- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022732163
感想・レビュー・書評
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難易度もブランドも日本のトップである東大。自身も母校としながら、そこで教鞭を取る著者が、学生の反応に違和感を覚えるところから、教育を解きほぐす。
官僚答弁風の答案の採点や、縦割り教科を根源とするらしい高得点狙い風潮。一方で、現実の問題解決に必要となる教科越境型の「ディシプリン」。
設立の経緯そのものが、理系が先進科学や軍事、医学技術の輸入、文系は官僚養成や先進学術の輸入であったと「官学体質」の根本を探る。「富国強兵」に向かった大学は、敗戦後、その役割や責任をきちんと認識すべきと主張する。
これから必要となるのは、イケイケ一辺倒でキレるトップではなく、自身で価値判断を下すことが出来、抑制の倫理にも気付く「中庸」ではないかと提言するのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作曲家、指揮者という顔と
東大情報学環の教員という顔を持つ著者による
日本教育のゆがみを切っていく本。
古代ギリシャの哲学者から、
江戸期の思想、明治以降の富国強兵政策の中での
高等教育の在り方というところを俯瞰的に
描き出しており、
一方でまた、教員として実際に大学で接した
「思考停止の学生たち」のエピソードを取り上げており
説得力がある。
端的に著者の主張をまとめると、
日本の大学は「頭のないゲソの集合体」
ということになる。
大変厳しい指摘だが、まぁなるほど、真実を突いてると
思わされた。
著者の家系に関して、非常に第二次世界大戦で
「人生を狂わされた」という意識を強く持っており、
それが著者の強い芯として、思考停止の組織体への
批判意識に繋がっていると感じられる。
人生を通じての強い主張というのは、かなり若年期の
体験や家族状況というのに影響されて形成されるものかと
思うのだが、そういった点も含めて、著者の筆の鋭さは
並々ならぬものがある。
「大学の戦時責任逃れ」に大変に手厳しく、
それを今繰り返すことがあってはならないという思いが
読み取れる
(が、それでも変わらず思考停止という現状があって…)。
結局東大は官僚養成機関の気質が抜けてこないし、
まぁ抜けないからこそ東大だというような気もする。
たとえば秋入学などの取り組みが決定的に何かを
変えるとは思われないけれど、
それでも、高校卒業、点取りゲームでの受験満足で
過ごしてきたような「思考停止予備軍」の若者が、
何か意識を変えるチャンスは生まれるかもしれない。
たとえば、東大の合格者を全員、国の費用負担で
半年間くらいアジアの放浪とか、現地での労働とか
義務でさせてみればいいんじゃないの? って思う。
元から社会意識の高い人にはさして変化もないかも
しれないが、脳が何の因果かで「思考停止」に
差しかかっているヤツを、強烈に別世界に引きだす
効果はあるかもしれない。 -
箱庭的仮想空間の中の決められたルールの中で生きていた学生(東大生)の現状について述べている。だが、大部分は戦時・戦後の官学についてや、古代アテナイの話や、自分の父親の戦争体験など、タイトルとあまり関連のつけにくい話が多く、少し期待はずれだった。
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難解
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思考停止の日本人の量産。
今の日本の大学生はなぜ思考停止するようになってしまったのか、
今日の日本の受験勉強や大学教育のありかたは正しいのか、
を日本の大学創設からの歴史、海外の教育のありかた、戦争や宗教との関連から紐解いていく。
タイトルほど内容は面白くないです。少し難しい内容になってます。 -
読むきっかけは、雑誌WEDGEで吉村教授が薦めていたからです。
断片的な知、教育に対する疑問、将来への不安、、、一つ体系化された考察をいただき、非常に参考になりました。
難しい内容はなく、読みやすいです。 -
おもしろいのにタイトルだけは…内容に比べてちょっと陳腐では。
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刺激的なタイトルなので「タイトルにインパクトがあるだけ?」とも思ったが、なかなかに真面目に「学問って?」、「学ぶとは?」、「学術知識とは?」ということを問い掛け、考えさせてくれる一冊で、なかなかに好い…
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2008/8
一風変わった東大論。ただ批判するだけでなく、最高学府というものはどういうものなのか、東大だけでなく大学のありかたを問い直す一冊。タイトルとは違い、結構読み応えのある内容。