糞袋の内と外

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784023311800

作品紹介・あらすじ

【哲学/哲学】もともと価値のないただの「糞袋」である私たちが、それでも生きている意味とは何なのか。ロボット開発を通して、人間の本質を見つめている天才工学者が、ツイッターでつづってきたメッセージを再び問い直した初の哲学エッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • 人はただの糞袋。
    人は、骨や筋肉や内臓や色々なモノが合わさって、非常に複雑な仕組みになっている。ただ、我々がそれを自分の体だと感じられるのは、感覚器(触覚、視覚、聴覚など)を通じてのみ。で、感覚器によって自分の体と外の世界の境界を認識しているかのよう。
    すなわち、人間は感覚器の集合であり、感覚器は人間の体を覆う袋のようなモノ=人間は糞袋。p21

    人は心の存在や人間の存在に疑問を持ちたがらない。自分の帰属先を得ようとし、宗教は明確な帰属先になりやすい=自分を認めてくれる存在。p31

    「空=不変的、固定的実体というべきものは何一つない」が、筆者の感覚に近い。p32

    動物は遺伝子のみによって進化するが、人間は遺伝子だけでなく、技術によっても進化する。そして、進化の速度は、技術のほうがはるかに早い。p48

    技術は、人間の能力や身体を拡張し、「私の範囲」も、広がる。p49

    自分の思い通りになるのが、「私の体」。p50

    「国家」は、一人の人間が支配する範囲を広げる事によって作られてきた。その意味で、「私」の拡張。p51

    技術が私を薄めていく。
    技術が進歩すればするほど、人間がやってきた事が全て、機械に置き換わり、その作業の中身が見えなくなる。( 技術の進歩によって、人間はより人間らしい仕事に注力できるようになったり、色々な事を考える時間ができたが。)p53
    機械のスイッチを押すだけの存在になってしまっている。
    技術によって、人の定義も変わる。義手や義足によって。移植によって。アンドロイドによって。
    →人間の定義も変わる=より本質的に人間を定義できる

    本能に従い、食欲や性欲を満たすだけ(主観だけの世界で生きる)ならば、大きな脳はいらないはず。人間の脳が肥大化したのは、客観的に世界を認識しようとしてきたから。p59

    人間は世界を客観的に見る事で自分と世界の関係を明らかにし、世界の普遍的な法則を発見し、道具を作り、科学技術をを発展させた。p59

    生きる事の目的は、「私」を知るためであるし、
    「私」の価値を探すため。価値があるかどうかわからないから、その価値を探すためにいろんな事をして、いろんな自分の可能性を見つけていく。それが生きる事の本当の意味。p72

    「私」や「価値」が時代とともに、人間の進化とともに変化するから、生きる意味は永遠に答えが出ない。p73

    自分のためだけに生きる。身近な人間にに認めてもらうと、早々に安心してしまう。p76
    死を意識しながら、時間を無駄にしない。できるだけ多くの事を見て、感じて、できる限りの事をする。それが生きる実感。

    貨幣経済社会の次は知識社会と言われているが、単純に知識の量に価値を見出している限り、かへいとかわらない、p88

    予定通りの人生。p89

    人間らしさとして重要なのは、「考える」や「愛する」などを使いこなす事。p111

    人間は他人との関わりを通じて自分を知る。ゆえに、他人は自分を映し出す鏡であり、他人がいないと自分を知るとこができない。しかし、他人を意識しすぎると、自分を見失ってしまう。p122

    他人に興味を持つ事は、結局は自分に興味を持つ事。他人に興味をもち関わりながらも、その他人の中に自分を見つけ、その見つけた自分を自分に吸収していく。p125

    自己の放棄は難しい。人間の遺伝子には、競争して生き残れと書かれており、遺伝子に逆らうような生き方はかなり難しい。p127

    人間は自分が見えなくなると、かなりつらい。何かの理由で、親しい人がいなくなると、自分を映し出す鏡がなくなり、自分が見えなくなる。
    買い物に行けば店員がいるが、対話は表面的で、客と店員というお金によって関係が規定されているため、思い通りの自分しか見えなくなるp128

    ブログ、TwitterやFacebookは、テレビやラジオのような一方通行のメディアに比べ、双方向であるものの、情報を発信する側と受信する側にわかれている。(誰もが常に面白い話題を持っていないため)p131

    人はもっと自然に、もっと簡単な方法で、もっと緩く堅苦しくない関係を求めているが、出会いにはリスクがある。p132

    人間関係の構築をコンピューターに任せるという(コンピューターネットワーク)事は、他人という鏡の選択をコンピューターにしてもらう事であり、コンピューターによって、自分の探す答えや生きる目的が与えられかねない。p134

    メディアを通じた人間のつながりは薄いものの、多くの人がつながりに安心しているのは、疲れない程度のつながりを求めているから。
    そして、つながりを維持するメカニズムは、「共感」。ただし、適当な、緩い共感である。本当に共感する相手を見つけるのは難しいから、適当に共感する。p135

    感情がわき起こってから行動するのと、行動してから感情がわき起こるのは、常に同時に起こる。(好きだから見るのと、見るから好きになるという関係と同じ。)
    共感も同じ。

    だが、こうした緩い関係よりも、先に述べたコンピューターネットワークの方がいいのでは?p136

    他人は自分を映し出す鏡であるが、同時にその鏡に映った、少し良く見える自分なろうとする。鏡は常に全てをありのままに映すのではなく、鏡をのぞき込む人間の意図が反映される。
    けど、大事なことはどれほど、自分を深く知ることができたか。(それは論理的な考察だけてなく、感情的なものでも構わない。)
    社会で色々な人と関わり、新しい自分を発見し、新しいことに挑戦することが大事。
    怖いのは、そういった発展が一切なくなってしまい、単に社会に同調し、社会と自己の境界がなくなり自分が消えてしまうこと。p136

    子供の人格形成の過程。p137

    つながりを作ること(共感すること)が目的ではない。つながりの中で自分を見つめ直し、真の自我を得ることが自分を成長させていく。p138

    安心できるつながりは、自分がいなくなってしまう。人に対し好き嫌いを持たず、一切安心できないつながりの中に身を置くのがいい。p138

    より強いつながりは、宗教。次いで血縁や金銭など。宗教には、「教え」があり、それを共有することが、強いつながりとなる。p139

    「つながる」とは、大勢の人間の間で同一の価値観、同一の何かを共有するであり、自己と世界の境界を消去して、世界と一体となること。p144

    ただ、自分を知り成長させるために必要なつながりとは、人と関わるという意味でのつながりであり、価値や信念を共有するなどして、他人と同じになるということではない。

    金銭や宗教などの「つながり」には溺れやすいから、「つながっているようでつながっていない」
    という関係が望ましい。

    電車の中で化粧するのは、世界が自分の中にあると考えるという意味で、王様と似ている。電車の中で化粧ができるのは、平和な証拠である一方、多くの人が同じ行動をとれば、その平和はすぐに崩れそうだという予感がする。p160

    街などの人以外の物とつながることができ、その人を映し出す鏡となりうる。p161

    コンピューターに置き換えられつつある人間の脳の活動の中で、今のなお、人間らしいと思えることは、「信じる」ということ。p165

    人を信じるということは、一回一回のの物事の成否を見て人格全てを判断することでなく、その人の可能性や本質的な性質を信用すること。p170
    他人に対する好き嫌いは、自分に対する好き嫌い。

    荒波にもまれてはじめて、自分の本当の力に気がつくし、予定通りの人生は、自分の可能性を押し殺す可能性が高い。p177

    人生の価値とは、限られた人生の中で何ができるのか挑戦し続けること。あらゆる予定をぶち壊し、荒波にもまれながら、自分の可能性を限界まで引き出す。そうすることで、自分の命の価値が高まる。p177

    制約を作りたがる人 = 不安を取り除く人p181
    自分で制約を語る人 = 過去にとらわれる老人
    制約のある不安と、制約のない不安。p184

    常に不安な状態を作り、不安から抜け出すために新たな物を作り出す。そして、そこに留まらず、変化を起こし続ける。p185

    不安に耐える信念や信念を支える強い精神力が必要p185

    「大人になるということは、幼い頃の疑問に適当に折り合いをつけること。」
    子供のままでいる。p186

    自由を実感する時。p188
    自由の感覚を中毒的に忘れないと、信念を持てるのかもしれない。

    新しいものは、芸術のごとく、作り出すものの熱意と直感で生まれてくる。
    そして、芸術家の何か生み出したいという思いは、そのものが持つ欲望から湧き出る。p198

    世の中を変化させるのは技術が重要。新しい技術に良い技術も悪い技術とかの区別はない。良いか悪いかは使い方次第p200

    子供の教育について。子供に無理な挑戦は強いるべきではない。嫌がる子供を無理やりに活動に従事させても失敗した場合、子供の可能性を奪いかねない。p204

    クリエイティブな活動をする時、「何でもいいから一緒にやってみたいと思うものと役割を決めずに何かを始めるべき。」
    そういう人は、直感を頼りに見つけるしかない。自分が見上げも見下げもしない人物で、時に尊敬できる人物で、何かつながる部分があるように感じる人。p205

    安定するというのは、生物的で根源的な自己保存の欲求のように見える。人間も生物の一種だから、最も重要なのは自己保存であると遺伝子に書かれているはず。
    だけど、それでも新たな自分自身を発見し、世界に新たな何かを提供することが、人間の価値。


    じっくり考えることは疲れる。それを放棄し、安易な快楽に逃げるほうが自分が安定するから、楽だ。

  • 「おまえはクリエーティブな人間だろう?だったら未来はおまえが作るのであって、人に聞くようなことではないだろ」と叱られた。

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著者プロフィール

石黒 浩
ロボット学者、大阪大学大学院基礎工学研究科教授(栄誉教授)。1963年滋賀県生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了(工学博士)後、京都大学大学院情報学研究科助教授、大阪大学大学院工学研究科教授を経て、2009年より現職。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。オーフス大学(デンマーク)名誉博士。遠隔操作ロボットや知能ロボットの研究開発に従事。人間酷似型ロボット(アンドロイド)研究の第一人者。2011年大阪文化賞受賞、2015年文部科学大臣表彰及びシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム知識賞受賞、2020年立石賞受賞。『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』(講談社現代新書)、『どうすれば「人」 を創れるか アンドロイドになった私』(新潮文庫)、『ロボットと人間 人とは何か』(岩波新書)など著書多数。

「2022年 『ロボット学者が語る「いのち」と「こころ」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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