- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041116494
作品紹介・あらすじ
「昔々、マジで信じられないことがあったんだけど聞いてくれる?」昔話という決められたストーリーを生きる女子の声に耳を傾け、慰め合い、不条理にはキレる。エッセイ界の新星による、現代のサバイバル本!
感想・レビュー・書評
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日本の昔話に登場する”ヤバい”女の子たち。彼女たちは、本当に”ヤバい”変わり者だったのだろうか?
物語に与えられた役割を剥ぎ取って、一人の人間として彼女たちを見た時、そこにある真実の姿とは。
昔話に出てくる女の子たちについて、固定観念を取り払って考察・想像する昔話×エッセイ×イラストのような本。
昔話というといわゆるそこに秘められた寓話性や、もっと単純に「昔はそういうものだろう」としてしか考えたことがなかったですが、ただ話の上辺をなぞっているだけだったんだなと思い知りました。
例えば安珍・清姫伝説の清姫への、「今でいうストーカーってやつ?」だったり、八百比丘尼への「不老不死なんて羨ましい!」あるいは「不老不死なんてかわいそう」だったり。そんな物語につきものの感想や役割や固定観念を捨て、現代を生きる一人の女性として彼女たちを見た時、そこにいるのはどこにいたっておかしくない普通の女の子。
現代だったらこんなことをしているんじゃない? みたいな想像やイラスト含め、とても軽やかです。
個人的には、『猿婿入り』のある末娘の話が一番心に残りました。自分自身の救済者として自分自身で王子様を作り出した女の子。はっきりとした悪役がいないことも含めて物悲しいのに何だかからっとしている。
なんだかパワーワードがすごく多くて、元気をもらえました。
望まない結婚や失恋、誰かが憎くて仕方がない。そんな苦しい状況にいるアナタだって、実はこんな風にも生きていける。どんなところにだって行ける。望むなら、なんだって出来るんだから。そんな気分にさせてくれる本。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
筆者が日本の古典に登場する女性達について、カジュアルな文体だけれども、鋭く深く考察している。まるで、この女性達が姿を変えて現代に生きていて、ファミレスでダベっている感じである。
それぞれの章末に挿入されている、現代風の姿をした女の子達のイラストが素晴らしくて、毎回ニヤついてしまった。章末のページに辿り着く前に、「この娘はきっと、こんな髪型で、こんな目付きで、こんな服装で・・・」なんて妄想すると楽しい。予想は当たったり外れたりするが。
高校の授業で「古文」に苦しめられて以来、古典には全く興味がなかったが、本のタイトルに惹かれ、シンプルに物語として楽しみつつ、古典について身近に感じることができた。大人になってからの楽しい「学び直し」のキッカケになりそうだ。 -
面白かった。
特に「虫愛づる姫君」が、私は中学の古典の授業で読んだ時から同じ虫好きとして親近感を抱いていた(今でも虫が好きなのは女の子らしくない、変わり者だ、という風潮がある)けれどこの本の解説部分を読んでもっと好きになった。
虫愛づる姫君はただ虫が好きだっただけで、思想を小馬鹿にされる。周りの人達は決して虫愛づる姫君をそのまま受け入れようとしないし、受け入れられない原因は姫君の方にあると考えている。
思想の粗を探され、「蛇のおもちゃを怖がったからやっぱり虫が好きなわけではないんだ!」とか言われるけれど、それってやっぱり意地悪だなと思う。
人は大体どっかで矛盾してたり、シチュエーションによっては好きなものでも嫌に思ったりするものなのに、完璧が理由がなければ好きな服装と好きな勉強をしてはいけないのだろうか。
で、そうやって意地悪されて、私だったら戦ってしまうけど虫愛づる姫君は自分の信念と自分の周りの世界を脅かさないために(イレギュラーな存在を見るだけで心乱される人間に攻撃されないように)隠れてて、Oh……って思う。当時はほんとそうするしか無かったんだろうな…インターネットがあったなら似たような他の虫愛づる姫君とも知り合えたかも知れないのになあ。とか思うと心惹かれるものがあった。 -
【概略】
日本の昔話や逸話に登場する女性・女の子、様々な状況下で様々な結末を迎えるこの女性達を違った角度から語ってみる。役柄を終えた、舞台から降りたイチ人間としての「彼女たち」を、カフェでのおしゃべり感覚で語った一冊。
2023年02月12日 読了
【書評】
著者の方、すんごい頭の回転が早い人なんだなーって感じた。
読了後に真っ先に浮かんだコトが2つ。1つは「うぅ、自分の読解力、めっちゃ落ちてるな」ということ、もう1つは「構えてたところにボールがこなかったな」ということだった。
読解力の低下についてなのだけど、概略で書いたとおり、カフェでのおしゃべり感覚が終始あってね。話が色んなところに飛ぶの。おしゃべりしたものを録音して、テープ起こしをしたかのような感覚に終始襲われてて。「あれ?今、何が話題の焦点だったっけ?」って、何度となく迷子になりながら読み進んでしまった。各登場人物の女性に、著者の妄想というか違った角度からの感覚が乗っかって、急に詩的というか、ミニストーリーが始まってしまう。自身の読解力の低さに、ちょっと凹んでしまった。ごめんなさい。
もう一つの「構えてたところに・・・」は、元々、この本、紹介してもらってね。ちょうど自分が「なぜに、『桃』?」というタイトルでスピーチを作ってて。その題材がイザナギとイザナミの話でね。この本にもイザナミが女性の一人として出てきてて。「このイザナミの解釈が一番しっくりくる」というコメントとともに紹介されたから、読んでみようと。で、タイトルが「ヤバい女の子」でしょう?著者の方が女性。だからてっきり、女性ならではの解釈というか「いや、こういうことでしょう?」みたいな、新機軸を見せてもらえるかなと思ってね。たとえば落語・芝浜における「お清」なんて、ある意味、男性の理想的な女性イメージだったりする。とても現代の女性像(?)とは違ったりしてて。そういった現代の価値観を、女性から見た視点を下敷きに過去の作品を解釈したらどうなる?というところを凄く期待してたのよね。そういうボールが飛んでくるのを、待ってたのね。ちょっと違う感じだったなぁ。
そうは言っても、もちろん面白いと感じるところはもちろんあって。思うに、これは編集者の問題なのかなとも思ったり。この本が世に出るにあたって、どういうプロセスでこの形になったのかわからないけど、きっと著者が初稿を出してそれを編集者が読む、それに対して編集者が著者にボールを投げ返す、って形じゃないのかな?と想像するのよね。その時点である程度、交通整理がされるのじゃないかなとも思ったりね。
純文学のように、読者が色々と思いを馳せる「余白」ということではなく、どちらかというとポエムというか、自分語りというか、エッセイという作品になってるのかなという印象。カフェで目の前にいる話し相手(ここで性別を明確に断定してもいいのかな 笑)の「聞いてよぉ!」を、「ふんふん」と聞く感じで読んでいくと、楽しめるのかなと思った。 -
1つ1つの物語がとても分かりやすかった。
昔の女性は理解できない思考に至るのが面白い。
え!?それで命投げるの!?なんで!?って突っ込みつつ読んでいた。
それにしても、ヒロインもヒロインだけど、
周囲の女心が分からない男性も多すぎる。
仄めかすだけではダメなんだね。
個人的にヤオビクニのお話が一番好き。
まるで女性エッセイを読んでいるように読めた本。 -
小さい頃から知ってる女の子たちなのに、ちゃんと女の子の目線で考えたことなかったんだなとこの本を読んで思った。
今まで何も想像せずに、与えられた情報だけを見てそのまま受け取っていた。
物事を色々な目線で見れて面白い。いろんな考え方があるんだなと学べる。 -
以前から気になっていた本です。たまたま京都の恵文社で文庫版を発見したので、購入してみました。古典に出てくる女の子の行動を、著者の考える現代の価値観に当てはめて、どういう心情だったのか?どういう背景だったのか?を推理するエッセイです。
あまり古典に馴染みがなかったので、現代の口語で読める昔話が面白い…というのがまずお気に入りポイントの1つ。
それに、著者の考察も、著者自身の考えに加え、現代の映像作品と比較して考えられること…も分かりやすくまとめてあったりして、かなり読み応えがありました。
昔の偉人から現代でも活きる教訓を学ぶ…は沢山あったと思うけれど、古典の女の子から生き方のヒントを得る…という体験が新しくって面白かったです。
他にもシリーズがあるようなので、引き続き読んでみようと思います。 -
筆者が話す昔話が最初に紹介されていて
「へー、そんな話があるんだ。」
という昔話がたくさんあったし、
なるほど。と思う筆者のお話もあって
勉強になった。
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昔話の女の子を自分の友人のように考えて解釈していくという視点が面白かった。有名ながらあまり内容を知らない昔話もあったので知識も身につきます。