ライトノベルはキャラクターを愛でる温室なのか?——ライトノベルから一般文芸への超えるべき壁
陰陽師と言えば平安の世を妖怪変化から守るヒーローである。ただそのイメージは奇怪で取っ付き難いかもしれない。しかしそのヒーローが13歳の少年となれば話は変わってくる。主人公は少年陰陽師。超常の能力を持ってはいるが、その感性は我々にとっても親しみやすいものになっている。保護者に反発したり、女の子ドギマギしたりする姿は等身大の13歳そのものだ。こういった親しみやすい世界観造りはライトノベルでは一般的なものだが、この『少年陰陽師』では少々行き過ぎな感がある。13歳といえばまだ子供。親の庇護を受けているのが当然の立場であるが、これをフィクションの中にまで持ち込んでしまうと途端につまらなくなってしまう。
主人公である『安倍昌浩』は稀代の陰陽師『安倍清明』の孫であり、清明の才能を多分に引き継いだ昌浩はすでに世間から注目され将来を約束された存在である。さらにその傍らには常に清明の式神で『十二神将』である『紅蓮』が付いており、清明の監視もあって昌浩の安全は保障されている。これはあんまりではないだろうか?
主人公とは苦難を乗り越えてみせることで読者を楽しませる存在である。(冒険物語では特に)その主人公が保護者同伴で悪霊と戦い、さらに最終的には危機をすべて祖父清明に助けられてしまうのはあまりになさけない。読者は昌浩が危機に陥ると「紅蓮がいるから大丈夫。清明が助けにきてくれる」と分かってしまう。どうしようもないことに、主人公昌浩ですらそのことを自覚しているのだ。これでは緊張感もあった物ではない。
だからといって昌浩に主人公としての魅力がないわけではない。昌浩の魅力を一言で語るなら純真無垢である。妖怪たちと心を通わせ、本来恐れられるはずの妖怪達から助けを求められることもある。何者にも悪感情を抱かず自らの使命に奔走する様は主人公にふさわしい。
——だからこそ思わずにはいられないのだ。彼がこんなに純真無垢でいられるのは『安倍清明の庇護』という温室の中で育ったからではないのかと。キャラクターはすばらしい。だが、それを取り巻く環境はあまりに温く優しい。この温室を抜けなくてはライトノベルというジャンルは厳しい一般小説の環境では生きていけはしない。それが角川文庫に移籍してきた『少年陰陽師』から抱いた危惧である。