- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041125366
作品紹介・あらすじ
研修を経て、循環器内科医となった諏訪野良太は、学会発表を終えた帰り、医学生時代の同級生である小鳥遊に遭遇する。小鳥遊が連れていた研修医・鴻ノ池に、研修のエピソードを求められた諏訪野の脳裏に蘇るのは、親身に寄り添ってきた患者たちのこと。まるで戦場のような救急部、心の傷と向き合う形成外科、かけがえのない“ある人”との出会いと別れを経験した緩和ケア科。切なくもあたたかな記憶の扉がいま開く。心震える医療ミステリ「祈りのカルテ」シリーズ、待望の新刊!
感想・レビュー・書評
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祈りのカルテ シリーズ2
東京国際フォーラムで開催された、日本内科学会で発表を終えた、諏訪野良太は、会場内で、医学生時代の親友・小鳥遊優と遭遇した。
小鳥遊は、彼が務める病院の、女性研修医・鴻ノ池舞と二人連れだった。
三人は、近くの焼き鳥屋で飲むことになり、そこで、鴻ノ池より、研修医時代の「面白い経験」「変わった指導医」「一番記憶に残る患者」を聞かれ、回想する。
《救急夜噺》
救命救急部で、勘当された男が、母親に会いたいがために、意識消滅を試みる。
《割れた鏡》
形成外科で、美容整形手術を繰り返す女優。
《二十五年目の再会》
緩和ケア科で、一人の患者と向かい合い、想像もしなかった真実に出会う。
諏訪野良太は、良い環境で、確実に成長して行ったことが、うかがえる。
先輩や、指導医が良い人間ばかりで、読後感は良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
楽しみにしていた「祈りのカルテ」の続編。
今回も知念実希人さんにしてやられました。
読み終えたとき、心が温かいもので満たされる、そんな作品でした。
研修医、諏訪野先生が今回まわった科は、救急部、形成外科、緩和ケア科。
医療現場の緊迫した雰囲気も、諏訪野先生による見事な謎解きも楽しめる一冊です。 -
シリーズ2作目。
諏訪野先生が研修医時代を回想する形で、小鳥先生と鴻ノ池先生に物語を聞かせている形の短編連作です。
どの作品も家族愛に溢れています。こんなふうに関われる人はいないと思いますが、フィクションとしてこんなに温かい人がいる世界はいいなぁと思います。
所々他の作品の医者の名前や、桜井刑事の登場もあり作品ごとの繋がりが面白いです。 -
『祈りのカルテ』の続編。
循環器内科医となった諏訪野良太は、学会帰りに医学生時代の同級生、小鳥遊さんと彼が連れていた研修医・鴻ノ池さんに遭遇します。
本書は、彼らに研修医時代のエピソードを語るという体で綴られる、連作三話(プロローグ&エピローグ)と幕間の構成となっております。
〈救命救急部〉に搬送され、自らインシュリンをインスリンを打ってまで入院を希望する元ヤ〇ザの男性の狙いとは・・。(「救急夜噺」)
〈美容外科外来〉に来た、無茶な整形手術を繰り返す崖っぷち女優の真意とは?(「割れた鏡」)
〈緩和ケア科〉で、諏訪野が担当することになった末期患者の抱える秘密とは・・。(「二十五年目の再会」)
各話、患者の不可解な行動や抱える秘密を、諏訪野先生が持ち前の観察眼で謎を解いていく展開で、謎解きとしては勿論、医療・人間ドラマとしても秀逸な作品となっております。
特に、三話目「二十五年目の再会」は、諏訪野先生が担当することになった患者の広瀬さん(彼の存在は、一話目から伏線のように登場していたのもミソ)の、過去の冤罪について真相を追う流れで、“ちゃんとミステリ”を楽しめるのに加えて、ラストで驚きの感動サプライズが待っているという、まさにサブタイトル“再会のセラピー”にふさわしい素敵な物語でございました。
〈緩和ケア科〉の指導医・窪先生の仰っていた、「医学とは“永く、そして、より良い生涯を送れるようにする”ための学問」という台詞は、けだし名言だと思います。
因みに“幕間”では、飲み屋で諏訪野先生の話を聞く小鳥遊さんと鴻ノ池さんの様子が描かれているのですが、こちらの二人は知念さんの別シリーズ“天久鷹央シリーズ”の登場人物なのですね。
鴻ノ池さん曰く、鷹央先生は“医療版シャーロック・ホームズ”との事で、彼女らが所属する〈統括診断部〉では、幽霊や人体発火現象・陰陽師の呪い等々・・医療現場とは思えないスリリングな事件が起こっているようなので、こちらのシリーズも読みたくなってしまった私なのでした~。 -
祈りのカルテの第二弾、十字架のカルテは祈りのカルテのシリーズかと思ったら違っていたので、第二弾だ。ということは研修医の諏訪野が主役だろうか?もしそうだといいな、患者の気持ちに寄り添って心が温かくなるから。そう思いを巡らせながら、ページを開いた。
天久鷹央シリーズの小鳥遊や鴻ノ池も初っ端から出てきて、どことなく懐かしく(私の個人的な読んだ順による)、嬉しくなる。
学会の後、偶然出会った小鳥遊と鴻ノ池に出会い、飲みに行く。そこで研修医としての患者と向き合った体験談を3つ、それを物語として表現されている。小鳥遊や鴻ノ池は何科に進むか決めている。諏訪野はまだ決めていないが、2人に話すことで意思が固まるのだろうか?
二十五年目の再会・・・薄々気づくが、最後には頬を温かいものがつたう。
医者の本懐とは何なのか?大きなテーマを、投げかけている作品だ。医者になるには理系教科は必須だが、そんな次元ではないと思うのである。
検査により出た結果を治療し、数値が改善したら医者の目的は達成されたことになるだろう。しかし、それが全てではないと考えさせられた。印象深かったのは、「疾患を治すだけが医療ではない。医学は長くより良い生涯を送れるようにする学問だ。」という言葉だ。こうした医者が増えてくれることを願ってやまない。
副題の「再会のセラピー」の意味が理解できた。 -
祈りのカルテの続編です。
循環器内科医として働く諏訪野良太が、研修医時代を振り返っています。
「再会のセラピー』←コレ、キーワード。
頭の片隅に置いて読んでみて下さい。 -
<間>
前作『祈りのカルテ』をすっかり読了したつもりで本書を読み始めた。ところが色々調べると僕が読んだのは『十字架のカルテ』の方だった。さてさてどうする。でも乗り掛かった舟的に強引に読んでしまう。多分 後から前作の『祈りのカルテ(1)』を読む事になると思うが,たまには時間を逆にして読んでみるのも悪くはないだろう。
という事で前作未読のまま読んだので面白さに深く期待はしていなかったのだが さもあらず。この本は連続する3つの中編から出来ているのだけど,なぜか真ん中が既刊雑誌掲載作で前後の作品は書き下しになっている。しかし読んでみると分かった。これは真ん中の作品ありきで綿密に考えられた秀逸な作品であった。確かな医学的知識もかじりながらミステリーなテイストも味わえる,が決して重くはなく軽快な感じで読める作品である。だが断っておきますが普通のヒトならばラストは泣いてしまうから気を付けた方が良い。すまぬ。