- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061157279
作品紹介・あらすじ
「情報過多の時代だから情報処理の技術を心得ておかないと翻弄されることになる」とは、
1973年刊行の本書に書かれていること。
さらに情報に振り回される現代こそ、本書の価値は高まっています。
学生・新社会人も必読!
「頭がいいとか悪いとか、ふだんよく使われる表現だが、もともとどういう意味があるのだろうか? (中略)
わたくしも教師生活を二十年近くは経験しているけれども、九十五点の学生と八十三点の学生の間に、
頭のよしあしの差があると思ったことは、いちどもない。
試験とはせいぜい、怠けているかどうかを知るのと、勉強をはげます程度にしか役立たないように思う。
学校の成績や入学試験にいたっては、競馬の勝ち負けより少しましだといったくらいのものだ。
とにかく信じられているほどには頭のよしあしとは関係がなさそうだ」
「独創とか創造とかについて、わたくしは日米あわせて五十冊くらいは参考書を読んだが、
(中略)すべてに共通することは、型にはまった考え方から離脱するために心身を訓練することであった。(中略)わたくしは、この態度をバンカラと呼んでいる」(本文より)
○脳は刺激を与えないと悪くなる
○「いつも」「みんな」という言葉は使うな
○朝は新聞を読むな
○ときどき、ふだん自分が興味のないジャンルを含め、あらゆる雑誌をまとめて眺め通すと、
頭のしこりがほぐれる(ブレーン・ストーミング読書)。
○精読するときは、黄色のダーマト鉛筆を使って気になる部分に線を引く
○読み返しのときは、しばらく時間をおく
○日本語はピラミッド型、英語は逆ピラミッド型。だから英語を聞き取るためには、文の 最初に注目する。
○自分に必要な情報を保存するとき、見出しをつけるときは「名詞」ではなく「動詞」を 使う
○保存する引用、要約に自分の見解を加えるときは、色を変えて書く
○アイデアを妨げるのは、「自分にはできない」という否定的な自己暗示
○相手に理解し、同調してもらうためには、「仲間意識」をつくりあげる
○読み手を味方にするには、私小説的アプローチを入れる
○数量化は大切
○自分の説と他人の説の区別は重要
感想・レビュー・書評
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古い本ですが言わずもがな名著です。
大学や仕事での知的生産術、レポートなどにも使えます。
特に情報の整理術や読書の仕方は目から鱗でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1973年出版で、著者は板坂元氏。シンプルなタイトル。
総じて現代社会に通じる普遍的な要素=本質が書かれていると感じました。
目次を見るだけで、中身を知りたくなります。
①頭のウォームアップ
②視点
③読書
④資料整理
⑤文房具
⑥発想
⑦説得
⑧文章
⑨構成
⑩仕上げ
実際に読んでみて、考えること、そして、書くことにおいて
「技術」を身につけることの大切さを感じました。
ポイントなのは、「考える」が先だということ。
冒頭、「頭の良さとは」という問いかけがあります。
ペーパーテストで良い点数を取ることはもちろん大事ですが、この本で言われているのは「型を見つけることの大切さ」。
・型をとらえて、それに対して適切な処置をすること(P24)
・頭がよいとか悪いとかということも、型を早く見つけるかどうか、また型をたくさん持っているかどうかの差に換算できることが多い。(P24)
そして、型をとらえることができたら、それによって見つけた「法則性」を、関連する事象と結びつける。それのトレーニングを積むことで脳が使われる。
トレーニング次第で頭はよくなると言われると、勇気づけられます。
その一方で、「型にはまった考え方から離脱するために心身を訓練すること」(P123)の重要性も説いています。そのことを、板坂氏は「バンカラ」という言葉を用いています。
これまでの経験や習慣のみを基盤にして、自分は物事の本質を理解しているという思い込みに陥ってしまわないよう警鐘も鳴らしています。
努力をすれば、優等生になれる確率は高い。
けれでも、「受け身」の知識・教養だけでは、8割止まりになるといいます。
人生の九八パーセントまでは、これまでの社会によって作り上げられた文化・考え方の積み重ねであろう。そして、個々人が勝負をするのは、けっきょく、残りの二パーセントのところなのである。(P 125)
その「二パーセント」に必要な要素を、板坂氏は「大胆な挑戦」と表現しています。
そこに模範解答はないからこそ、自分が感じる課題に対して確立されたルールを突破していくことも最後は求められるのだと感じました。
ここまでは「考え方」の技術において印象的だったこと。
次は、「書き方」の技術において興味深かったことです。
前述の「バンカラ」という言葉に加えて、「情動」も心に残ったワードでした。
どういう文章が読み手の心を捉えるのかというと、「相手の情動を刺激するもの」(P134)
そのために、「飽きが来ないように、かつ適度に相手の精神集中をうながすように、緩急をつけることが必要」(P134)とのこと。そのために必要な要素として、
・ことばづかいや話の内容や、その他いろいろな技術で読者との対話の場をつくりだすこと(P 142)
・相手に理解し同調してもらえること(=情動的)(P131)
が、挙げられていました。
具体的な技術として、数字を使う(数量化 P151)、読者が集中して読める文字数を意識する(三枚主義 P153)、リズム(具体と抽象の変化 P156)とか。
そして最後の「仕上げ」には、心構えが書かれています。
誠実、情熱、努力という言葉は、そのまま見るとありきたりで薄っぺらく思えてしまうけど、この本のまとめとしてみると説得力があります。
そして、
・「知っていることと知らないことをはっきり区別すること」(P200)
・自分の見解や発見を発表するときは、自他の境界線をはっきり示す(P201)
・自他と公私を区別すること(P202)
ただ無知で「知らない」のと、その分野である程度精通しているけど「知らない」とは別物ですよね。
い板坂氏は、「自信がなければ知らないといいにくい」と言っていますが、その通りだと思いました。
最後に、板坂氏が面白いのは日本離れをしていること。執筆時点で、海外生活を15年以上送っているとのことでした。外の世界を知っているからこそ、見える景色、紡げる言葉がある方なのではと思いました。
この『考える技術・書く技術 』は、物事を考えるうえでの指南書として、手元に置いておきたいと思う一冊です。 -
40年以上前の本なのに、今でも参考になることが沢山ある素晴らしい本。
いまとは文化やものが違うので受け入れにくい文章もそこそこ目につくが、要は脳を働かせて生み出すのだ、ということ。
何度か精読して自分のものにしたい。 -
10年前に買った本。1Fのトイレでぱらっとめくってみたら、HITした。当時の思考レベルでは理解できなかったのだが、あらためてよんだところ、本質的な論旨が分かりやすく書いてあることに気が付いた。自分でも考えたことがあるのだが、言葉や論理が整理されていなかったことが、この本を読んで整理されることが多くあった。
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本書は、1973年に出版された本で、40年以上に渡り読み継がれていることになります
それだけ長く読み継がれているだけあってきちんと丁寧に書かれた良書と感じました
なお、自分が読んだのは2013年12月発行の第71刷り、70回増刷されているのもすごいです
いわゆる文章術に分類されますが、読書・情報収集から始まり、カードシステムを使った整理・発想・文書構成を経て、文書の作成・仕上げとしての校正・完成と多岐にわたり、文章作成の順番に則って詳しく説明しています
ハック系のような即効性はありませんし、デジタル機器等の活用等に関する記述はありませんが、物事の本質を突くような内容でちょっと考えればデジタルへの応用は簡単だと思います。
また、きちんと文書構成を考え、流れが見えてから書き始めるという著者の著作に対する姿勢は真摯に感じたし、本書も筋道の通ったいい内容でした -
脳は筋肉同様鍛えることができる。
使わないと衰える。
偏った使い方は宜しくない。
頭のウォームアップには、見たものを口に出す。旅行・幼い友人・頭脳ゲーム、楽器の練習。
型を把握する>型にハマる。
P39
三島事件についての引用
本田勝一著 『殺される側の論理』「『三島由紀夫流』という生け花の定向進化」
P55
いかに読まないか(反読書法)
p56
文末のくせ・文章のくせ
P57〜
雑学のすすめ
手当たり次第に読む -
HowTo本ではなく、教養本
同時代の他の本に載っていることが多い。
技術を学びたいだけなら、Ⅵ章以降をさっと読むだけで足りる。 -
「いつも変わった見方をする人の意見に耳を傾ける習慣を実行することだ」
自分を客観的に見ることができているか。独善的になってはいけない。
「視点を自分から離れたところに設けることによって、大局から自分の考えや位置を考え直す機会をもつこと」
いつも同じような本を読んでいないか。視野を広めようとしているか。視野が狭くては、良質なアイディアは出てこないし、見るべきものを見逃してしまう。
「頭をまったく休めることではなく、違った方面についての思考活動に頭脳をさらすことによって、1つの転換を行うことである」
行き詰まった時には、違う何かをすることもひとつの手。だから、仕事ばかりすると惰性になる。
「日本の新聞は、明治維新に取り残された知識人、主として徳川幕府側の武士の中で政府に入らなかった連中によってつくられた」
「ピラミッド型と逆ピラミッド型の書き方」
この書き方を意識すると書きぶりが変わる。言いたいことが先に来るか、後に来るか。