聖徳太子対談 飛鳥昭雄×中山市朗 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (249ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784054064041

作品紹介・あらすじ

聖徳太子が記したという幻の予言書「未来記」は実在した。彼はユダヤ系の預言者であり、古代物部氏の血を引いていた。バックにユダヤ人原始キリスト教徒「秦氏」を従えた聖徳太子が組織した秘密結社「八咫烏」の壮大なる国仕掛けが今、ついに明らかになる。

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  •  石神堂、牛王尊が四天王寺で最も重要な神で、創建当時から牛を祀っていて、年に一度、全僧侶がこの祠の前で牛王のために法要するというのが興味深い。また四天王寺は日本で最初の牛市が開かれた場所でもあるという。そして、牛の燔祭が行われていた歴史があるのではないかと推理する。物部系では燔祭の儀式をやっていて、籠神社でもやっていたそうだ。日本人は牛馬鹿を犠牲にする儀式はずっとやってきた。それが仏教によって消されてしまったことを述べているのは興味深かった。
     そして、四天王寺の鳥居について、鳥居の方向的に、仏像を拝むためにできていない。むしろ太陽がのぼるところ、生駒山を拝むためにある。そして生駒山は物部の本拠地である。つまり、四天王寺は、牛市と鳥居から考えて物部の重要な場所であったが、その上に四天王寺を作って封印した場所。塔によって、その怨念を天に飛ばす場所としている。ちなみに四天王寺から本当に定規でひいたようにまっすぐいくと、六万寺町という、六万体町のような町があり、そこには百済から帰国した善信尼が入寺したという桜井寺があった。蘇我氏肝いりの寺である。鳥居の向こうに拝謁しようにも、そこには善信尼らがいる。太陽を拝むことも封印しているのだ。そして、物部の一族は沈み行く太陽しか拝めないわけだ。それが夕陽丘である。お社のない、牛をさばくような、もっとも原始的な神社であったと思うが、そこを封印したのが四天王寺、というのには、不思議と納得してしまうところがあった。というのも、私より少し年齢が上の人にとっては、四天王寺や天王寺あたりは治安が悪く、夜にウロウロしてはいけない場所だし、ハッテン場も多いし、天王寺公園前はホームレスと薬物中毒者がたむろし、昼間から賭け将棋をして、青空カラオケで不法占拠した道路でみんな酒を飲んでいて、ラブホ街で、夕方になったら近づいてはいけないところだった。夕陽丘なのに、夕方になると離れなければならない呪いの場所が天王寺であり、四天王寺周辺だった。
     そして四天王寺周辺には四天王寺七宮があるが、基本的に祀られているのは、稲荷の神と素戔嗚尊であるという。(ちなみに、白龍社もあるが、これは玉造稲荷神社もそうで、このあたりは谷と川だらけの場所なので、治水の龍を祀るのは当然であろう)素戔嗚尊は、冥界の王であり、そして稲荷の神は、泰氏の氏神であり、忌部氏と玉造は、太玉命・櫛明玉命の関係でもある。森ノ宮神社は忌部の神と聖徳太子の両親が祀られている。何か怨霊を封じているとしか思えない。というのもここは物部氏の本拠地だ。徹底した物部封じ。それが聖徳太子の仏教と神社の使い方であった。

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