要があるだろう。

  • 2020/11/02

  • 国内の一大核燃料サイクル基地と化した六ヶ所村。この基地が建設される過程でどのような事件があったのか、いかなる思惑が交錯したのか。1960年代~1980年代までの一大ルポルタージュ。文庫版ではここ10年くらいの動きもアップデートしている。
    六ヶ所村を開拓し、農業中心の産業育成の失敗、その矢先の(原子力発電をも盛り込んだ)石油コンビナート基地の開発計画。開発が軌道に乗り始めた矢先のオイルショックと石油コンビナート開発の頓挫、原子力中心産業への移行。
    多くの六ヶ所村村民が満州での開拓経験者であった。まさに六ヶ所村は日本国における内国植民地の様相を呈している。
    長年に渡るインタビューを通して六ヶ所村が核サイクル基地へと変貌した経緯が追われている。
    3・11を経たにもかかわらず、脱原発派を除いて原発に無関心になりつつある現状に原発に対して注意を向けようとするところはかなり同意できる。
    しかし、このルポの不満点はかなり多い。
    1.年代が前後するため流れが追いにくい
    2.開発反対、各反対の村民ばかりを取りあえげていて一方的なように見える。個人的にはもともと反対していたが賛成派に回った人の意見を聞いてみたかった。
    3.筆者は即時脱原発の立場を貫いているように見えるが、そもそも即時脱原発は現実的なのか違和感が残る。
    4.開発側=悪、村民=善のような安易な二項対立で書いているように思える。
    5.4のために開発側を皮肉った文章が鼻につく

    正直僕の感想を言えば、六ヶ所村は開発されないままでよかったのだろうかと疑問を呈したい。「自然がー」とか「村民の暮らしがー」とかいうのは都会民のエゴだ。農村部の人間が開発云々に反対するのは、豊かな生活を知らないからに過ぎない。まさに農村部の後進性そのものだ。衛生観念が十分に行き渡ってないから病原菌がいる毒井戸水を普通に飲むし、文化水準を高めようと考えないし、農業で儲けようともしない。そうこうしているうちに都市部と農村部の社会的・経済的・文化的格差が広まっていく。それが都市部=先進的、農村部=後進的という構図を固定化させてしまう。地域に因る社会階層の固定化を招いてしまうのだ。
    僕が六ヶ所村村民だったら開発側に回っていたかもしれない。核誘致を推進していたかもしれない。地元で同じような話があったらまず間違いなく賛成するだろう。
    そういう複雑な思惑が描ききれていないような気がするのだ。

  • 3.11まで言及している。
    著者の追及は止まるところを知らない。
    「開発」を餌に地元民から土地を奪い、十数年の時を得て、その土地に核燃サイクル施設の建設。
    地元民を欺いた歴史は「意図的」だったのか。

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著者プロフィール

鎌田 慧(かまた さとし)
1938年青森県生まれ。ルポライター。
県立弘前高校卒業後に東京で機械工見習い、印刷工として働いたあと、早稲田大学文学部露文科で学ぶ。30歳からフリーのルポライターとして、労働、公害、原発、沖縄、教育、冤罪などの社会問題を幅広く取材。「『さよなら原発』一千万署名市民の会」「戦争をさせない1000人委員会」「狭山事件の再審を求める市民の会」などの呼びかけ人として市民運動も続けている。
著書は『自動車絶望工場―ある季節工の日記』『去るも地獄 残るも地獄―三池炭鉱労働者の二十年』『日本の原発地帯』『六ケ所村の記録』(1991年度毎日出版文化賞)『ドキュメント 屠場』『大杉榮―自由への疾走』『狭山事件 石川一雄―四一年目の真実』『戦争はさせない―デモと言論の力』ほか多数。

「2016年 『ドキュメント 水平をもとめて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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