四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041090749

作品紹介・あらすじ

辺土(へんど)とは、遍路で生活する者である。
時に放浪者として迫害される彼らに密着取材!
誰も書けなかった「日本最後の聖と賤」たるもう一つの遍路を、5年をかけて描いた唯一無二のルポ!

【辺土(へんど)とは】
草遍路、乞食遍路、プロ遍路、職業遍路、生涯遍路とも呼ばれる。
長い歴史の中、「へんど」はやがて乞食を意味するようになるが、昭和三〇年代までは遍路といえば「へんど」だった。
一方で、八八ヵ所を経文を唱えて回る遍路は、ときに畏敬と畏怖の目で見られた。彼らは聖と賎を同時にそなえる存在だったのだ。

現代の草遍路を探し、共に托鉢修行も著者は行うだけでなく、福田村事件(関東大震災で起きた日本人による日本人虐殺)をはじめ、
路地の歴史もたどりながら5年をかけて遍路を続けた。
最後の聖域の本質を大宅賞作家が抉り出す、類書なき紀行ルポ!

「帰るところもなくなった生活を賭けて、托鉢と接待、野宿だけで何年も何周も巡礼することによって、その人は確実に浄化され昇華されていく。本質的な何かを取り戻すか、もしくは欠けていた何かを得ることができるようになる。
 四国遍路で人は変わることも、再生することもできるのだ。私はこの目で、確かにその一例を目撃した」(本文より)



【目次】
第一章 辺土紀行 徳島――高知
第二章 幸月事件
第三章 辺土紀行 高知――愛媛
第四章 托鉢修行
第五章 辺土紀行 松山――香川
第六章 草遍路たち
おわりに
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    上原 善広
    (うえはら よしひろ)1973年大阪府生まれ。ノンフィクション作家。大阪体育大学卒業後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。日本各地の被差別部落を訪ねた『日本の路地を旅する』で、2010年第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、「孤独なポピュリストの原点」(特集『「最も危険な政治家」橋下徹研究』、新潮45)で第18回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞大賞受賞。『一投に賭ける』2016年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『路地の子』、『発掘狂騒史』など多数。


    徳島のある駅に降り立ち、一番寺へ歩いていこうとしたとき、突然見知らぬ女が詰め寄ってきてこう言った。 「遍路すると不幸になりますよ。真言宗は密教だから、遍路なんてやめた方がいいですよ」  これから遍路に出る者に対して、ずいぶんな歓迎だった。  後にわかったのだが、四国遍路では時おり「遍路すると不幸になる」と説教されることがある。おそらく他宗派を邪教とする、熱心な新宗教の信者ではないかということだった。そうと知っていたら確認したのだが、このときはただ面食らって通り過ぎてしまった。

    私が遍路を歩こうと思ったのには、いくつか理由がある。  一九九〇年代、四国遍路は何度目かのブームを迎えていたが、信仰心の 欠片 もない私は、馬鹿々々しいことだと斜に構えていた。  しかし四八という歳にもなれば、そのようなわだかまりは小さなものになっていた。歳をとって、どうも自分は恥さらしの人生を歩んでいるようだと、 諦観 するようにもなった。恥さらしとはつまり、遍路に出たと聞いた周囲の人が「やっぱり」と思うような人生のことである。  遍路に出ようと思った直接のきっかけは、睡眠薬依存から脱するための運動療法だった。

    四国遍路が成立した背景には、この地が、訪ねることが難しい四国という 僻地 にあることが大きく関係している。江戸時代はもちろんだが、交通の便が良くなった現代においても、不思議なことに四国はそう簡単に行けるところではない。現代においても、四国への道のりは依然として精神的な僻地感を 拭いきれないでいる。  だから昭和三〇年代(一九五五~六四) 以降、交通の便が良くなって大きく変わったのは、四国までの距離感よりも、徒歩でしかできなかった四国遍路が車やバスでできるようになったことだ。それまで徒歩で二、三ヵ月かかっていた巡礼が、一〇日ほどで回れるよう劇的に変化した。そして高度経済成長をへて生活が安定してくるようになると、歩き遍路もきれいで清潔なイメージへと変化してゆく。  戦前までの四国遍路といえば、まだ歩いて回る人が多かった。当時は業病とされたハンセン病をはじめとして眼病、足の障害などの治癒を願って回る者も多かったし、口べらしのために四国遍路に出される者も多かった。遍路で生計を立てている者が多くいたのだ。

    「いろいろあるけど、たとえばオヤジ(組長) にこれで遊んで来いと言われて五〇万もらったら、パチンコ屋に行く。パチンコ屋もグルで、大箱を毎回出してくれるが、それは置いといて、わざと負けた振りする。それでわざと札束を出して客に見えるように数えてると、パチンコで負けた女がすり寄ってくるんだ。一緒に飯でも食べようと誘ってくるが、忙しいからと断ると、一万貸してほしいと必ず言ってくる。それで貸してやると、次もまた返さずに借りにくる。そこでしっかりハメて、肉体関係をもつんじゃ。女もよくわかっとる。大抵はよう返さんから、ソープに沈めるなりして金にして、オヤジに五〇万だけ返すんじゃ」 「つまりギャンブル依存症の女性を狙うんですか」 「そうよ。その他にもまだいろいろある。あるときはフィリピンの女を三人ばかりワンルームで管理したりな。やりたいときはトイレでやるからセックスには困らん。一人一日六〇〇〇円は稼ぐから、三人で一万八〇〇〇円。オヤジに八〇〇〇円渡すから、ワシは一万の 儲け。とっかえひっかえ女とセックスして、何もしなくても一日一万は入ってくるというわけだ。

    「確かに、同和地区ちゅうのは旧遍路道沿いにある。じゃのに同和と遍路が関係ないのは、そりゃあ昔は同和が番太(警備) やっとったからやろう

    「だって生活遍路というのは、昔から何か陰のある人が多かったでしょう。なぜ遍路を始めたのかと、こちらから訊くこともないし、訊いても本当のところは答えないというか、答えられない人が多い。もともと遍路している人に『なぜ』と訊くのはタブーだとされているくらいじゃからね。生活遍路に限らず、遍路に出る人はみな何かあるから遍路をする。何もない人は遍路になんか出ない。ましてや生活遍路は、やっぱりいろいろあったから遍路しながら野宿生活することになったわけでしょう。だから幸月さんが犯罪者だと聞いたときは、まあちょっとは驚きましたけど、そういうこともあるだろうなと思っただけでした。

    ハンセン病や身体障害などで、若いうちから故郷を追われて遍路になった者の中には、 歪んでしまって不良遍路になる者もいたが、そうした者も住民や 僧侶 の信仰によって立ち直ることも 稀 にはあったし、延々と寺巡りをするのに絶望して極道になる者、またはそのまま道端に 斃 れる者もいた。そうした意味では遍路は一種ゆるやかな自殺行為という側面もあったが、少なくともどのような道を選ぶかは遍路自身にゆだねられている。

    鑑別所では自由に本を読むことができたので、このとき飛躍的に勉強が進みました。いろんな本を読み 漁りました。もともと字が読めなかった父の代筆をするくらい活字が好きだったことが幸いしたのでしょう。難しい漢字も、書道もすべて鑑別所や刑務所で学びました。

    その後は九州を転々としながらヤミの売人をしていましたが、この頃、ヤクザと関係をもつようになりました。詳しくは話せませんが、いろいろありました。 別府 駅で知り合いのヤクザの女に声をかけたところを逮捕され、大分刑務所に三年ほど入ることになりました。鑑別所を入れれば、これが二度目の刑務所だ。

    人間はもともと矛盾に満ちた存在なのだから、行動に矛盾が生じるのは不可避なのだが、幸月の罪を追及する立場にある検察官と裁判官にはまるで通じる。

    「通常のお遍路は、事件の罪を償った後に、それを悔いて行うものだと思う。被告は罪をおかしたまま遍路をしており、しかも『両親の供養と自分の苦行』のためだと供述している。

    「お遍路をする人は誰しも陰をもっています。お遍路の心は同行二人であり、自分自身と向き合って反省するということなので、罪を償う前でも良いのだ。

    ──拝啓 朝夕は秋冷の候とは申せ日中は暑さつづきです。不肖遍路幸月の逮捕・拘禁と世間をお騒がせし皆さまに大変な御迷惑・御不興を与えました。心から深くお詫び申し上げます。  私にとって事件は十二年前のことであり、六年間にわたる遍路生活は両親の供養、自らの死に場所を求めての行でありました。思えば私が被害者を刺した時に激しく争われて握っていた包丁を取り落しました。 其の時落ちた包丁の先が丸く曲がり、其の後再び私は刺したが刺さらず断念しました。 之 は私が包丁を故意に曲げたものでも偶然でもない。私がそれ以上、危害を加えられず被害者の一命をも取り止めました。  今、私は神仏の啓示を見た思いです。人の一生は 棺 に入るまで解らぬと申します。私は運命を受諾し傷害を与えた罪を償いたいと思います。六年間の遍路生活は野宿で苦難でしたが幸福でした。お大師さまがいたからです。これからもお大師様と二人です(二〇〇三年九月二一日)

    ──身元引受人以外、住所氏名他人は一切記載することが出来ないので、年とともに御世話になった知人恩人の名前や住所がおぼろに消えていくのが哀しい。八十二才にして初めて辞書を買いました。お陰でいまは書くのが楽しみです。般若心経などの写経をしています。独居房ですのでお隣さんに迷惑にならないよう読経しています。扇風機の風もどこ吹く風、頭はボーッとなり胸や腹のあたりに汗が滲み溜まり、ブリーフの上部は濡れっぱなしになり乾くひまもありません(二〇〇五年七月一九日)

    ──連日の猛暑です。ここ堺でも毎日三十五、六度です。三畳一間に 団扇 一本、廊下側は鉄扉三十センチのガラス二枚分の窓では涼しい風は望めません。五時に身体 拭き一回、水の節約で厳しい規則です。そんな中で昨日、抹茶アイス、今日はコカ・コーラ一本支給されました。年に一度の 娑婆 を味わっています。八月一日に大阪刑務所長賞を受け取りました。何でも三年間懲罰なし無事故の褒賞だそうです。老齢ですが運動を心がけ、体調は 頗る快調です。  私が六年間過ごした遍路道で出会った人々との 絆、交わした握手は人の心を握るのと同じことでした。  或る日、私は遍路中に高知市から数日かけて高岡町を歩いていた。ふとしたことからさそいにのり、高岡町から 青龍寺 へ車にのり向かう 筈 だったのに、高知市のはりまや橋近くで放り出されていた。車で来た道をまた高岡へ歩き始めた。秋の日は暮れはじめていた。うしろから来た車の婦人に声をかけられた。「お遍路さん何処へ行くんですか」訳を話した。この道は青龍寺には遠回りになります、送ってあげましょうと云われ青龍寺近くで降ろして頂く。厚くお礼を述べると婦人はお布施ですと千円を渡された。そして婦人は石鎚山の行者であった父から絶えず諭された言葉があるといった。「お布施をさせて頂いてありがとうございました」と言える人間になれと。そう告げられて婦人は去られた。  刺した手です祈る手です 幸月(二〇〇七年八月二八日)

  • 被差別部落出身ということでかなり突っ込んだところまで取材して、毀誉褒貶が激しいノンフィクション作家ですが、その無頼な佇まいになんとなく気を惹かれてしまいます。
    お遍路についてまた違った角度から書いており、正直目からうろこでした。もちろん物事の一面でしかないのはよく分かっていますが、昔はホームレスのセーフティーネットになっていたという事だったんですね。
    20年前くらいにお遍路ブームが有ったと思われ、僕自身耳にする機会もよくあったし、自転車旅で高知、愛媛を通過した時に何人も見かけたので近しい気持ちもあります。どちらかというと自分への兆戦という側面が多かったはずで、信心というよりはアスリートな気持ちの人の方が多かったんじゃないかなと思います。
    この本に出てくる草遍路の2人「幸月」「ひろゆき」の遍歴はとても面白くひとつのドキュメンタリーとして本が書けそうな2人です。
    筆者も全部回ったようでそれも結構すごいと思うんですが、その辺はサラッとしてます。非常にクール。
    一番ショッキングだったのは福田村事件の話しです。讃岐から千葉の福田村へ薬売りに来ていた行商人が、自警団により15人中9人が殺害された事件で、朝鮮人に間違われて殺されたという事ですがそれだっておかしすぎる話しだし、殺した村人達は軽微な罪にしかならず、何なら悪気が無いので本当は無罪にしたいという警察の話まであり、どれだけの差別感情が渦巻いていたのかゾッとします。この15人は被差別部落の出身者達で、殺害した村人たちも薄々そこを感づいており、殺してもいいと思ったようです。人間は状況によってどこまでも残虐になれる証明のような事件です。

  • 2021年に出版されて読んだ本のなかで、一番面白かったかもしれない。“御朱印ブーム”もあって、四国遍路も(コロナ禍前までは)また賑わっていたようだ。この本も実際に徒歩で四国遍路を歩いて取材した話をベースにしているが、そこで描かれている「四国遍路」とは一般的にイメージされるものとは異なる。むしろ、この本でいう「四国辺土」こそが遍路の本質なのだろう。浮かび上がる事実には驚きや悲しみや怒りを覚えたが、それをひたすら淡々と綴る文章がまた素晴らしかった。

  • 四国出身の高瀬氏が紹介していたので読んでみた。映画化されて話題になった福田村事件のことや幸月事件等も語られる、遍路をしながら路地を訪ね話を聴く作者と彼らの四国遍路旅。少し前の日本。

  • 救われる為の遍路としか今まで認識していませんでした。
    遍路を生活としている人や、路地の人達との関わりなどもっと読んでみたいと思いました。

  • 年間に20-30万人はいるのではないか、といわれる四国遍路。四国を訪れたときに確かに遍路の方を多く見かけた。
    それでも、著者の上原氏のレポは、上辺で見える景色や少し聞きかじった通り一遍の知識とは全く異なる。本書を読まなければまず知ることができないであろう、聖と俗がない混ぜになったような遍路のもう一つの姿を伝えてくれる。
    何かあるから座禅にくる、遍路も同じ。座禅しても遍路しても何も変わらない、自分が変わるしかない。座禅や遍路はあくまできっかけ。という趣旨の言葉が心に残った。

  • 2023/06/10

  • ふむ

  • ゆるふわな遍路記も嫌いではないけどもきな臭いところも遍路の本来なんだろう
    清濁併せ呑むところをよく伝えてくれる遍路ノンフィクション

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著者プロフィール

1978年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。2010年、『日本の路地を歩く』(文藝春秋)で第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、「『最も危険な政治家』橋本徹研究」(「新潮45」)の記事で第18回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞大賞受賞。著書に『被差別のグルメ』、『被差別の食卓』(以上新潮新書)、『異邦人一世界の辺境を旅する』(文春文庫)、『私家版 差別語辞典』(新潮選書)など多数。

「2017年 『シリーズ紙礫6 路地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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