- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044094430
作品紹介・あらすじ
トイレには屋根がなく、窓は三重窓。冬には、気温が-50℃まで下がるので、釣った魚は10秒でコチコチに凍ってしまう-。世界でもっとも寒い土地であるシベリア。ロシア語通訳者として、真冬の横断取材に同行した著者は、鋭い観察眼とユニークな視点で様々なオドロキを発見していく。取材に参加した山本皓一と椎名誠による写真と解説もたっぷり収められた、親子で楽しめるレポート。米原万里の幻の処女作、待望の文庫化。
感想・レビュー・書評
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またも季節外れの一冊。字が大きく読みやすい。いつもながら米原さんのユーモアと他者を認める視点がいい。山本さんの写真や椎名誠さんのコメントと共に、穏やかなヤクートの人達の暮らしぶりを楽しんだ。現在はどうなってるのだろうか。
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寒いところが苦手な私が、怖いもの見たさで読んでみた。感想...無理! 住めない! でも文章は小学生新聞に連載していたこともあり、子どもでも読めそうな文体で○。吉村昭氏の『漂流』でも大黒屋光太夫の件は触れられているが、『光太夫オロシャばなし』は恥ずかしながら初見だった。機会があれば読んでみたい。ヤクート料理、食べてみたいぞ!
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吉村昭氏、まんま『大黒屋光太夫』、書かれてましたね...。しかも蔵書にあるやんけ! いつか読もう。吉村昭氏、まんま『大黒屋光太夫』、書かれてましたね...。しかも蔵書にあるやんけ! いつか読もう。2021/01/31
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マイナス50℃。私が知っている「寒い」の何十倍も寒いことは間違いないだろうけれど、リアルな想像が難しい。
どんな生活をしているんだろう。気候は、食べ物は、着るものは、家は。
著者は1984年~1985年にヤクート自治共和国(現サハ共和国)を取材したという。今から40年近く前の様子とはいえ、その暮らしに興味津々である。
寒い地域は、風は冷たく雪も多いのだろうという先入観があった。
しかし違うらしい。
ヤクートは乾燥していて降雨量が少なく、寒すぎて摩擦でも氷が融けないから滑らない。滑らないなんて驚きだ。
川が凍って期間限定で道路になること。
石油製品は極寒の中では粉々になってしまうこと。だから本物の毛皮が必要で、合成皮革では代用できないこと。
へえーと思うことばかり。
写真もあって、カラーの屋外写真は全体的に青いのが印象的だ。日照時間が少ないことがよく分かる。
馬の吐く息が凍って靄のように漂っている写真も、幻想的だなあ。こんなの初めて見た。 -
ブグログで本書を検索すると、角川ソフィア文庫版しかヒットしないが、私が実際に読んだのは、現代書館という会社が出版している、毎日小学生新聞編のものである。1986年発行ということなので、今から35年前に発行されたものだ。この本は地元の図書館から借りて読んでいるが、図書館での分類は「児童書」となっている。実際にすべての漢字に読み仮名がふってある。私自身は、実際にマイナス50°Cの世界が知りたくて本書を読んだわけではなく、米原万里の本をまとめて読もうとしている中で手にした本だ。米原万里は1950年生まれなので、本書発行時は36歳だったということになる。
この本は、もともと、TBSの番組企画から始まっている。厳寒の地であるシベリア横断の記録をテレビ番組にしようという意図である。本書の最後に本番組を担当したプロデューサーのコメントが記載されているが、その中に、本番組製作上の苦労が2点記載されている。
本書・本番組で言う「マイナス50°Cの世界」は具体的にはシベリア地方の、当時のソビエト連邦内のヤクート自治共和国を指す。ソ連の中に民間のテレビ局が長期間ドキュメンタリー番組を撮影するために入ることは、当時は相当に難しいことだったようで、撮影許可を得るためのソ連側との交渉が大変であったことが記されている。現在では、ソ連と言う国自体がなくなったしまったわけで、時代の流れを感じる。
また、本番組製作の意図について、上述のプロデューサーは、地球上には「私たちにはまだまだ沢山の未知の世界があり」、「テレビカメラが私たちに思ってもみない世界を次々と映し出」すことが出来る、そういう一環としての番組であったことを記している。もちろん、今でも当地が厳寒の地であり、コロナ下であることを除いても、特に冬場は簡単に行ける場所ではないことは確かであるが、一方で、このあたりの中心都市で、本書にも訪問の記録があるヤクーツクに関して、ネットで検索すると、「2021年ヤクーツクで絶対外さない観光スポットトップ10」という記事がヒットしたりして、こちらの方も時代の流れを感じてしまう。 -
椎名誠は自伝的小説や探検記など次々に出す人気作家で私自身も週刊誌の連載エッセイを楽しみにしていたほどの大ファンだったので大黒屋光太夫『おろしや国粋夢譚』の存在はリアルタイムで見ていたはずだが、その時の通訳が米原万里さんだったことはなぜかすっかり記憶から抜けていた。世界一寒い国ヤクート自治共和国(現サハ共和国)をこども向けに紹介した1〜4章はイラストも楽しく、取材の経緯や裏話の5章まで米原さんの言葉で綴られる当地の暮らしは驚きの連続。写真集としても美しく椎名さんの解説が嬉しい。
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1984~85年にかけて、TBS取材班はソビエト連邦のヤクート自治共和国(現在はロシア連邦のサハ共和国)を訪れた。本書はこの取材班に同行したロシア語通訳・米原万里さんによる酷寒のシベリア紀行文である。
「世界一寒い国」と言われるヤクートに降り立った朝、外気温はマイナス39℃。鼻の中の水分がたちまち凍って痛みが走り、自分の吐く息が空気中で凍って眉毛やまつ毛に真っ白になって張りつく。
首都ヤクーツクではマイナス40℃以下になると人間や動物の吐く息や車の排ガス、家庭から出る湯気などが全て凍って街中が霧に覆われる。日照時間は一日4時間足らず。バスは停車するとエンジンが凍ってしまうため絶えず動いている。私たちには全てが新鮮に思われる世界が、豊富なカラー写真と共に紹介される。
民家は木造平屋で窓は三重、当然セントラルヒーティングで玄関が冷蔵庫を兼ねる。洗濯物は外に干し、凍った水分を叩き落として取り入れればいいという。風呂は村で共同、なんとトイレは家の外にある。地面に穴が掘ってあるだけだが、全て凍るので臭気はない。
ヤクートの人々はそれでも「モスクワやレニングラード(当時)のマイナス30℃より、ヤクーツクのマイナス55℃の方がしのぎやすい」と言う。日本でも雪国出身の人が東京に来ると寒がるのに似ている。
著者の米原万里さんは当時ロシア語同時通訳の第一人者と言われた才媛で多くのエッセイを残したが、本書はその処女作に当たる。子ども向けに書かれた本なので文章が平易で読みやすく、イラストや写真にはキャプションがついている。私たちが恐らく決して訪れることのないであろうこのシベリアの地を身近に感じさせ、軽やかに脳内トリップさせてくれる。
この取材に同行した椎名誠さんは、シベリア各地のトイレに便座がないことを不思議に思い、『ロシアにおけるニタリノフの便座について』(新潮文庫)を書いた。こちらも抱腹絶倒の面白さだが絶版になっているため、古本なら入手は可能である。 -
さいはての、さらにはての地の街並みや生活について写真と共に紹介されている。
マイナス20度では暖かい。
寒すぎると氷は滑らない。
素手で金属に触れると即張り付いてしまう。
生き物から生ずる水分で、霧がかってしまい周りが見えない。
こんな土地で暮らしを営んでいる。
自分が暮らしている環境とは似ても似つかぬ異国の情景に、なぜか言いようのない思慕の念を抱いた。
しばしの間、ヤクートの空気を疑似体験することになった。
あっという間に読了したが、遠い国から戻ったような不思議な気分を今も引きずっている。 -
気楽に読んだ一冊。大黒屋光太夫について「光太夫オロシャばなし」と「おろしゃ国醉夢譚」を読みたいんです。
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「こんなとこ住まなきゃいいのに!」まさにこれが正直な感想。極寒の地、というか「極寒」なんて言葉ではとうてい表すことなどできないであろう、まさに想像を超えた寒さ。マイナス50℃の世界は「寒い」という言葉を通り越して、「寒い」ことから連想される様々なことが(たとえばスケートとか氷柱とか)、実は日本での「寒さ」を想定した事象に過ぎないことを教えてくれる。
こんな寒い地ならわざわざ住む必要などないのでは?というのが最初の単純極まりない疑問。それゃそうだ。飛行機は飛ばない。バスだって霧によって危険極まりない。それでもヤクートの人々は、たとえヤクートより暖かいところへ行ったとしても、「体の調子が悪い」なんて言っては再びこの極寒の地に帰ってくるのである。愛着?そして体に染み付いた"何か"が彼らを故郷へと返すのだろう。その"何か"とは、米原氏一行が極寒の地でなんとか必死に日本料理を作ろうとしたのと同じように、それぞれの人の体にしっかりと染み付いた"文化"と呼ぶべきものなのかもしれない。