- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022644565
作品紹介・あらすじ
日本侵略へのフビライの執念に思いを馳せた「蒙古塚」を皮切りに、地図をながめるだけで「にわかに貿易風の吹きわたるにおいを感じてしまう」という肥前のみちをゆく。平戸から長崎へ、中世末の日本が初めて「普遍」の波に洗われた海岸に沿って歩く旅は、世界史的な視野を盛り込んだスケールの大きな「街道をゆく」に。のちの「南蛮のみち」や『韃靼疾風録』への序章ともなった。
感想・レビュー・書評
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著者の大きな関心事である、日本を大きく変えた外国(モンゴル帝国と、ポルトガル、オランダ)との接触に焦点が当てられていて、歴史の勉強になる。平戸と出島の違いも興味深かったし、外国と接した瞬間に浮き彫りになる日本人の特殊性みたいなことも、批判と同情とを交えて語られていて理解しやすい。
『街道をゆく』の旅に必ず同行されている須田画伯についての言及も微笑ましく読みました。
個人的には、九十九島を案内すると言って憚らない地元の友人に閉口し、ついにその強情に屈して案内されるものの、「絵葉書めいた光景」と淡白そのものの感想を不機嫌に洩らしているのが可笑しかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
地元唐津のことを司馬先生が書いた文があると知って読んだ。「虹の松原」の語源が「二里の松原」という即物的な内容だったのが、唐津人の文化性から今の名前になった、と説くくだりはおもしろかった。
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今まで司馬遼太郎はちゃんと読んでないから、まずは紀行エッセイでもと読み始めて11冊目まで来ました。なんか巻を追うごとに紀行の部分よりも司馬さんの思索の部分が増えるようですが、ここ30年ほどの歴史の進歩が激しすぎて、そんな古びた考えを延々と書かれましても……と思ってしまいますが45年前の本なので仕方がないです。平戸に宿が取れて一泊してくれていれば、もう少し紀行の部分が増えたのかも?
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キリスト教の歴史についての講義を受けているようで、集中出来なかった。
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最高に面白い。長崎の歴史本はまだ面白い本に出会えていなく、教科書っぽい本が多い。それゆえ、長崎学ぶ際の副読本として最高。旅行も横道にそれたり、話も横道にそれたりで、面白い。
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行ってみたい長崎なので手にとった。文章を読んでいても、日本とヨーロッパ(キリスト教)との異なる文化が混ざり合う独特の雰囲気を感じ、憧れが募り、ますます行ってみたくなった。
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14/11/27読了 20/4/23再読
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小生はまだ九州に上陸したことがない。長崎というとエキゾチックな感じがするが、ここから世界史を俯瞰するというのは、司馬史観はすごいと再認識した。
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文化の取り込み方にも日本人の独自性が顕われる、ガラパゴス化とは古来日本の文化の受け入れ方のことだろう
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肥前は現在の佐賀県と長崎県。元寇、倭寇、秀吉の朝鮮出兵前線基地、そしてポルトガル船やスペイン船が到来した平戸、言わずと知れた長崎出島。古来よりあらゆる意味で海外に開かれた地であった。長崎領主の甚左衛門にちと感動。あ~行ってみたい。
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「島原・天草の諸道」に続いて読むと、いっそうおもしろい。
本の内容とは関係ありませんが、このシリーズでその地域の地図が都度含まれている作品とまったく地図が含まれないのがあるのは、何で何でしょうか? -
今回の著者の旅は、元寇の痕跡とキリシタンの足跡を求めて博多湾から反時計回りに長崎までをゆく。
このシリーズを読んで毎回思うのだが、このタイトルにもなっている「街道」とは、著者の膨大な知識の織りなす思索の街道ではないか、ということである。
そして読者はその思索の跡を辿ることによって著者の頭の中にのみ存在する街道を追体験するのである。
今回の街道ではシリーズには珍しく、現実に翻弄される著者の姿がユーモラスに描かれる。
地元の案内人が意に染まぬ所を案内するのを断り切れず、もくもくとついて行くしか無い著者。またある入江を見たいが為に、場末の遊園地への入場を余儀なくされる。
でもそこで展開されるのもまた、思索の街道なのである。 -
購入:2008/10/25、読了:-/-/-