- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022734167
作品紹介・あらすじ
「アイドル」であることに少女はなぜ違和感をもったのか?南沙織の熱烈ファンである大学教授が、蒐集し続けた資料をもとに徹底分析。異色の大衆文化論。
感想・レビュー・書評
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始めはオタク的な研究者のアイドル論の本かと思ったが、読み進むうちにこの40年間の日本の社会状況を深く考察した好著と思った。私の年代では南沙織さんは少しお姉さんだった。社会的背景など考える由もないはな垂れのアホにはよくわからなかったが、後に吉田拓郎が歌った「シンシア」が沙織さんのことなのだと知り、興味を持ったものの、深く聴いたわけではなかった。
しかし、この本を読み、奄美・沖縄の戦後史を考える場合に沙織さんは貴重な、というか深く考察すべき存在であると痛感させられた。
また、沙織さん本人には一切直接に会ったことはなく、ファンとして集めた資料でこれだけの考察をまとめた著者のやり方に感嘆した。さまざまに興味深い一冊である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
烏兎の庭 第四部 8.31.12
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/diary/d1208.html#0831 -
小柳ルミ子、南沙織、天地真理の新三人娘の登場は自分自身がティーンエイジ時代の目覚めであり、明星の表紙の彼女たちの笑顔は同じクラスの意識している女の子へのときめきと同じドキドキを与えてくれた気がします。三人の中では南沙織が一番可愛いと思っていました。ちょうど超田舎から出て地方の中核都市の中学に入ったタイミングで、都会のテニス部のエースやバレー部のキャプテンのキラキラに参っていたころ、さらに南沙織にはクラスのアイドル以上の都会っぽさを感じていました。三人の中では沖縄という地方を背負っていたはずなのに。でも本書を読んで、彼女が沖縄の中でもインターナショナルスクール出身で、フェンスの外と内の間に生活圏を持つ、そして国籍にしてもフィリピン人のおとうさん(養父)というドメスティックじゃないアイデンティティを持っていたことに、都会っぽい、無国籍なオーラを感じていたのかも、と気づきました。そして小柳ルミ子も天地真理も芸能界の人って香りがしたけど、南沙織には芸能の仕事に対する執着感じなかったし、1978年の資生堂のキャンペーンソングの「春の予感」で発揮したみたいなニューミュージックの世界との親和性も「ニュー」だったなぁ。その後の上智大学進学というキャリアコースものちの早見優や西田ひかる、そしてフジテレビのアナウンサーたち、いわゆるバイリンギャルの走りだったのかもしれません。南沙織をアイドルの始まり、とする主張もありますが、自分にとっては70年代にたまたま始まってしまった80年代のミューズでした。少なくてもCBSソニーにおいて、郷ひろみ、松田聖子へ繋がる80年代歌謡曲の「夏の扉」を開けた人。そして「17歳」というバトンで森高を世に出し、アップフロントに力を蓄えさせ、ハロプロを生み出した起点。やっぱ、元祖アイドルか…元祖オタクな著者は、今好きなアイドルいるのかな?
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アイドルとは何かをテレビ的エンタテインメントの歴史から考える時の必読書。
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新書文庫
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生まれて初めて買ったレコードは南沙織の「17才」だった。
生まれて初めて「平凡」や「明星」を買ったのも、南沙織の記事が読みたかったから。
というわけで、この本の言葉を使えば、僕は「サオリスト」だったわけだ。
南沙織のデビュー曲、「17才」の発売日は1971年6月1日。70万枚のヒットとなる。
京都から大分の田舎町に引越していた僕は中学校1年生だった。
田舎町の中学1年生から見たデビュー当時の彼女は(ファンだから当然そう思うのだけれども)、とても新鮮で輝いていた。
「南沙織がいたころ」という書名に惹かれて買った本であるが、本当に、「南沙織のいた」あの頃のことを鮮明に思い出した。 -
単なるアイドル本かと思いきや、以外に深いお話でした。私も初めて買ったシングルは「17才」初めて部屋にポスターを貼ったのは南沙織です。名前の考察に至るまでの幅広い文化論、(私も娘の名前は沙織にしようかと悩みました。嫁に却下されましたが)南沙織ファンとして、この本に出会えて幸せです。
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とっても南沙織さんが好きなのが良く判った。
子供ながらに、美人なお姉さんだと思っていた。いつの間にか居なくなったとは思っていたが、結構紆余曲折があったんや。
また出て来てくれんやろうか。
ファンとしての立場から、これくらいまとめられたらすばらしい。