YES-NO: 小田和正ヒストリー

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784048835299

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  • この本のタイトルは、曲名からとったものではなく、人生は様々な岐路で選択を積み重ねることから付けられたようだ。

    彼らが出場したヤマハのコンテストで、赤い鳥と出会ったことは知っていたが、その後の片割れのハイファイセットから誘いを受けていたとは知らなかった。さらには、彼らが所属していた同じ事務所の加藤和彦から、ミカバンドにも誘われていいたらしい。小田自身も、もしその誘いを受けていたらロンドン公演に行っていたのかな、YMOの流れの近くにいたのかな、などと回想している。

    小田の実家は金沢文庫で薬局を経営していた。次男として生まれたこともあり、母からは「好きなことをやれ」と言われて育てられたが、進学塾に行くことだけは強制された。小学5年の時に、日の出町駅の近くにある塾に通い始め、そこで鈴木康博と親しくなった。二人とも中学は聖光学院に進んだ。

    小田は野球に熱中していたが、兄の影響で聴いていたFMでピーター・ポール・アンド・マリーの「パフ」を聴き、コピーした。高校3年の学園祭では、グリーン・スリーブスなどを披露した。

    鈴木は東工大に進んだが、学園紛争によるストライキが多かったため、東北大に進んだ小田や地主のいる仙台にしょっちゅうやってきた。大学4年の時、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに応募し、全国大会で2位となった。1位は赤い鳥だった。

    卒業後、地主は就職したが、小田は学生を続けるために大学院に進んだ。鈴木も就職せずにクラブで弾き語りのアルバイトを始めた。二人は1971年にパシフィック・エンタープライズに所属し、かぐや姫の前座の仕事をするようになった。その後、同じ事務所に所属していた加藤和彦や杉田二郎が独立して、自分の事務所を設け、その両方から誘われた。小田たちは、世話になった杉田の事務所に移り、自分たちだけのコンサートを開始する。

  • ***画像が文庫版になっていたので、更新しました***

    1998年12月 初版です。

    元オフコースのリーダーで、現在もアーティストとして活躍中の小田和正さんを取材してまとめられた本。
    今は文庫本になっています。

    生まれ育った横浜の街への思いを語ったり、オフコースというバンドに関わる彼の当時の思いの回想だったり背景事情に興味のある方なら一読の価値が有ると思います。

    -----------

    小田和正さん 51歳の頃、インタビューに答えながらの自伝です。
    文庫版が出版されていますから、ご興味のある方は手にとって読むことも可能かと。

    YESかNOかを出しながらの足跡を語るものですが、どちらかというとNOを出した場面の逸話を多く取り上げているように感じました。

    音楽の道に進んでからだけでなく、生い立ちから進学~そしてバンドとしての活動~ソロアーティストとなってからも。

    映画を作ったけれども、当初の評価は芳しくなく、そして再度の作成・・・辺りは、とどまらないご自身の活動の源泉を語っているように思いました。

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