ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044007157

作品紹介・あらすじ

経済思想家・斎藤幸平が研究室を飛び出して日本全国へ。岐路に立ち、新しい世界をつくるため奮闘している人、困っている人、理不尽と立ち向かっている人たちの声を聞き、現場から未来を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 一つの問題や正義に固執し、他の問題や自分の加害性に目を瞑るなら、それは共時者と言う視点から不十分なものである。共時者は様々な問題とのインターセクショナルティー(交差性)を見出し、様々な違いや矛盾を超えて、社会変革の大きな力として結集するための実践的態度が必要。当事者では無いことや中途半端な関わりを非難し合うのではなく、より大きな視点で連帯しなければならない。

    家にこもらずに他者に出会うこと。現場で他者と出会い、問題に向き合って、新しい人々とのつながりを生み、新しい価値観を作り出すこと。

    こう語り、斎藤幸平は本著で様々な現場に赴く。正直、近年珍しい真っ当な左派ながら、草の根運動だけでは何も変わらないだろうと諦念するが、胸を打たれる。ウーバーイーツに自ら挑戦し、京大では生徒とともに禁止されたタテカンを作る。男性メイクにチャレンジしたり、脱プラ生活にトライ、昆虫食も試す。水俣病の現場を訪問し、部落解放同盟とも交流する。

    新たなイデオロギーを思い描きながら自らの生活から資本主義的なものを切り離せない事実に悩む等身大のマルクス主義者は、時にコミカルでさえある。斎藤幸平は、まるで、我々に微かに残る地球保全に対する良心の象徴、いや、妖精みたいな存在なのだ。そのもどかしさや矛盾こそ、今の我々が抱えるリアルだからだろう。誰しも、くだらないマウント合戦をやめたがっている。しかし、一斉にやめないと取り返しが付かない競争弱者になることも分かっている。せいぜい、ウーバーで捻挫する位が、関の山という事だ。でも、いつかはそこを打開したいと夢想する。それを仮託した存在が斎藤幸平氏だという気がしている。

  • 経済思想家・斎藤幸平氏がさまざまな"現場"に出向き、そこで体験したことを元に『日本』という国の将来を考えた、ノンフィクション作品。この本を読むと、「いまの日本が進んで行く方向は間違っているのだなぁ」、と考えさせられる。なかなか一言で説明するのは難しいが、読んでみる価値のある一冊だと思う。

  • 初めてこの作者の本を読んだ。
    日本にはたくさんの問題があることに改めて気づかされた。全て解決する道はまだまだ遠い。読んでいて気持ちが暗くなるような部分もあったけれど、自分も知るというところから、一歩ずつ色々なことの理解を深めたい。自分には何ができるだろうか。この問いは生きている限り絶対に放棄したくない。そう思わされる、考えさせられる本だった。

  • もしも斎藤幸平がウーバーイーツの配達員になったら?
    本書は、そんな面白い切り口から始まる。

    マイノリティや不可視化されている人々、〈コモン〉を実践している人々、気候変動に対する取り組みをしている人々などを取材し、『人新世』の斎藤幸平が発信することで、小さな声や取り組みがマジョリティに届く。

    外国人労働者、プラスチックゴミ、環境破壊、差別や偏見、震災や原発、オリンピックなど数々の問題について、わたしもニュースで知りながら、思考放棄し、沈黙してきた。環境問題に対してしていることといえば、恥ずかしながら、食品トレーとペットボトルを回収に出す程度で...。自分の生活優先で、環境のことを考えるのが後回しになってしまうのは、斎藤幸平が指摘するように、自分はマジョリティであるという特権があるからなのだ...。

    神戸市灘区に石炭火力発電が建設されていたことはまったく知らなかった。なぜ神戸市に住んでいて知らないの?と思われてもおかしくないが、住民でも少し先で何が起きているのか知らないもの。こういった情報は積極的にキャッチしようとしなければ、神戸市が「実はSDGsの理念に背くことをやっていまして」なんて、わざわざ発信したりしない。

    コロナウイルスの出現で強者はますます強く、弱者はますます弱くなった。ケアワーカーや相互扶助にスポットライトが当てられるようになり、資本主義社会に疑問を抱くキッカケになったひとも多いだろう。本書を読んで、今まで自分とは無関係だと思っていたことがグッと身近な問題になった。今の自分にできることは何かを考え、発信したり、集まりに参加したりしたいと思う。このまま社会が分断し続ければ、いつまでもマジョリティ側にいられるはずがないのだから。

    p216
    結果的に、「真の当事者」へと語りを限定していくことが、多くの人にとって「自分には語る資格がない」と声どころか、考える能力さえも奪うことになる。その先に待っているのは、無関心と忘却である。それでは社会問題はまったく改善しない。「自分は当事者ではないから発信するのは控えよう」というのは、一見するとマイノリティに配慮しているようで、単なるマジョリティの思考放棄である。それは、考えなくても済むマジョリティの甘えであり、特権なのだ。そのようなダイバーシティでは、差別もなくならない。

  • サラッとパンクバンド時代の話しではじまり、環境問題、気候変動、人種差別、貧困問題等を課題とし、実際にあつ森、テレワーク、脱プラ生活などの経験や現地取材で向かい合ったエッセイのように読んでいましたが、後半はそんな他人事のような感じにはなれる余地無しです。

    「戦後、高度成長期があったから日本は豊かになったんだ!」と昭和時代を美化する話しをよく聞いたことを思い出しました。
    しかし、この本を読むと高度成長期の尻拭いをしないといけない課題が山積みなのが分かりました。
    出来事だけはTVやニュース、ネット、チャットGPTでも知ることは簡単ですが、現在進行形の方たちの声はどこを探しても知ることは出来ない。現場に行った斎藤幸平さんから、この本を通じて知ることは、とても貴重なことだと感じました。
    わたしも北海道旅行のときは白老も行こうと思います。

  • 『人新世の「資本論」』で新書大賞2021を受賞した著者の、毎日新聞での連載をまとめた一書。

    1万部売れればベストセラーと言われるなか、50万部以上を売り上げている。

    多くの人が、彼の論考に注目している。

    なぜか。
    みんな、このままでいいなんて思っていないからだ。

    戦争。
    紛争。
    パンデミック。
    気候変動。
    格差拡大。

    なんとかしたいと思っているからだ。

    著者はコロナ禍の真っ最中に、現場に足を運んでいく。

    外出すら出来ないときは、家庭でできることに取り組んでいった。


    知恵は現場にあり
    自身をアップデートし続け、
    学び続ける人は謙虚だ。

    批判するだけでなく、懸命に、今、これからできることを探していく。

    涙を流しながら、泥まみれになって。

    温かさ。
    ぬくもり。
    知ろうとする努力。
    学び続け、それを捨て続ける勇気。

    「事を共にする」共事者として

    「ないものねだり」ではなく「あるものさがし」をしよう。

    「シンクグローバリー アクトローカリー」(アメリカの最近学者ルネ・デュポス)との言葉を思い出す。

    無力感に陥る前に、今できることをやっていこう。

    心の深いところで、静かに、そして強く決めた。


    <本書から>

    原発事故から10年たっても、近代化の呪いの前に停滞を続ける日本にあって必要なのは、思考の枠組みを変えることであり、それが思想の役割だと信じている。
    無論、それは机上だけでは生まれない。現場に行き、埋もれた伝統や文化を掘り起こし、新しい価値として提示する作業の重要性は増している。
    (P186 福島・いわきで自分を見つめる 「共事者」として)

    もちろん、私やあなたの苦しみは、アイヌの人たちと同程度の苦しみや葛藤ではないかもしれない。
    けれども「自分の苦しみは大したことない」、「もっと辛い人がいる」とみんなが我慢したせいで、日本は「沈黙する社会」になってしまったと石原さんは言う。
    だとすれば、自分を大切にするために、自らの感情に言葉を与えることは、この誰もが「わきまえている」社会において、他者と連帯するための一歩なのである。
    (P194 特別回 アイヌの今 感情に言葉を)

    この「想像力欠乏症」を、佐藤千矢子は「オッサン」の病理として批判している。
     「男性優位がデフォルト(あらかじめ設定された標準の状態)の社会で、そうした社会に対する現状維持を意識的にも無意識のうちにも望むあまりに、想像力欠乏症に陥っている。そんな状態や人たちを私は『オッサン』と呼びたい」。

    耳が痛い。今のシステムが行き詰まっているとすれば、その解決策は特権集団以外の場所に見出す必要があるということだ。
    (P209 学び、変わる 未来のために あとがきに代えて)

    だから、一つの問題に固執し、他の問題や自分の加害性に目を瞑るなら、それは共事者という視点からは不十分なものである。
    共事者は、むしろさまざまな問題とのインターセクショナリティ(交差性)を見出し、さまざまな違いや矛盾を超えて、社会変革への大きな力として結集するための実践的態度なのだ。
    (P217 学び、変わる 未来のために あとがきに代えて)

  • いつのまにか大阪市立大学から東京大学の准教授になられた斎藤さん。
    東大もいい人選をするなと思う。

    頭でっかちではなくて、現場に出る研究者ってなかなかいないと思う。
    誠実で謙虚、そして自分の拠って立つところを鮮明にして話す公平さもとてもいい。

    最終章が非常によかった。これらの現場の経験を総括して自分の考えに収斂させていくのは流石。全ての経験がこのように吸収されるのなら、取材を受けた人も幸せだと思う。
    「共事者」という考え方を新たに手に入れ、斎藤さんはこれからも進み続けるだろうな。
    「コモン」という概念も、地に足をつけたものになりつつあると思った。

    こんな研究者が出るなんて日本も捨てたもんじゃないな。

  • 理論と実践。
    人に向けて開いていくこと、立ち止まらずに考えていくこと、筆者のスタンスが現れている一冊だなと思った。

    ウーバーイーツに登録してみる話から始まるのだけど、読み始めて最初、学生さんの新聞配達ではないけど、こういうインターンシップ?職業体験があっても良いんじゃないかとひらめく。

    でも「何もシェアしていない」シェアリング・エコノミーであるなら、ダメだなと続いた。
    最早、物珍しさも薄れ、一つの肉体労働の位置に収まりつつある。
    自由な働き方は、まだまだ、遠いのか。

    あつ森から始まるスターリニズムの章も、なかなかアツい。(かけてない)
    自分の部屋のインテリアを調和させる感覚で、村を統一して、住民選別していくって、確かにね。
    でもまあ、ゲームの世界で、そんな空間を手に入れて遊ぶくらいの虚構は許されて欲しい。

  • タイトルに惹かれて読んでみた。新聞での連載をまとめた本だとは知らず、興味を惹かれもっと知りたいと思うトピックはあったものの、一つ一つのページ数は少なく内容は薄かった。その中で関心を持ったもの、面白かったものは以下。

    ・あつまれどうぶつの森をやってみた話
    ・東京五輪のための国立競技場建て替えに伴う都営アパート移転の話(「東京オリンピック2017都営霞ヶ丘アパート」というドキュメンタリー映画があるようで見てみたい)
    ・今も続いている水俣病問題
    ・アイヌの施設ウポポイと慰霊施設

    上記の関連図書・映像作品や著者の他の本を読んでみるのが良いのかも。

  • 100分で名著で知ってわかりやすくていいな〜と思って人新世の資本論買ったものの積読
    こっちのタイトルならシュッと読めるかもと思って買った、シュッと読めた

    読みやすいし、自らフィールドワークするっていうのはアグレッシブでいい取り組みと思う反面、最初のUber回からなんとなく違和感というかバッドランズに出てきたドヤ街を盗撮する大学生とこの活動はどこで線引きされるんだろう、とモヤモヤも残りながら読み進める
    Uber初出勤!とLINEで報告とか「おいしいコオロギ」を撞着語法とか、そこはかとない他人事感というか「通常こんなとこには来ませんが、社会科見学です」みたいな雰囲気を感じてしまった

    ただ、後書きの研究者の暴力性で、この人はそういった批判も承知で発信をしてるのか、と
    水俣は自分のゼミ課題でもあったが、風力発電機計画などまったく知らなかった、当時ですら重すぎてのめり込めなかった自分を思い出す。
    社会問題に対して全身全霊を注げるかと言われると無理と答えるしかない、でも世界は0か100ではないのだよな、と思い直した
    向き合うのにはしんどいが、でも無理のない範囲で関わりを持ち続けるというのだったら
    そう思うと自分自身でハードルを高くしていただけだったのかもしれない
    大学以来行けてないけど炊き出しとか行ってみようかなあ

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著者プロフィール

1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marxʼs Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞。著書に『人新世の「資本論」 』(集英社新書)などがある。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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