新聞記者 疋田桂一郎とその仕事 (朝日選書 833)

制作 : 柴田鉄治・外岡秀俊 
  • 朝日新聞出版
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022599339

感想・レビュー・書評

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  • ★古びず当たり前に感じるのが驚き★戦後まもなくからの新聞の文章を掲載しているのに、切り口や言い回しも古さがなく、問題点の提起の仕方も今なら当然のことのように感じる。それだけ普遍であり先駆なのだろう。「どサ」「ゆサ」の文章は冒頭しか知らなかったが、棟方志功につながるのか。支店長の死に関する警察取材の課題も、きっと超えられないままでいるのだろう。
     専門家がネットで自ら発信できる現在と異なり、当時は各分野の素人としての記者が薄く広く情報を伝える役割があった。そのうえで、疋田が偉大なる素人であり続けるのにすさまじい努力をしていたことが、周囲の人の振り返りからよく分かる。時代の優位に安住していたわけではない。

  • 記者の仕事の参考のため、図書館で借りる。「朝日新聞の文体を作った人」と呼ばれた名物記者の記事と記者と発言が半々で掲載され、タイトル通り、その仕事の内外を示した本。何かを伝える記事を書くに当たっての教科書のような本。真水のような文章を目指して予断なく事実を集め、多面性を重視した上で、なお滲み出る熱情を抑えぬことで、質実剛健ながらも面白い記事が出来上がるのだと感動した。個性とはこのように示すものだなと憧れる。

  • 朝日新聞社の「伝説の記者」疋田桂一郎への追悼の意を込めて、新聞記者時代の仕事を集めた本。
    もっとも印象に残ったのは「新聞文章の(まるかっこ)“ちょんちょんかっこ”考」という文章だ。新聞記事の中で使われる(まるかっこ)について疑問を投げかけたもので、たとえば「同氏は『レーガン政権が(カーター政権と比べて)核戦争回避への熱意に欠ける……』と述べ」というようなかっこの使い方をするべきではないと指摘している。この記事は1対1のインタビューで、かっこはインタビュー相手の発言を補うために使われている。話しことばの場合、前後の文脈が明らかに分かるために上記のように省略されることがよくあり、その部分だけを抜き出すと分かりづらくなる。そのような場合に、読者が読みやすいようにと、記者の判断でかっこの補足をつけたりする。疋田記者はこのような場合でも、読者は大体の文脈はわかるだろうから、なるべく勝手な補足はつけるべきではない。それよりも記者が勝手に補足して記事が本来の意図とは違うものになってしまうことの方を恐れるべきだと指摘しているのだろう。もしどうしてもかっこ内の文章を入れたいのならば、インタビューの際か、あとからでも聞き直せばよい。疋田記者の指摘を読んでなるほどたしかにその通りだと思った。しかし残念ながらこのかっこ用法は今も新聞紙上にあふれている。
    疋田記者は「ものごとに疑問を抱く」というジャーナリストの原点を地でいく人だったと言える。その疑問は当然、新聞そのものにも向けられた。マスコミ不信が強まる今、疋田記者の指摘は本質的な問題を提起している。ジャーナリズムの原点の書だ。

  •  毎朝届けられる『朝日』が、日本国中を照らしていた時代がかつてあった。その頃、疋田桂一郎は朝日新聞のスター記者だった。先生たちから文章の手本だと言われて読まされた『天声人語』は、確かに輝いて見えた。新聞というメディアも朝日という新聞社も、今では想像できないほど巨大で、私たちの中にまで差し込んでくる光であった。かつては。

     文章の玄人にも素人にとっても、かつての新聞は「書き方」のお手本だ。とくに相手に意味が伝わる「達意の」文章の極めてよいお手本だと思う。
     今日は文章でも、一般のコミュニケーションでも「通じない」話を書いたり話したりする人が多すぎる。例えば学校の先生。教わる立場から見ると、聞く方が解らない話をどんどん先に進めてますます解らなくする先生、逆に解り切っていて全く興味の沸かない話を延々と繰り返す先生。10人中9人か、極端には20人中19人はこういう通じない授業をする。「KY」と書いて空気が読めないというが、通じないのは聞き手の空気を読めずに独りよがりの話をしているからだ。

     本書の中に、疋田桂一郎が部下の若い記者に伝授した記事の書き方のコツが随所に出てくる。ひとつだけ紹介する。
     「記事を書く場合に、読者にとって未知のことは2割でいい。8割のことが既知であれば、読者は楽々と道行きを楽しみ、自分の記憶を確かめながら文章を味わえる。2割の驚きがあれば、満足感が得られる。これが逆だと、読者はせっかくの発見も味わうこともなく、読むのをやめてしまう」
     読者の「空気」を見事に読みきっている。文章に限らずコミュケーションのあらゆる場面で通用する「極意」だと思う。30年以上前に、高校生だった私が毎朝味わった「眩しさ」はやはり本物だったことが今更ながら良くわかる。

     こんなに輝いている文章は、今新聞の中にはない。

  • 自社夕刊紙面掲載の事件記事の検証は秀逸。新聞記事の在り方を問う姿勢は、現在の新聞記者にも持って欲しい。

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