「本能寺の変」はなぜ起こったか: 信長暗殺の真実 (角川oneテーマ21 B 103)

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  • / ISBN・EAN: 9784047101197

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  • 「下天は夢か」の津本陽氏が、本能寺の変について研究・分析した著。本能寺の変については様々な人たちが、様々な見解を示しているが、それらを詳細に分析し、それらの見解に対し意見を述べるとともに、自分の考えを述べている。最終的な著者本人の考えは、従来の一般的なものとあまり違わないと思うが、詳細な調査に基づき、多くの人の本を批判しているところは説得力があり、参考となった。
    「信長政権下では独立した権限はほとんどなく、日々、信長から指示命令を受ける立場にあった。彼らには信長から、必ず目付が付けられていた。信長は絶対権力者以外の何物でもなかった」p23
    「殺す側の光秀以上に、殺された側の信長という人物の個性を十分に理解しておく必要がある。光秀のような能吏で秀才型の個性は、現在でも少なくないのに対して、信長はまず我が国の古今において例を見ないスケールの大きさをもった、それゆえ狂気の如く破壊的で、かつ一方では実に創造的で建設的でもある、天才と考えられるからである」p60
    「(母親である)土田御前は荒々しい気性の信長を嫌い、膝下で育てたこともあって、折り目正しい弟の勘十郎信之を偏愛した」p61
    「戦乱の世を生き抜いてきた父信秀は、24人いる子女の中でも、嫡子信長の才幹をひときわ高く評価し、後継者として期待をかけていた」p61
    「(信長の布告した「一銭斬り」)たとえ一銭でも盗んだ者は、情状のいかんにかかわらず、かならず斬罪に処する峻厳きわまりない規則だが、信長はこれを断固実行に移した。これにより京都の治安は守られた。背後には、自分の出した布令を遵守しない者は自分を蔑視するものであり、敵以外の何物でもないという論理があったのだろう」p62
    「信長は自分の目で見、見たことのみを信じ、そこから深く考え込んで真実に近づいていく。優れた科学者のような合理的思考法の持ち主、それが信長だった」p63
    「「楽市楽座」などの革新的商業政策や、「天下布武」という大胆な政策立案、安土築城に見る城郭建築の斬新さなどなど、信長の天才的頭脳なしに生まれなかったことがらは数多い」p64
    「父 信秀と舅 道三こそが、若き日の信長最大の理解者であったと言ってよかろう。人はその人の有する器量で相手の器量を理解するというが、まさにそのとおりであった」p71
    「佐久間信盛と柴田勝家が、信長麾下武将の頂点におり、惟任光秀、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀らがこれに次ぐ地位にいたようである」p86
    「佐久間信盛父子追放時、信長の覚え第一の地位にあった惟任日向守光秀と、第二位の羽柴藤吉郎秀吉との順位が逆転したのである」p92
    「(本能寺の変の秀吉や家康の黒幕説)これらの人たちの手になる「労作」は歴史研究の書としては、まったくといっていいほど評価の対象にならない(国学院大二木教授)」p158
    「秀吉の、信長譲りの「拙速こそ第一」とする戦略観が、この最大の危機のときに存分に発揮され、光秀との決戦を前に、絶対優位な態勢をつくりあげたのである」p165
    「(本能寺の変前後の光秀)決意するまでのぐずぐずしている光秀と、決意以後のてきぱきと動く光秀、この差はどうして生まれたのだろうか。そこに本能寺の変がなぜ起きたかを理解するひとつの鍵があると、私は考える」p190

  • 最近知った八切さんがボッコボコにやられててなんか笑った。

  • 津本 陽氏の作品なので期待していたが、
    あっさりしすぎである。
    同氏の著作である「下天は夢か」を読んで、
    それから各々で推測する方がよほど楽しい。

  • 信長ブームは自分が作ったとか、考証もできていないのに歴史小説を名乗るなとか、誰それの説は噴飯ものだとか、上から目線で語っているわりに、「このとき光秀はこう考えた」とかそれこそ何を根拠に言っているのか、というツッコミどころが非常に多く、新書のくせに著者の想像の産物のような気がして「信長暗殺の真実」については全く信憑性が感じられない。

  • 有名なクーデター事件とされている本能寺の変ですが、歴史小説を多く書かれていることで有名な津本氏による、信長暗殺の真相に迫った本です。

    最近明智家の方が本を出版されたり多くの新事実が出てきたりしているようですが、いつまでも決定的な証拠がでてこないで、楽しく読み続けられると良いと個人的には思っています。個人的な思いはさておき、明智光秀は本能寺の変においては、損な役回りをさせられたとは思います。

    信長が亡くなった事で得したのは、明らかに豊臣秀吉、徳川家康であり、何人かの商人も同じ思いだったことでしょうし、天皇を始めとした公家もそうだったことでしょう。多くの謎がいまだに残っているので、このテーマはいつまでも楽しめそうです。

    以下は気になったポイントです。

    ・本能寺直前の天正10年(1582)3月には、信長は武田勝頼・信勝を天目山にて破り、東国征服の目処を立て、関東8州の警護(関東管領)を滝川一益に任せた、旧武田領は甲斐22万石が河尻秀隆、信濃20万石が森長可といった信長配下の武将に与えられた(p22)

    ・信長は後北条氏と連携しているので、武田を滅ぼしたことで、織田と敵対しているのは中国の毛利と越後の上杉のみであった(p23)

    ・長宗我部征伐のための主将を、三男信孝、副将に丹羽長秀に任じたことで、それまで仲介役をしてきた光秀の立場、感情は微妙なものになった(p26)

    ・本能寺の変までに滅ぼされた、美濃斎藤・近江六角・浅井・朝倉など、信長を滅ぼそうとしていた勢力はあった(p27)

    ・1570年9月末の浅井、朝倉連合軍との戦いで信長は窮地にたち、弟の信興、信治や重臣である森可成、坂井政尚を失っている(p29)

    ・武力は持っていなかったが信長と敵対していた権力として、15代将軍の足利義昭、正親町天皇を頂点とする朝廷がある(p46)

    ・信長は、足利義昭から三管領の一つである斯波氏の家督や5畿内での領国管理を断って、泉州堺・近江大津・近江草津(商業都市)を直轄市として代官を置くことを認めさせ、貿易による利益を優先させている(p68)

    ・信長が父の信秀から家督を継いだときには、それまで従っていた国人、土豪たちは離反して、動員兵力は800程度(父の時代には5000)に激減した(p73)

    ・佐久間信盛が失脚すると、彼の配下にいた、大和の筒井順慶、摂津の池田恒興、中川清秀、高山重友らが光秀の与力に転じた、しかし摂津衆は組下ではなかったとも言われる、丹波平定後に、細川藤孝、一色義有を加えて、近畿管領の立場にあった(p99)

    ・1556年に光秀は加賀一向一揆において手柄を立てて500貫文の知行を与えられたが、これを石高に直すと、6000石程度になる(p100)

    ・本能寺の変直前において、精強とされた信長馬廻り衆の殆どがいなかったのは、中国出陣のために自領へ帰っていたため(p129)

    ・二条御所では、長男の信忠のみでなく、弟の長利、5男勝長や名だたる信長馬廻り衆が討ち死にしている(p139)

    ・仮に、摂津衆(池田、中川、高山)が光秀につけば、縁故の深い細川、筒井は迷うことなく光秀側となったはず(p164)

    ・信長は死後に、朝廷から太政大臣を追贈されている、征夷大将軍ではなく太政大臣で朝廷との問題は解決していた可能性もある(p169)

    ・光秀は本能寺の変後に、秀吉の長浜城を攻めて占領、斎藤利三を入れている、これにより正妻のねねは脱出していることから、秀吉共謀説も考えにくい(p183)

    ・光秀が勅旨に対して禁裏や京都5山に銀子500枚を計上しているが、現在の価格で3000万円程度(p185)

    ・光秀の丹波没収についても、柴田勝家(近江から越前)、秀吉(長浜から播磨・但馬)らが前線に近い遠国に配置されたのと同様の処置と考えられる(p191)

    ・細川藤孝は、毛利と秀吉のあいだで講和が近いという情報を事前に手に入れていたので光秀に組しなかったと考えられる(p203)

  • [ 内容 ]
    明智光秀には黒幕がいた!?
    ついに論争に終止符をうつ。

    [ 目次 ]
    序章 いまなぜ「本能寺の変」なのか
    第1章 信長を囲む軍事・政治情勢
    第2章 織田信長という個性
    第3章 秀吉の勃興と光秀
    第4章 敵は本能寺にあり
    第5章 黒幕は果たしていたか
    第6章 本能寺の変の真実

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    [ 参考となる書評 ]

  • これだけ読後にがっかりした本も珍しい・・・
    振りだけが長くて結局結論が希薄すぎ。
    歴史の勉強にはちょうど良かったけど。

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著者プロフィール

1929年和歌山県生まれ。東北大学法学部卒業。78年に『深重の海』で直木賞受賞。その後、織田信長を描いた『下天は夢か』がベストセラーになる。95年『夢のまた夢』で吉川英治文学賞、2005年菊池寛賞受賞。1997年に紫綬褒章を、2003年には旭日小綬章を受章。剣道三段、抜刀道五段で武術全般に造詣深く、剣豪小説をはじめとして多くの武道小説を執筆。2018年5月26日逝去。著書に『明治撃剣会』『柳生兵庫助』『薩南示現流』『雑賀六字の城』『修羅の剣』『大わらんじの男』『龍馬』など多数。

「2022年 『深淵の色は 佐川幸義伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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