無名抄 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

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  • 角川学芸出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044001117

作品紹介・あらすじ

文庫で歌論を読めるのはソフィアだけ! 題詠の方法、幽玄論などの歌論のほか、先人から同時代の歌人までの、説話的な話も収録した書。中世和歌研究の第一人者による最高峰の注釈で読む!

感想・レビュー・書評

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  • 気に入った作者の作品をまとめて読んだり、類似のカテゴリーに関する本を読むのも楽しいけれど、今年は太い2ラインで楽しんでいる。日本の古典ラインと、近・現代の海外文学ライン。これならよりダイナミックで飽きることもないし、まちがっても光源氏とナポレオンが戦うこともなく、頭の中でおかしな溶けかたをすることもないからだ(笑)。

    ところが、世上の乱れた平安末期・鎌倉時代、哀愁にみちた随筆家・歌人の鴨長明(1155?~1216)と言えば、なぜか思い起こすは……宗教戦乱のさなか、親友を亡くし、あっさり世を捨てた思想家モンテーニュ(仏1533~1592)。彼の『エセー(随想録)』は、鴨長明の『方丈記』としばしば脳内で呼応して溶け合ってしまう。時代も場所も文化も違うのに不思議でならない。戦乱時、懐疑主義、無常観、生と死、自己と他者の融合、平明で端的な筆致……二人はクールで熱くておもしろい♪

    そんな鴨長明の歌論書が『無名抄』(むみょうしょう)。なんといっても肩の凝らない、かろみがいい。有名な歌をベースにしながら、歌の良し悪しを端的に批評している。また当時の歌人たちの逸話や言動をエッセイ風に書きとめ、彼が宮廷に出入りしていた頃の小話もあり、同じ時代を生きた歌人藤原定家『明月記』とともに、当時の雰囲気をのぞくことができる。

    ***
    <春霞立てるやいづこみよしのの吉野の山に雪は降りつつ>(古今和歌集・よみびと知らず)
    (春霞が立っているのはどこだろう? 吉野の里の吉野山には、まだ雪が降り続いているなあ)

    この歌で、鴨長明は二句目の「立てるや」の言葉使いを絶賛している。その一方で、別の歌を紹介する。

    <神垣(かみがき)に立てるや菊の枝たわに誰が手向ける花の白木綿>
    (神垣に立っているな、白菊の枝もたわむように、いったい誰が神に手向けたのだろう、この花を白木布(しらゆふ)の幣(ぬさ)として)

    鴨長明は、この歌の同じく二句目の「立てるや」というくだりが、まったく効果的ではなく、拙い感じがすると批評している。たしかに「春霞~」の歌のほうは、初句から素直でわかりやすいのに、「神垣~」のほうは、すこし奇をてらいすぎていて、わざとらしい感じがする。また「霞」と「立つ」という言葉は、「縁語」――関係の深い言葉の繋がり、早い話が「連想ゲーム」のようなもの――で、山に霞が立ち広がる情景が素直にイメージできる。しかも動きがあって生き生きしている。でも後者は、菊の花がそこに立っているだけで、「立てるや」という言葉が、歌全体のなかでうまく効果を発揮していない。まっこと、鴨長明先生の言うとおり。

    「歌はただ同じ言葉であっても、続け方、言い方によって、良くも悪くも聞こえるのである」

    ***
    『二条中将(藤原雅経・まさつね)が語って言うことには、「歌にはこの文字がなければいいなあと思われることがあるものだ。源兼資(かねすけ)という者の歌に、
     <月は知るや憂き世の中のはかなさをながめてもまたいくめぐりかは>
    (月は知っているか。この憂くつらい世の中のはかなさをじっと見つめてきて、これから幾年私は生きていくのかを)

    『世の中」の「なか」という二文字がひどく悪い。ただ「憂き世のはかなさを」と言いたいところである』

    こういう歌論をみていると、そうだ、そうだ、ちょっとしたことだよ、でもまったく、ちょっとしたことではない! 限られた31音の言葉を精査し、彫琢していく厳しさを感じながら、でも、ありゃ? こういう評論もありますが……どうすればいいのだろ?

    『覚盛法師が言うことには、「歌は荒々してく止めることもできないようなのも、一つの姿である。それをあまり技巧をこらして何かといじると、何でもないつまらないものになってしまうのだ」』

    (鴨長明先生)ふふっ、あとは自分で考えなされ。


    ほかにも五七五の上句と、七七の下句の繋がりの良し悪し、歌は必ず人に見せて相談すること、余情が内にこもる歌とはどんな歌?……目から鱗が落ちるような指摘にうなずき、その批評眼の鋭さにうなってしまう。
    考えてみれば、言葉がうすっぺらになってしまった現代にくらべて、昔の人の言葉というものに対する想いと、その奥の深さにあらためて驚かされる。まさに言の葉に言霊が宿るのだろう。

    この本はわりと薄く、83の短い断章からなる歌論+随筆なので、前後の脈絡もほとんどない。それもさきの『エセー』とそっくりだ。しかも好きなときに、好きなところをぱっと開いてながめる楽しさ。古文と現代語訳の両方があるから、いたれり尽くせり。和歌に興味のある方にはぜひおすすめしたい。で、この炎暑、古文で読む人には「おまけ」もあったりする。ペースをぐっと落としてゆるりと読んでいるうちに……見えてくるのは、山の奥のおくの……うらさびし方丈庵の筆の音(ね)のしずしず和(な)がれ涼にたゆたふ~ひひ冷ぇぇ~~~2022.8.15

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    「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
    ……花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。……力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
                     (『古今和歌集』―仮名序―紀貫之)

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著者プロフィール

平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。建暦2(1212)年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。下鴨神社の正禰宜の子として生まれるが、出家して京都郊外の日野に閑居し、『方丈記』を執筆。著作に『無名抄』『発心集』などがある。

「2022年 『超約版 方丈記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

鴨長明の作品

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