- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043821013
作品紹介・あらすじ
昭和28年、九州の炭坑町。幼くして両親を亡くし、長兄の僅かな稼ぎで身を寄せ合って暮らす4人の兄妹。やがて臨時雇いの長兄が解雇され、一家は離散、次兄(にあんちゃん)と10歳の末子は、知人宅の居候の身になった。さらに襲ってくる苦境に次ぐ苦境。しかし、末子は希望を捨てず、真っ直ぐに生きていく。貧困の悲しみ、兄妹の愛と絆、教室の友情-末子を取り巻く現実をありのままに綴り、日本中の涙を誘った少女日記。
感想・レビュー・書評
-
60年くらい前に、10歳の少女が書いていた日記が昭和33年に出版されて、ベストセラーとなり、翌年には日活で映画(今村昌平監督)化され大ヒット、文部大臣賞(?)まで受賞という、まあ当時の社会的事件となった有名な一冊です。内容、文章、また、著者の観察力も素晴らしさは改めて言うまでもない。
ただし、もう一つ気に留めておきたいのは、この本は原日記のすべてではなく、出版社の編集者による抜粋であり、また、途中には著者の次兄(にあんちゃん)の日記を一部掲載するという編集が行われている。その結果、一冊の本として著者達兄弟姉妹の困苦の生活がわかりやすく、感動的に読めるように構成されている。また、何度か異なる出版社から発行されており、微妙な違いもあるらしい。
著者の家族が在日朝鮮人であったということをどのように意識してよむか、という問題も人によってはあるようだが、どこの社会にも普遍的な貧困や労働、家族、地域社会、学校教育などなどの問題に立ち向かう子供達の素直な力と可能性を感じることができると思う。そういう名著です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今年の1冊目は高校の先輩オススメの本です。
昭和28年に記された小3の女の子の日記。
幼くして両親をなくし、九州の炭坑町で兄妹4人で暮らす少女の切なく、そして凛とした日記です。
学校の教材費すら家計に重くのしかかり、食事もままならない兄妹が人の家に間借りし、きつく当たられ、兄の失業によりバラバラに暮らす事を余儀なくされるという衝撃的な内容。
にも関わらず、書き手の末子さんの情緒あふれる表現力に舌をまきます。
貧乏のドン底でも、兄弟のことを思いやり、裕福な友達を妬むでもなく素敵だと感じ、勉強も学校も大好きだという末子さん。
このまっすぐで美しい言葉の日記を読んだ後につたないレビューを書くことすらちょっと恥ずかしく感じてしまいます -
誕生日プレゼントに頂き、早速読みました。
昭和20年代後半(おそらく27年か28年)に小学校3年生だった著者がつけていた日記です。
戦後。廃坑直前の炭鉱町。在日。両親死別れ。貧乏。四人兄弟(著者は末妹)。兄弟離れ離れ。
これらが作られたフィクション小説の設定ではなく、著者が実体験した生活そのものなのです。
辛く切ない境遇で運命に翻弄されながらも一途に生きている少女がいます。
純真な感受性を通したリアリティが心に突き刺さってきます。
この少女は辛い境遇ながらもまっすぐとリンとした目を向けて人生に立っていました。
同情を呼び寄せる類の甘ったれた境遇への悲観は露ほどもありません。
悲しみを悲しみ、痛みを痛み、
それでいてへこたれず、
兄弟一緒に暮らせるよう希望を持ちながら、
卑屈にならずに前を見て生きています。
感動しました。
うまく書ききれないですが、
丁度同じ年頃の長男を持っている父親としては、
ものすごく胸に突き刺さった本でした。
子供が一番頼りにするのは家族。
家族こそが子供が生きていける糧。
私はできるだけ多くの時間を一緒にすごし、
多くの体験を一緒に共有し、
精一杯の愛情を注ぎたいと思いました。
そして子供には、
清く正しく美しいと感じる心を持って欲しいと願ったのでした。 -
なつかしい~!作者はわたしよりふたつ下だけなんだった。
ベストセラーになっていた高校生の時に読みましたが、
その時は小学生の日記のうまいこなんていう印象で、同時代性は感じていません。
読み直してみると貧乏ということが少々ちがっていても、
小学生の時の気持ちはおんなじですね。
物が不足していてもあかるい気持ち、ひとにしんせつな気持ちを忘れなかった。
うらやましいお金持ちのおじょうさんもいたし(笑)
いいところは貧乏を権利にしていないから。
でも、この本が売れて末子さんの奨学金になったというおまけが。 -
佐賀県の文学で朝日新聞に掲載されていたあまりにも有名な小説である。少女の日記ということは、それほど知られていないのかもしれない。県ごとの文学集の抄録で読んだ。文学ということで教育学としてはあつかわれないのかもしれない。
-
昭和28年佐賀県の小さな炭鉱町。両親を失くした四人兄妹。10歳の末妹から見た社会の厳しい現実。
小3、10歳の女の子の日記。両親を失くし生活に困窮する兄妹。兄妹離れ離れになりながらも勉強を続け、日記をつける。子供の素直な視点と記述だからこその痛々しい現実が胸に迫る。
公表されることを想定していない日記だけが持つ生の現実。在日朝鮮人への差別も少しだが描かれている。
厳しい現実の中でも決して絶望しない姿に涙しました。
映画監督今村昌平のデビュー作の原作。「キューポラのある街」(こちらも脚本は今村昌平)と良く似たテーマ。
本書の解説にその後の兄妹について記されていのが救い。
ちなみににあんちゃんは2番目の兄という意味。 -
ふとしたことで、手に取りました。母、炭鉱夫の父を亡くして、兄弟姉妹4人の暮らしで、末っ子の末子さんが綴った日記を出版したもの。「にあんちゃん」とは2人目のお兄ちゃんだからにあんちゃん。素朴で飾らない日々の日記の積み重ねの中に深い感動がある。
-
往年のベストセラー。タイトルと、何となく子どもが書いたことくらいは知っていたけど、てっきり男の子が主人公のような気がしていた。ところが、実際は小学生の女の子の日記で、「にあんちゃん」というのは彼女の次兄。「二」番目の「あん」ちゃんというわけ。
「きょうがお父さんのなくなった日から、四十九日目です」と始まる日記の書き手の「私」の家は、父親が亡くなったばかり。母親はそれに先立って亡くなっており、10歳離れた長兄を頭に、姉とにあんちゃん、「私」という4人で暮らしている。年齢的に唯一の働き手の兄は在日朝鮮人であるためか、炭鉱勤めだが臨時雇いに甘んじざるをえない。日々の米に事欠くこともあれば、体調が悪く学校を休みがちな時期もあり、傘がないから学校に行けないということも。家を追われきょうだいが別々に過ごすようなことにさえなる。周りの友達と比べても、ひときわ苦しい生活の様子が読み取れる。
けれど、書きぶりが決して卑屈でないし、貧しさを絶望的に嘆くようなこともない。その日の欠乏に困ってはいるが、それはその日の出来事として書いてある程度なのは、明日の心配が切迫していない幼さゆえか、高度成長でだれもがそれなりに底上げされる時代の雰囲気ゆえか……などと書きつつ、その実は「私」の清らかさ、高潔さによるのだろう。清らかさといってもいい子ちゃんの清らかさではない。自分の気持ちに嘘をついていないとでもいおうか。ずっと読み通せば、文章の書きぶりも視点もとても小学3・4年生とは思えないくらい巧みで落ち着いている。それがこの本の魅力であり、貧しいなか、親もいないなか大変だとは思うけれど、さわやかな読後感を与えてくれる。
「にあんちゃん」なんだけど、きょうだいのなかでもにあんちゃんの存在が一番薄い気がした。 -
「にあんちゃん」の話題が出たのは、毎週通う手話サークルで。なんの話からか、映画の話になり、聾のOさんが、聾学校の寄宿舎をぬけだしてよく映画を見にいったといって、どんなのを見てたのか訊いたときに、「にあんちゃん」の話が出たのだった。
いまは「バリアフリー上映」といって、上映期間中に1度か2度くらい「日本語字幕付き」上映をやる邦画もふえてきたが、以前は、聾の人が映画を見るときはほとんど洋画だといわれていて、それはつまり字幕が付くからだった。
だから、Oさんが「にあんちゃん」のほかにも邦画をかなり見ているという話に、「その頃、字幕ないですよね?」と重ねて訊いた。字幕はない、でも映画を見るのは好きやった、「にあんちゃん」は見ていて胸が苦しくなる映画だったとOさんは言うのだった。
私は本でしか「にあんちゃん」を知らず、「炭鉱の話でしたっけ」とうろおぼえで言うと、「そうそう、福岡の炭鉱のきょうだいの話」。Oさんが昔見たという映画「にあんちゃん」には長門裕之が出ていたそうで、他の年輩のサークルメンバーも「私も見たことある」と言っていた。(映画「にあんちゃん」は今村昌平監督作品、1959年)
子どもの作文で、昔たしか読んだなあと思いながら、図書館で本を探して借りてくる。「にあんちゃん」とは、二人目の兄、次兄のこと。
「きょうがお父さんのなくなった日から、四十九日目です。」と始まる、安本末子の小3の冬から小5の夏まで、1年半余りのあいだの日記。昭和28~29年(1953~54年)のことである。
すでに母を亡くしていた末子たち、4人のきょうだいは、炭鉱夫だった父をも亡くし、炭鉱の臨時雇いで働く長兄のとぼしい稼ぎで、暮らしている。兄さんは臨時雇いなので、賃金は普通の人よりだいぶ少なく、残業を2時間しても何にもならないほど、本雇いにしてほしいと頼んだら、兄さんが朝鮮人だからできないと言われたのだと、末子は日記に書いている。
学校へ弁当をもっていけないこともある。学校に行くにもお金がかかるばかり。まだ教科書無償は実現しておらず(憲法に義務教育は無償とあると、部落解放運動のなかで教科書無償が実現するのは1960年代のことだ)、4年の理科の教科書の値段を聞いて、なんと高いのかと末子はびっくりする。兄さんにお金のことを言うと「4年は、休んでしまえ」と言われるが、末子は「ばってん、行きたかもん」と泣きそうになって言う。兄さんはお金をくださるが、「なんでこんなにお金がいるのだろう」と末子は思う。
一家の大黒柱として、妹や弟を養うために身を削って働く兄さんだが、石炭が売れなくなって、首切りにあう。臨時から真っ先に切られたのだ。その日のことを末子はこう書く。
▼これから先、どうして生きていくかと思うと、私は、むねが早がねをうって、どうしていいかわかりません。ごはんものどにつかえて、生きていくたのしみがありません。
だいいちばんに、ねるところがなくなります。会社の家だから、首を切られたら、出て行かなければなりません。
学校にも行けないようになることでしょう。いくら人間がおおいといっても、首を切ってしまうとは、あんまりではないでしょうか。(pp.104-105)
お金がないので、本代を払えず学校にも行けない。住むところもどうなるかわからず、食べるものも乏しくてひもじい。「学校へ行きたくて、気が気でありません。お金がないのが、かなしくってたまりません。」と末子は書くが、だんだんと考えても行けないので、考えないようにしていたら、学校へ行きたい気持ちも次第に消えていくと、そのあとの日には書いている。
住むところ(末子とにあんちゃんを預かってくれるところ)と、自分の仕事を探して兄さんは駆けずりまわってくださっている、それでもなかなか見つからない、貧乏はかなしいことばかり、ためいきばかり。
兄さんは長崎へ働きにゆき、姉さんは佐賀へ子守り奉公にゆき、末子とにあんちゃんは知り合いの家に居候として預けられることになる。末子は、居候の気兼ね、兄さんや姉さんがどうしているかと案じ、一緒に暮らせないさびしさを書く一方で、学校へ通える喜び、兄さんや姉さんから届く手紙のうれしさを日記に書く。
この日記は、病の床に伏せった兄さん(長兄)が末子の日記を読み、繰り返し読んで飽きない、この日記に引きつけられるのは兄の欲目ばかりでなく、この年頃の少女でないと書けないものが光っているのではないかと出版を思い立ち、末子の日記を束ねて出版社に送ったのがきっかけで世に出た。公表を前提として書かれたものではないという意味では、「アンネの日記」みたいなものだ。そして、原文どおり、実名のままで出版されたという。
▼いまの私の、いちばんねがっていることは、どんなに小さい、みすぼらしい家であってもよいから、兄妹四人が、いっしょに、明るく自由に楽しく、くらしたいということです。(p.214)
貧乏のどん底のかなしさ、くるしさ、つらさ、ひもじさ。末子はそのことをしっかりと書き、なんとかならないものかと読む私は気をもんだりもするが、陰々滅々という感じではなく、どこか明るい。それはこの年頃の子どもだから書けるものなのかもしれないし、末子自身が書くなかで心を育てていったからなのかもしれない。