- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044000929
作品紹介・あらすじ
「ここは日本ではありません」──全寮制、日本語禁止、無断外出厳禁。大阪下町育ちのミヨンが飛びこんだ「大学」、朝鮮大学校は、高い塀の中だった。東京に実在するもうひとつの〈北朝鮮〉を舞台に描かれる、恋と挫折、そして本当の自由をめぐる物語。映画「かぞくのくに」「ディア・ピョンヤン」の監督が自身の体験をもとに書き下ろす、初の小説。
感想・レビュー・書評
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『食べる私』(平松洋子 著)の対談者29人中、個人的に一番印象的だったヤン・ヨンヒさんに興味を持ったので読む。
80年代バブルで日本社会が浮かれていた一方、在日朝鮮人の社会では思想や生き方に対する圧力がこんなにも強制的だったとは。。在日社会から逃れようにも日本社会では差別が存在していることは明白で、思考や抗う事を諦めて北朝鮮の意向に沿う生き方をするか、差別に怯え格闘しながら日本社会を生きるか(または反社会的になるか)、在日朝鮮人の人々の生きづらさが伝わった。
物語中、幾つかの印象的な場面があったが、日本公演のために来日した韓国の俳優達が、韓国当局は在日朝鮮人は北朝鮮のスパイとみなしているため、在日朝鮮人と演劇の仕事をして韓国に帰国したら逮捕されるリスクがあるというくだり。その時代は韓国も北朝鮮と同様に思想の弾圧や民間人への拷問が日常的に存在していた軍事政権だったことを再認識。
現在の朝鮮大学って、どんな様子なのだろう、物語の舞台となった80年代から何かしら変わったのか変わってないのか… さらに興味が出た。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2019年10月読了。
朝鮮大学校という「日本の中にある北朝鮮」の学生•ミヨンが、学校という組織の中で軋轢を起こしながらも自分を押し通す様子が非常に痛快だった。いや、「押し通す」程の強さはなく、むしろ傷付きながらも成長していくという感じかもしれない。
話の軸としては朝大のミヨンとその隣の武蔵美の黒木裕の関係性の動いていく様と、北朝鮮への帰国団を抜け駆けして新義州に住む姉に会いに行くシーンを中心に、学校内の統制のキツさに絡め取られる様子も描かれていて、ちょっと風変わりな学園ものテイストを感じられて一気に読んだ。
印象的なシーンをいくつか備忘的に留めておく。
48ページ
「(前略)朝高時代、国士舘相手に相当暴れていたらしいから。」
→さもありなんな2校の関係性。リアリティを感じる。
101ページ
「俺たちは国籍とかこだわらないさ、パクさんがナニジンだろうが気にしないし。(中略)」ミヨンも笑う。笑いながら、腑に落ちないものがある。(中略)温かい心地良さの中にある小さな居心地の悪さのような感覚。
→この作品ではミヨンは徹底的に自分が所属する学校とそれの大本である北朝鮮という国に対して徹底的に考えが合わないのだが、だからといってこうやって自分の国籍を他人に見ないように扱われることには非常に違和感を感じるように描かれている。
135ページ
「僕、ミヨンが在日だとか朝鮮人だとか、そういうこと気にしてないから」聞きたくなかった言葉が優しく投げつけられる。大した怪我ではないが、棘は刺さった。(中略)「そうじゃなくて」(中略)「気にしてほしいの」「え?」「私が在日だってこと、朝鮮人だってこと、きにしてほしいの!」
→意識せざるを得ない国籍の問題を、さも問題がないかのように「気にしない」という言葉で片付けることは、それ自体何か嘘くさいし、言われる側の当事者からすれば、「それこそが自分が抱えるある種の悩みの種であるのに、何か大切なことを無視された」ように思うのだろう。 -
最後の一文が絶妙。
また読みたいな。 -
30年以上前の朝鮮大学校の在校生ミヨンの4年間。
朝鮮大学校に対する認識は皆無、とても興味深ったです。
Wikiで見ると、日本における朝鮮学校の最高教育機関に位置づけられているとのこと。
修学旅行で祖国を訪れた時の待遇の良さにそれが現れていたのかもと思いました。
日本で暮らしてはいるものの、大学の中は日本ではないという現実に違和感を感じ続けるミヨン。
自由でいたいけれど、でも自分が朝鮮人であることを忘れて欲しくない、その気持ちの行き違いで黒木との関係が終わってしまったことが残念で仕方がなかったです。
ミヨン姉の「朝鮮で生きるのもキツけど、この国を背負わされて日本で生きるのもの大変やと思う」という言葉が切実。
まだまだ知らないことばかり。
当時と今の違いも沢山あるとは思います。
今回、この本に出会えて良かった。
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日本語禁止 門限がある全寮制
個人崇拝の厳格な教育
朝鮮大学校
片道切符で北朝鮮に行った姉に
会うために袖の下を渡して
追放された土地に案内されたが
道中で見た民衆の生活に
ショックを受ける
自分の意志を曲げず
演劇の世界で生きる
二世として生まれ
祖国の現実と教育の解離の中で
どれだけ辛いだろうか
多くの問題を投げかける作品
人が歩いた歴史は重い
それを背負って生きなければならない
のは
もっと辛い
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小説として少し物足りない感じがしたけど、「私が在日、朝鮮人だと気にしてほしい」「日本人でも気にしないと言われたらどう思うか」というセリフになるほどと思わされた。
80年代に日本でこんな教育がされていたのも驚いた。今はどうなのか少し気になる。 -
パク・ミヨンは大阪生まれ。大阪朝鮮高級学校を卒業して東京小平にある朝鮮大学校に入学した。文学部所属だが、最初の授業準備で分厚い金日成著作選書などを必読書として渡され目を丸くしていた。それからの彼女の四年間を描く。日本でいて日本で無い朝鮮大学校の内部をのぞく興味と、なんてところだと憤る気持ち。でも本当には在日の人たちの気持ちが分かるとは言えない自分。日本、北朝鮮、韓国と、昔から複雑な歴史を歩んできた国々。難しい関係。「かぞくのくに」のヤン・ヨンヒ監督の経験をもとに書かれた小説。
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0094
2019/02/06読了
隣の大学に通っていたが、こんなところだったのか…全然知らなかった。
小説だから脚色もされてるだろうけど、どこまで事実なのか…。
80年代はこんな感じで、今は少しでも変わっているのかなあ。
ロマンス通りと呼ばれてるのは初めて聞いたな。ロマンスのかけらもなかったですけど…。
お国事情を知れたことももちろんだが、青春小説としても面白かった。 -
著者の映画’Dear Pyongyang’観て関心持った一冊。
特殊性に驚くと同時に、同時代の日本でもあったな、と思う点も。ジェンダーや親や教師が進路に過剰な口出しする上下関係とかは、保守的な地方都市でもかなりあったし。こうして知りあえば「わかりあえる」可能性が生まれる。かも。
主人公のはねっかえり娘は学校で軋轢起こしまくる。教師や優等生が激怒してもけして怯まない。この強さは両親が自身の保身以上に娘を愛し尊重してたからだろう。青春譚でありマイノリティからルポであり、家族愛の物語でもある一冊。 -
すぐ隣の敷地内の大学は、日本であって日本ではない。
抗日思想教育ギンギンのリトル北朝鮮。その実態を知ると恐ろしい。私たちはかくも憎まれているのだ。
隣人は、もしかしたらそんな教育を受けている人かもしれない。
内容は、先の「兄 かぞくのくに」をたたき台にして小説化したもの。
主人公に比べ、自分はなんとテキトーな学生時代を送ってしまったことか。恵まれすぎるのも考え物である。