英国一家、日本を食べる 上 (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041038888

作品紹介・あらすじ

4歳と6歳の子どもを連れ、初めて日本を訪れた英国一家。新宿の思いで横町で焼き鳥を口にして以来、食のワンダーランドに病みつきになった一家は、美しくて健康的な和食を追及すべく各地に繰り出してゆく! 築地市場に魅了され、だしやわさびで異常に洗練された日本人の食感に驚き、相撲部屋を訪れ、かっぱ橋、鯨肉、ラーメン横丁、味の素本社へ。一家の冒険は止まらない! おいしさ満載、抱腹絶倒の日本食エッセイ!!

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    日本には世界各国のあらゆる料理が集まる。中華、フランス、イタリア、スペイン、インド、韓国、トルコ…….など、バリエーションに富んだ料理を、安く、かなりのクオリティで(本場に比べれば再現度は落ちると思うが)食べられる食の都市、それが日本の特徴だと言えるだろう。
    だが、「本物の日本料理を食べるのはどこで何を食べるのがよいか?」という質問には、日本人と言えど答えづらいのではないだろうか。それは「お金を出さないと美味しいものが食べられない」という状況に無いからだ。低価格帯~高価格帯まで食のクオリティが高く、「本物のお店」に行かなくても満足できる。特に低価格帯の層は厚く、ランチに100円プラスすれば本当に100円増した分のクオリティが保証される。選択肢がありすぎるから、逆に「本当の日本料理」というものに触れづらくなっている側面はあるかもしれない。

    そうした日本料理に対して「本場を食べつくしてやろう」と戦いを挑んだのが、筆者のマイケル・ブースだ。マイケルはイギリスのフード・ジャーナリストである。2008年に友人の日本人シェフから、辻静雄の『Japanese Cooking:A Simple Art』を貰い、その中に書かれていた日本料理の精神性に強く惹かれた。本を読んだ瞬間に日本行きを決め、北海道から沖縄まで日本を食べつくす旅を決行した。その道中を描いたのが本著「英国一家、日本を食べる」である。

    本書の内容であるが、一流料理店、庶民の店、魚市場、水産加工場といった幅広い場所に訪れているため、非常に起伏に富んだ読み応えのある一冊に仕上がっている。
    例えば「日本で一番おいしい天ぷら屋」レポに行った際は、料理人にインタビューを行い、サクサクの衣とふわふわの身を両立させる方法や、フィッシュアンドチップスとの衣の違いなどを、詳細な調理工程とともに記している。材料は小麦粉と水と卵だけだが、水は冷たく冷えていないといけない、卵は日本の濃厚な卵を使う、ボウルに入れるのは、粉、水、卵の順…….など、味の感想だけでないテクニカルな部分も詳細に調査してくれている。日本人にとっても勉強になることは多いだろう。
    かたや、一流料理店だけではなく庶民的な店にももちろん入る。北海道のラーメン横丁、東京のガード下の焼き鳥屋といった安価な店を訪れ食レポしていく。高級な店では、日本料理の魂とも呼べる「繊細さ」の源を研究する一方で、庶民的な店では堅苦しい雰囲気は無しに、美味しさ、見た目、ワクワク感を書き記し、日本食の楽しさを語っていく。この二面性が、「お金を出さなくても美味しいものが様々な場所で食べられる」という日本食文化の特徴に上手く沿っているのではないだろうか。

    また、食事だけでなく、かっぱ橋でのキッチンツールの買い物や築地での競り見学など、食文化を取り巻くあれこれにまでフォーカスを当て、外国人独自の視点から面白おかしく日本を綴っている。食のエッセイとして面白いのは確かであるが、同時に「異文化体験エッセイ」として読んでも非常に面白い一冊に仕上がっていた。

    余談だが、筆者の日本での交友関係がとんでもない。正確に言えば、アテンドしてくれたエミコの人脈がおかしいぐらい広いのだ。相撲の尾上部屋に訪れて把瑠都と交流したり、ビストロSMAPを見学してキムタクと握手したり、服部栄養専門学校の服部幸應氏にインタビューを敢行したりと、「なんでそんなことできるの?」と首をかしげてしまった。普通の日本旅行ではありえない場所に行っていることもあり、日本人でも知らないことがたくさん描かれている本である。

    下巻のまとめ
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4041038898
    ―――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 日本料理を確かめたい
    1979年に出版された辻静雄の『Japanese Cooking : A Simple Art』は、日本料理について書かれた本の中ではバイブルのような地位にある。

    多くのレシピが載っていて、焼き物、蒸し物、煮物、野菜、揚げ物、鮨、麵、漬物など、200以上もの料理が紹介されているが、それだけではなく、米の精神性から日本料理における器の役割まで、ありとあらゆることを解説している。「日本人は、たとえつつましく暮らしていようと、料理は味がすべてで器は何でもよいとは思いません」と彼は述べている。また、辻は、日本料理では季節が非常に重要だと強調する。料理を作る人も食べる人も、ある特定の時期にしか手に入らない食材を、貴重な授かり物として喜ぶというのだ。さらに、日本人は味がほとんどない食材を数多く使って、食感や舌触りを楽しむこともこの本で知った。

    日本人が、食べ物に熱を加えすぎないように気を遣うのは僕も知っていたし、鮮度とシンプルな調理法に何よりもこだわり、火の入れすぎはそういうものを損ねるので用心することは広く知られている。
    多くのシェフが、シンプルであることや「素材そのものに語らせる」こと、旬の素材や地場産の材料だけを使うことなどについてあれこれ言うのを聞いたが、彼らの話はいつも同じだった。雑誌や新聞に掲載するインタビューをするたびに、そういうシェフがだらだらと話すのをぼんやりと聞いてきたけれど、彼らが作るやたらとこだわりの強い手の込んだ料理を目にすると、彼らの言葉もただの陳腐な決まり文句だとしか思えなかった。ところが、ひとりの書き手が自国の料理について記したこの本では、決まり文句のすべてが生きていた。

    驚いたことに、辻は、すでに1970年代の終わりに、伝統的な日本料理の衰退に気づいていた。「残念ながら、私たちの料理はもはや本物だとはいえません。冷凍食品に汚染されています」彼はそう述べて、外国の料理がいつの間にか日本人の味覚を変化させているとも記している。とりわけ彼が嘆くのは、昔はなかった冷凍マグロの味で、それが「日本料理の伝統を破壊している」のだそうだ。

    辻の本を読み終わってすぐに、僕はいきなり、衝動的に、後から思えば人生を変えることになる決断を下した。実際に行って、この目で見て、自分の舌で味わってみるしかないと決めたのだ。日本へ行って、今の日本の食べ物を調査し、料理の技術や食材についてできる限り学び、辻の悲観的な予想が当たっているかどうかを自分で見極めなければならない。今でも料理について日本人から学ぶべきことはたくさんあるのか?『Japanese Cooking : A Simple Art』は、もはや失われた伝統のエレジーでしかないのか?トシ(著者の友人)が自慢する日本人の長寿や、日本料理が恐ろしく身体にいいという話は本当なのか?もし本当なら、そういう食事を多少なりとも取り入れることはできるのか?
    とにかく日本へ飛んで、じっくりと、計画的に、貪欲に、仕事をしてやろう。北の島、北海道から南へ向かい、東京、京都、大阪、福岡を訪ね、沖縄の島々へも足を延ばし、各地で食べて、インタビューして、学んで、探求する。日本ならではの食材を味わい、日本料理の哲学、技術、そしていうまでもなく、健康上の恩恵について学習する。そう決断した。


    2 日本の食事のすごいところ
    日本では、料理屋といえば、たいていは一種類の料理の専門店だ。ひとつの料理しか作らない店だってある。駅のなかなどには、何種類もの料理が食べられる店もたくさんあるけれど、そういうところは、急いでいるのでとりあえず何か食べたい人に低価格でそこそこの料理を提供する。それが、東京の食が他の国の街とは比べ物にならないほど豊かである鍵じゃないかと僕は思う。

    ふらっと入ったスーパーの店内で、僕は見慣れないパッケージや日本語の説明しかないことに当惑して立ち尽くし、並んでいる果物や野菜の完璧な姿に恐れおののいた。日本人は、生鮮食料品にとてもうるさい。どの商品も、傷ひとつない。リンゴはエアブラシで色づけしたみたいにバラ色に輝き、なすは漆のように黒くつやつやして、ジャガイモでさえ形がそろっていて、何もかもが新鮮で採りたてのように見える。


    3 ビストロSMAP見学
    アメリカの新聞社の東京支局でリサーチの仕事をしている女性、エミコ・ドイのアテンドにより、ビストロSMAPを見学することになった。
    SMAPは「ビストロSMAP」を通じて、何世紀も変わらなかった、家庭で誰がエプロンをつけるべきかに関する日本人の意識を完全に変えた。テレビのショーと、7冊も出ているスピンオフのレシピ本によって──つけ加えておくと、有名人の料理本としては世界一よく売れている──彼ら5人は日本の男性に、家で料理をしてもいい、男が麵を炒めたり時間をかけて作った刺身を細切りの大根の上にきれいに並べたりしても恥ずかしくないと知らしめた。今では、かつてないほど多くの日本人男性が家庭で料理をするようになったが、その大きなきっかけのひとつはSMAPだ。彼らは、現代の日本の食文化にとても強い影響を与えたといえる。
    画面には映らないプロのシェフたちがときおり指示を出すが、SMAPの若者たちが実際にみごとな自信と腕前で料理を作っているのは間違いない。「ええ、彼らはこの12年余りで6500食以上作ってきました」収録が終わってから食堂で話をした番組プロデューサーはそう教えてくれて、料理もメンバーが自分たちで考えているのだと明かした。

    「誰かに感心してもらいたくてやったわけではなく、純粋にチャレンジしたくてここまで来ました。今では、メニューの考案にも参加しています。新しい料理を考えるのが好きみたいですね。彼らは、音楽だけでなく料理でも創造性を発揮しています。当初は意図していたわけではありませんが、若い男性が料理をするというまったく新しいトレンドが生まれました。日本には、男子厨房に入らずという格言がありますが、SMAPがそれを完全に覆したのです」


    4 東京で一番うまい天ぷら
    東京で一番と言われる天ぷら屋に入った。
    注文したのは、シラウオ、イカ、ウナギ、エビだ。エビの頭は後から出てくると聞いて、アスガーとエミル(筆者の家族)は仰天していた。どれもこれも、絶妙の味わいだった。カリッとしていて、衣が油で光っているのに食べてみると全然油っぽくない。なかの魚はしっとりとして熱々で、最高だ。最後に登場したのは、思わず舌鼓を打つ、小さなアサリが入った香りのいい味噌汁と、エミルの手の指先ほどのホタテがごろごろしている栗色のフリッターがご飯の上に載った、かき揚げの天丼だった。

    イギリスのフィッシュアンドチップスの衣と、どうしてこんなにも違うのだろう?
    「魚の知識があるかどうかで決まります」料理人は、狭いオープンキッチンのなかでそう説明してくれた。火にかけた油の熱気で、顔がほてってくる。「それから、野菜ですね。季節と。油もね。それに、衣。私は10年修業しました。衣を混ぜるのを許してもらったのは、つい1年前です」
    料理人はちゃんと秘訣を教えてくれた。まずは衣だ。材料は小麦粉と水と卵だけだが、水は冷たく冷えていないといけない。彼が使う粉は、彼のオリジナルのブレンドで、ベーキングパウダーや米粉が入っている。そして卵は、日本の濃厚な卵を使う。ボウルに入れるのは、粉、水、卵の順だ。作った衣は直ちに使う。
    ほとんどの料理本には、天ぷらは180度前後で揚げるのがいいと書いてあるが、天ぷらのエキスパートは素材によって揚げる温度を変えるらしい。その理由を彼が説明してくれた──たとえ油が180度でも、天ぷらの素材には水分がたっぷりと含まれているので、水の沸点である100度以上で調理するのは難しい。水分が多いと、素材の温度は100度以上に上がらないのだ。だから素材の水分は、衣をつける前にできるだけ取り除いておかなければならない。腕のいい料理人は、どのタイミングで揚げれば仕上がりがパーフェクトになるかがわかっている──とても専門的な技術だけに、腕ききの天ぷら職人は、他の料理を作らないそうだ。


    5 日本人の食生活は変わってしまった
    日本を旅してみると、ほぼすべての日本料理に関東方式と関西方式のふたつの流儀があって、当然ながら、お互いに自分たちの調理法が優れていてもう一方は野蛮だと信じ切っているのがはっきりとわかる。この日本料理の基本となるふたつの流儀は、鰻の開き方から、麵を冷たくして食べるか温かくして食べるか、鮨飯をどれくらい甘くするかに至るまで、あらゆることがらにかかわってくる。

    ライバル関係にある両者は、それぞれ別の最高水準の調理師学校──各々の料理の伝統の砦──を誇りとしている。大阪にあるのは、辻静雄が創設した1960年開校の調理師専門学校で、現在は息子の辻芳樹氏が継いでいる。一方、東京にあるのは、1993年に服部道政が端緒を開いたとされる服部栄養専門学校で、現在はやはり息子の服部幸應氏が後を継いでいる。

    僕は、いつから日本人の食事がよくない方向へ進み始めたのかを知りたかった。
    服部氏は、アメリカを非難した。「戦後の日本は、アメリカに傾倒するようになりました。パンやポテトや靴底のように分厚いステーキを食べる、体格のいいアメリカ人を見て、同じものを食べようとしたのです」彼はそう話した。「強い身体を作らなければいけないという大きなプレッシャーを感じて、バター、ミルク、小麦粉を食べるようになり、アメリカ人のようになろうとしました。学校給食も、突然米からパンに替わり、大豆や海藻や調理した野菜、米、魚という従来の日本の食事のバランスが失われました。そして増えたのが、肥満、糖尿病、心臓病になる人です。かつての日本人は、理想的な食事をしていました。大豆、魚、豆腐でタンパク質を摂っていました。でも、今の若者はジャンクフードを好み、でき合いの食品を買って質の悪い食事をしています」
    服部氏は、この問題には日本人と欧米人の身体の違いも絡んでいると説明した。日本人の腸は、欧米人よりも平均して60~70センチメートル長いという説がある。これは、明らかに大きな問題だ。自給率が低く頻繁に飢饉に見舞われたという歴史により、健全な食品からの吸収率を最大限にするようにプログラムされた遺伝子を持つ日本人は、食生活の欧米化によって、脂肪や添加物や糖質を欧米人よりも長い時間体内に留めておくことになってしまったというのだ。


    6 カオスな魚市場、築地
    築地の魚市場は、まるで世界最大の水族館だった。どこまでも果てしなく並んでいるのは、驚くべき海洋生物たちだ──水槽に入っているのもいれば、発泡スチロールの箱に入っているのもいて、砂利のような氷の上に寝かされているのもいる。あらゆる種の海産物がそろっているといってもよく、怪しげな魅力を放つクジラの赤身肉から、細かいおがくずのベッドの上でぴくぴくしている、まつ毛と同じくらいの大きさの茶色いエビに至るまで、名前と一キログラム当たりの価格が表示されている。
    オサムについて歩きながら、ときおり立ち止まっては、先史時代の産物のようなフジツボ、僕の掌ほどもあるハマグリ、東京の南方の愛知県で捕れた僕の前腕くらいの大きさのムール貝、辛そうに泡を吹いている大きさも形もさまざまなカニなんかを観察した。その他にも、スープで人気のスッポン、何かわからないけれど樽に山盛りになって足だけ別に横の桶に入っているもの、巨大なアワビ、大人のオモチャを連想させるようなナマコ、生ける化石のようなカブトガニ、ためらいがちに開いた殻の隙間から外の世界を盗み見ている帆立貝など、数限りない海産物が並んでいる。
    僕がどうしても言っておきたいのは、借金をしてでも、車を売ってでも、死ぬまでに必ず今の古い市場を訪れてほしいということだ。僕が思うに、あそこには人間が生み出した世界一すばらしい奇跡というか、人の勇気、創造力、欲を示す究極のシンボルが詰まっている。食通にとって、あれほど魅力的な場所は世界のどこにもない。


    7 日本料理に欠かせない「うま味」
    健康と長寿で知られる日本人にとって、昆布は重要な食材に違いない。日本人が食するもののなかで、昆布は、カリウム、鉄、ヨウ素、マグネシウム、カルシウムなどのミネラルを何よりも多く含んでいて、ビタミンBやビタミンCも豊富で、そのうえ、解毒作用もあると考えられている。海藻には、がんの予防効果があるとされるフコイダンも含まれている。しかも、当たり前だけど、脂質もカロリーもごくわずかだ。

    日本人は調理によってうま味を最大にする世界一の達人だ。一番の例が、味噌汁だ。池田博士の発見でわかったことだが、昆布には地球上のどんな食材よりも多くグルタミン酸が含まれている。そして、味噌汁のだしのもとになるもうひとつのメインの食材、鰹節には、天然のイノシン酸がこれ以上はないというほど詰まっている。一方、椎茸はグアニル酸が驚異的に豊富なキノコで、味噌汁の具に使われることもある。その三つが一緒になると、うま味がトリプルで重なってかえってまずいのではないかと思うかもしれないが、実はこの三つのコンビネーションによって、単独で使うときよりもうま味ははるかに強まる。

    グルタミン酸もうま味も、他の風味をサポートして、味にこくを与えたり味を引き立てたりするのが特質で、それ自体を知覚するのはとても難しい。しかし、うま味は熟成の指標でもあって、野菜や果物の栄養価が最も高くなる食べ頃を教える役割も果たす──たとえばトマトは、完熟するとうま味が最大になる。

    調理の際にどうすればうま味が最大になるかがわかれば、健康維持のうえでも大きな恩恵がある。うま味が深くておいしい特別な味を出してくれるので、塩、油、砂糖など、僕ら欧米人にとっては致命的な調味料を控えることができる。うま味は、カロリーやその他の健康リスクを伴わずに料理をおいしくしてくれる。
    しかもうまい具合に、人間の身体には、自動うま味リミッターのようなものが備わっているみたいだ。食事中にうま味をたっぷりと摂取したら、急激に食欲が落ちて、うま味の豊富な料理はもうそれほど食べたくなくなる。味の素社の最新の研究によれば、うま味受容体は舌の表面だけでなく胃にもあって、タンパク質の消化に大いに役立っているらしい。胃の受容体がグルタミン酸を感知すると、消化液の分泌が促されて消化を促進する環境が整うようだ。ある意味、ちょっと膵臓と似た働きだ。うま味の多い食べ物を楽しむと、満足度が高まり、消化も促進されることは純然たる事実だ。


    8 うまい鮨
    僕が思うに、鮨飯の味つけこそ──一般には酢と砂糖が7対5の割合で、塩は小さじ2分の1程度──鮨が欧米であれほどまでに受ける理由じゃなかろうか。つまり、しょっちゅう食べたくなるビッグマックの味と同じで、砂糖と塩と酢が基本なのだ。

    厳密にいえば、鮨や刺身に関しては、魚が新鮮なほどいいわけではない。魚も肉と同じで、最高の風味を引き出すためには、獲ってからしばらく──場合によっては数日──寝かせる必要があるからだ。もちろん、例外はある。鰻、貝類、イカなどは、調理直前まで生かしておく方がいいし、調理したものはすぐに食べた方がいい。鯖は傷みやすいので有名だが、それ以外のほとんどの魚は、体内の酵素がタンパク質や結合組織を破壊して、何よりも大切でうま味の強いイノシン酸を生産するまでに時間がかかる。イノシン酸は、だしや醬油のグルタミン酸ととても相性がいい。たとえば本マグロは、解凍してから一週間ほど置いた方がおいしい──もちろん、しっかり冷蔵保存したうえでの話だけれど。鯛は一日、フグは一日から一日半程度で、最もよく熟成する。


    9 北海道ラーメン体験
    ラーメン横丁は最高の場所だ。適当に選んだ店に入り、カウンターの前に腰かけて待つと、熱々の鉢に入ったバターコーンラーメンが現れた。うずたかく重なるスライスしたローストポーク、冷たいバターのキューブ、缶詰のスイートコーン、細く刻んだネギ、海苔のシート、半分に切った茹で卵、それが全部、たっぷり入って絡み合う縮れた麵の上に載っている。
    センセーショナルだった。それまでに食べたラーメンのなかで最高だった。最初に陶器のスプーンで汁をすくったとき、脂が浮いているのが気になったが、それを口に入れたとたんラーメン天国にいる気分になった。ポークの味がして、ほどよく脂ぎっていて、塩とニンニクがしっかりと利いて、冷たいバターとコーンが焼けるように熱いスープにさらされた口の中にショックを与えてくれる。ネギはピリリとした辛みで歓迎してくれ、ラー油はマゾヒズム的余韻を残してくれる。これほど満足できるスープはない。

    日本人の食感に対する意識は異常なほど洗練されている。日本人は口に入れた食べ物の舌触りを味と同じように重視し、料理の温度についてはさほどではないものの(なにしろ、温かい料理はやけどするほど熱々にするのが、デフォルト設定だから)食感についてはとてもきめ細かいニュアンスを大切にする。
    食感のバリエーションとコントラストは、今回の日本食べ歩き旅行で得た最大の発見だった。ひとつの料理のなかで、あるいは食事全体のなかで異なる食感を組み合わせることについては、日本人から学ぶべきことがとてもたくさんあるはずだ。それを学べば、食に対する身体の感覚は鋭くなるに違いない。


    10 懐石料理
    懐石とは、日本の料理の頂点に立つ伝統ある食事のことだ──最高に洗練されたパフォーマンスアートのコース料理で、禁欲的でありつつ金には糸目をつけないという相反する精神で発展し、現在のような姿になった。
    懐石の本場は京都だ。16世紀からこの地で始まった懐石は、もとは茶会の席で出される軽い食事で、公家やときの権力者たちに好まれていた。また、17世紀初頭から19世紀の終わり頃まで、日本は諸外国との交易をほぼすべて禁止する鎖国を行っていたため、茶道を始め、歌舞伎、生け花、書道、詩歌、文楽など、近寄りがたいほど高尚な娯楽が日本独自の様式で発展を遂げた。
    当初の懐石は、味噌汁と三つのおかずだけという簡素な形式で(「一汁三菜」は、欧米でいう「meat and two veg」(肉と二種類のつけ合わせ野菜)と同じで、今もあらゆる日本料理の基本だ)、タンニンやカフェインなど、茶会の客が空腹にいきなり飲むと好ましくない成分の刺激を和らげるために出されていた。

    辻静雄が『Japanese Cooking : A Simple Art』に書いているように、日本人がいう季節の素材とは、たとえばナマコの卵巣のように、1年のうちほんの2、3週間しか手に入らないものを指す場合が多い。ナマコは年に一度だけ卵を持ち、その卵が新鮮なうちに卵巣を食べるのだ。こういう貴重な食材を、懐石の料理人はとても重んじる。そして、皿や鉢も季節に応じてさりげなく取り換えられる。懐石を解読するヒントは、たとえば、汁物鉢はおそらくもっと有名な鉢を倣っていて、オリジナルの鉢と同じ季節を表現しているところにあったりする。

    フランスと日本で修業を積んだ村田氏は、このふたつの国の料理をどう比較しているのだろうか?
    「僕は、日本とフランスの料理の違いはこういうことやと思います。日本料理では、僕らは食材は神様からの贈り物やと思うて、手を加えすぎんようにします。たとえば大根は、ありのままの姿形が最高やと考えるんです。僕に言わせれば、フランスのシェフは往々にして素材を変えてしまいたいと思っている。素材に自分ならではの個性を与えようとしています」

    村田氏は、別の表現も使った。僕が聞いた限りでは、そこには日本と欧米の料理の基本的な違いがにじみ出ていた。「オートキュイジーヌでは、異なる素材の風味を込み入ったやり方で加えたり重ねたりします。けど日本では、とりわけ京都では、主に野菜を中心に料理しますが、その目的はそれぞれの素材の、たとえば苦味とか、あまり好まれない風味を抑えるようにして、素材の本質的な味を引き出すことにあります。日本料理は、引き算の料理なんです」
    「世界から深い関心を寄せられる日が来るなんて、思うてもみませんでした。日本の料理は文明が成熟した時代に実にしっくり合うということに、世界の人が気づき始めたんでしょう。非常に多くの素材を使っていますが量は少しずつで、すべての料理をいただいてもちょうど1000キロカロリーほどです。これは僕のライフワークですよ」
    「懐石は油脂を使いませんから、ほとんど脂っ気のない料理です。幅広く受け入れてもらうのは、そう簡単ではないでしょう。懐石を理解して、懐石のよさがわかるには、何回も食べて感覚を慣らしていただく必要があります。たとえば、初めてトリュフを食べたとき、あの風味をすぐには理解できませんよね。同じように、懐石を初めて食べた人には、あのおいしさはわかりません。調理していない魚が欧米で食べられるようになるまでには、どれほどのうま味があるかを知ってもらうまでには、かなりの年月がかかりました。」

  • 自分の興味(食)で家族と一緒に日本に来てしまうとゆう行動力に笑わしてくれる一冊。以前、NHKのアニメで見ていたこともあり、つい手にとってしまった。確かに東の果ての小さな国、それも東京でありとあらゆる食に出会えるところはないと思う。東京以外にも京都、博多、沖縄など美味しいもの、文化を紹介、分析している。外国人から見た日本食文化にも興味を持った。

  • イギリス人トラベルジャーナリスト、フードジャーナリストである筆者が、辻静雄氏の著書Japanese Cooking:A Simple Artとの出会いをきっかけに日本行きを決意、幼い二人の息子と奥さんと共に、日本各地で様々な食材、料理、人々、文化と出会いと触れ合いを綴った体験記。イギリス人の目で日本の食や文化を日本人以上に理解し、日本人にも新たな気付きを与えてくれる。もっと自国のことをしっかり知るべきと改めて教えてくれる。
    上巻は、東京、焼津、伊豆、北海道、京都の旅。

  • 手放しに日本料理をベタ褒めってわけじゃなくて
    英国っぽい皮肉があったり、日本人は意識していない
    角度からの批評があって、へーそうなんだと考えさせられた。
    ゆるーい感じで、章が短く区切られているので
    読みやすくて面白い。

    その昔、本をよむ前にNHKでアニメ見たが、ほぼほぼ原作と同じだったんだなーと思った。

  • 食の興味に突き動かされて、一家総出で来日し縦断して行った、続編も出た、ということは知っていたので、続編もまとめて文庫化されたこちらをそろそろ読むかと手に取りました。

    一家総出で来てるのは間違いないのですが、いつも一家で動いてるわけではなく、著者である旦那さんがコーディネーターと企業やらお店やら生産現場でインタビューしてる間、奥さんと二人の息子はポ○モンセンターやキッザ○アなどに繰り出しているようで、家族の反応というのはあんまり見受けられません。
    とりあえず焼鳥と天ぷらは大好きになっているようですが。

    後、たまに不思議なことが書いてあるのが、自動翻訳みたいに見えます。
    味噌汁に椎茸入れる?
    澄ましには入ってる気がするけど。
    味噌汁にはなめことかえのきとか……まぁ何入れても良いんだけど、キノコ類を椎茸って言ってないかこれ?

    カバーイラスト / 杉山 真依子
    カバーデザイン / 鈴木成一デザイン室
    原題 / "Sushi and Beyond : What the Japanese Know about Cooking"(2010)

  • 【投票者イチオシ】大学図書館はお堅い本が多いので本書のようなふらっと立ち寄って読める軽い本も必要だと思います。https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001133523/?lang=0

  • 雑誌の掲載で、間を空けて一話ずつ読むには良いかもしれないが、単行本向きのタッチでは無い。途中で飽食気味になる。

  • <目次>
    第1章  トシがくれた一冊の本
    第2章  ブレインツリー上空で燃え尽きる彗星
    第3章  誓い
    第4章  新宿・思い出横丁~東京1
    第5章  相撲サイズになれる料理~東京2
    第6章  世界的な有名番組~東京3
    第7章  特上級の天ぷら~東京4
    第8章  ふたつの調理師学校の話1
    第9章  魚屋の魚屋~東京築地
    第10章  MSG~東京 味の素社訪問
    第11章  余すところなく食べる魚~焼津
    第12章  本物のわさび~天城山
    第13章  道具街~東京かっぱ橋
    第14章  初心者向けの鮨~東京 料理教室
    第15章  クジラ~東京5
    第16章  カニとラーメン~北海道1
    第17章  海藻のキング~北海道2
    第18章  町屋に泊まる~京都1
    第19章  料理サークル~京都2
    第20章  禅の対話~京都 枯山水
    第21章  世界一美しい食事~京都3

    <内容>
    後で著者が言っているが、この本は日本人にそそる内容である。和食はもちろん、日本文化を礼賛しているからだ。「和食」が世界無形遺産になったが、日本人はここまで日本の伝統食に興味が無くなっている。みそ汁はインスタントだし、魚は焼かない(骨をとるのがめんどくさいから)。アメリカ並みに牛肉ばかリ喰らうし、ハンバーグは柔らかすぎる。確かに著者のそのパワフルな好奇心は(後巻で著者が言うように、「食」に関してはどんな困難にも立ち向かう、何事より最優先される気持ちがあるようだ)尽きることがないし、突き進んでいく。またその好奇心と的確な評価が、服部幸應や辻芳樹を動かし、日本でも最高峰の食を経験しているのだろう。

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著者プロフィール

英国サセックス生まれ。トラベルジャーナリスト、フードジャーナリスト。2010年「ギルド・オブ・フードライター賞」受賞。パリの有名料理学校ル・コルドン・ブルーで一年間修業し、ミシュラン三つ星レストラン、ジョエル・ロブションのラテリエでの経験を綴った"Sacre Cordon Bleu"はBBCとTime Outで週間ベストセラーになった。

「2020年 『三頭の虎はひとつの山に棲めない 日中韓、英国人が旅して考えた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

マイケル・ブースの作品

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