下町俳句お弁当処 芭蕉庵のおもてなし (メディアワークス文庫)
- KADOKAWA (2018年1月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784048936279
作品紹介・あらすじ
俳句とお弁当。この二つは一見何の関わりもないものに思えるけれど、共通点がある。それはどちらも人の心に寄り添ってくれるということ。辛い時にはその人をなぐさめるように、楽しい時にはその人を祝うかのように、そっと傍らに在ってくれる――。
社内恋愛騒動に巻き込まれ、傷心の三崎佳奈が東京深川でふらりと立ち寄ったのは、細い路地の奥にある小さなお弁当処、『芭蕉庵』。心に寄り添った、美しい俳句と美味しいお弁当を提供してくれるこのお店には、今日も俳句をたしなむ町の人々が集まってくる。心を癒す詠み人の集いに、あなたも触れてみませんか?
感想・レビュー・書評
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かつて自分の住む千住の地から、芭蕉と同じ道を辿って奥の細道を旅したい、と思ったことがあったけど、、それを思い出しながら、やっちゃばや大橋を越えて、芭蕉像を横切って、青空の下で読みました。お弁当代もらわないで一句読めばOKとかどう考えても無理でしょとか突っ込みどころ満載ではありますがこんな芭蕉庵が近くにあるなら私も通いたい!お腹が空いてくる、春から初夏にかけて読むにはピッタリ、軽く読める小説でした。
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「色々な経験をして当人の意識が変われば、同じものを見てもそれはまったく違うものに見えることがあります。
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諸事情で引っ越した土地での、弁当屋さんの出会い。
芭蕉大好き、な人が出てくるので、若干芭蕉に強くなれます。
店がお弁当屋さんなので、出てくる料理も美味しそうで
空腹時に読むと危険な感じです。
弁当を作っている人がほんわかで、柔らかそうな…と思っていたら
何だか背後が?? な現実が。
立ち直ってくれたりするのはいいのですが
結局、家の方は大丈夫なのかと突っ込みたい最後でした。
始まりが、別の小説の出会いに似てますが
方向は別物でした。 -
俳句とお弁当の組み合わせ、いいなぁ。散策したいなぁ。
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話が浅い。ストーリーの流れは良いと思うのだけど、一つ一つのエピソードをしっかり描けていないので、表面だけさらっと流してしまう感じ。
せっかく色々な過去があるので、もうちょっと突っ込んで欲しかったです。 -
芭蕉を好きな店長?と常連に出会った失恋した女性のお話。
どのお弁当もきちんと手順を踏んでいる感じで美味しそうでした。
人は人でこじれやすいけれど救われるのも人なんですよね。
私は牛すじのカレーが食べてみたいなあ。 -
【下町の人情が集まるこのお店、一句ひねればこころもお腹もほっこりします。】
俳句とお弁当。この二つは一見何の関わりもないものに思えるけれど、共通点がある。それはどちらも人の心に寄り添ってくれるということ。辛い時にはその人をなぐさめるように、楽しい時にはその人を祝うかのように、そっと傍らに在ってくれる――。
社内恋愛騒動に巻き込まれ、傷心の三崎佳奈が東京深川でふらりと立ち寄ったのは、細い路地の奥にある小さなお弁当処、『芭蕉庵』。心に寄り添った、美しい俳句と美味しいお弁当を提供してくれるこのお店には、今日も俳句をたしなむ町の人々が集まってくる。心を癒す詠み人の集いに、あなたも触れてみませんか? -
「芭蕉さんと生姜たっぷりの深川めし」
貝類をネギなどの野菜といっしょに炊き込みご飯にしたもので、深川の名物とされている。
自分にとって大切であればあるほど衝撃的な出来事は、そう簡単に忘れる事は出来ないよな。
「千住論争と、隅田川の春の天ぷら弁当」
隅田川では梅雨前くらいの時期からマハゼが獲れ始め、十センチほどの大きさのものをピンハゼと言い、唐揚げや天ぷらに最適である。
発端は単純な事だったとしても、互いに意地を張ってしまったら簡単には収集が付かなくなるもんだよな。
「思い出の牛丼弁当」
芭蕉さんがお弁当屋さんで働いている理由。
何故彼が着の身着のままこの街に来たのかとても気になるな…。
「大人の日光修学旅行と、湯波ちらし弁当」
膜を二重にして引き上げたものが日光の湯波で、一重で引き上げたものが京都の湯葉である。
無気力になってしまった時の対処法は、人それぞれで簡単には治らないものが多いから本人もしんどいだろうな。
「芭蕉さんとスパイスの利いた牛すじカレー弁当」
硬くて筋のある牛すじも二日間煮込めばほろほろ溶けるような肉になる。
一人で全部考えて誰にも相談しない人が、突然行動に移してしまう事は何よりも一番怖い事だろうな。