これがニーチェだ (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 70
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061494015

作品紹介・あらすじ

哲学は主張ではない。問いの空間の設定である。ニーチェが提起した三つの空間を読み解く、画期的考察-。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルが不遜だとして批判している評を頻く見かけるが、誤読するを語るに落ちていることに失笑せざるを得ない。もちろんこのタイトルは意図的に一種のギャグであり、ニーチェ流デュオニソス的明るいニヒリズムの正鵠を得た表現である。ニーチェキーワードを時系列に並べながら、むしろ非論理的に、古い言い方ならスキゾ的に論を進めた挙句の最終章での「全否定という肯定」との結論に開いた口がふさがらなかった。だがむしろそれは、難解で長ったらしい数式の解がゼロになるような快さがある。感動的だ。ほとんど引かれていないが、本当に必要な個所でのニーチェ本人の境遇の記述により、本稿がむしろニーチェの人間像をも明確に浮かびあげさせ、かつ章構造自体が、ニーチェ的あまりにニーチェ的な虚無的世界を表現する仕掛けとなっている。最終章の躁病ともいえる筆運びがニーチェ晩年の発狂を想起させるほど。永井均はニヤニヤしながら本作を書いていたに違いない。

  • 最高の一語。ニーチェ何冊か読んだ後だと確かに「中和」の必要性を感じるが,それでもここまで核心をえぐり,網羅的で,ロマンティックに,かちっとした形式も備えて,笑える文体で思想家を論じるなんて人間業じゃない。前読んだときは第二空間のあたりが理解しにくかったが,今ならよくわかる。

  • 私は今までこの本を読むのをやせ我慢しておりました。ついに手に取って読むようになったのは、とうとうやせ我慢が馬鹿らしくなってしまったからです。
    何をやせ我慢してたかというと、つまりは、いきなりこの本からニーチェに入るのが嫌だったっていうことですよね。ニーチェに自ら直に触れて感じたことをまず打ち立てることが、私なりにですが誠実にニーチェに向き合う上で大事なことだと、どこか直観し、どこか貫き通したいと思っていたからです。

    ところが、今になってどだいそれは無理だということがはっきりしてきた。
    ニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』から始まって色々読みましたが、さっぱり自分の中に入ってこなかったというのもそうです。
    ただ、それ以上に何よりも——これはこの本を読んではっきり「やっぱりそうか」と自覚出来たことでもあったのですが——私はニーチェからしたら敵そのものです。自分が「超人」ではなく「乗り越えられるべきあるもの」の側、奴隷道徳にまみれた「弱者」の側であることが、自分の中ではっきりしたように思えた。そしてそのことが、どういう訳か落ち着いた気持ちでもってニーチェの言葉を迎え入れる準備にもなっていたように今は思っています。

    道徳の系譜を探る第一空間から、力への意志そのものを問う第二空間、そして永遠回帰の襲来と意志そのもの、生きることの意味そのものを問う第三空間へ……永井流のニーチェの受け止めとしても、そこで問おうとしていることはまさしくニーチェにしか問い得ない問いだということは、読んでいて非常に感じるところでありました。
    そしてまた、そうであるからこそ、私自身に嘘、偽り、ごまかしが沢山、いやそれこそ無数にあることもまたはっきりさせるような、そういう恐ろしい本でもあったことも間違いないと思っています。無論、何が恐ろしいと言って、永井さんというかニーチェそのものの恐ろしさなのですが。うまいこと社会生活を曲がりなりにもやってしまっていて、嘘、偽り、ごまかしを糧とし、人の弱さを養分として生きているうちの一人であるということを、およそニーチェが生きた問いの空間(こう言って良ければニーチェが身をもって示してきた哲学)からは全くもってかけ離れた身であることを突きつけられるような体験をしたように思います。
    まぁ、だからこそ私としては惹かれるんですがね。

    とにかく、
    「徹底して自己に誠実であるとはどういうことか?」
    「なぜ真理を求めてしまうのか?」、いや、「何が私に真理を求めさせるのか?」
    「この人生を肯定できるとしたらどこで肯定できるのか?」
    等々、ニーチェを読んで私なりに疑問を持ち、課題にしていたことの多くがこの本を読みながらある程度氷解されてきたのを感じています。

    にしても、徹頭徹尾、徹底的にニヒリストであったニーチェですが、彼は一体どこに向かおうとしていたんでしょうかね。。。

    それとはまた別に(いや、つながっているのかもわかりませんが)、読んでいていくつか幼い頃の生と死に関わる原体験、あるいはふとよぎってくる虚しさや心許なさの原体験が掘り起こされるような感覚も覚えました。それについてはまた、これから改めてニーチェを読む中で深く問うてみようと思います。

  •  ニーチェはニヒリズムの人だ。ニヒリズムというのは一般的には全てのものごとには意味や価値なんてないという考えだろう。
     以前,哲学史の本でニーチェの考えに触れたとき,私の心はすごく動揺した記憶がある。もちろん,ニーチェの考えの表面的なことしかそこにかかれていなかったが,自分の心をひどく動揺させた。

     道徳的に正しいとか言われることは,ただ偶然に社会に好都合であるから,誰かが考えたその論理が「正しい」とされ残されてきたにすぎないのかもしれない。世の中で正しいと言われていることは偽りなのかもしれない。
     強者は優良であることを,弱者は善良であることを「よい」とする。しかし,どちらも自分の立場から見た視点から自分を正当化する論理でしかないのだ。

     これを見て,キリスト教において,キリストの言った言葉を思い出した。

     ”この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
     イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」”

     もし,これを金持ちが実践し,資産を投げ出し,貧しくなったときに前記の考えに至った場合,どうすればよいのか。正しいと思っていたことが,ただの虚偽でしかなかった場合,絶望するだろう。正しいとして行ったはずなのだが,宗教の教えや道徳は弱者が自分を正当化するための一つのツールであり偽りに過ぎないんだったら,どうすればいいのだろう。
     ニーチェの考えを知るためにこの本を手にとった。入門書というわりには,そのことについて説明される前に,その後の概念がちらほら出てくるため,思っていた以上に難しく感じられた。
     しかし,最後まで読んでみて,なんとなく少しわかったような気がする。もちろん哲学者が人生をかけて考えたことを一瞬で理解することはできないのだろうから,これからよく考えてみないといけないだろう。
     結びにニーチェの引用でこのようなものがあった。
    『私に「道」を尋ねた者に私はこう答えた。「これが――私の道だ,――きみたちの道はどこか?」と。万人向きの道など,存在しないからだ。』
     私の生きていく道についてこれからも考えていきたいと思う。

  • 昔読んだような気がするが、なんとなく気になって読むことに。結果、大正解。誤解を恐れずに言えば、たいしたことは言ってないんだが、当たり前のことを回りくどく言う、いや示すのは気持ちいいなと。

    もちろん完全に永井さんのことを理解はしてないが、この本から肉をそぎ落として骨だけにするとそうたいしたら、相対主義のパラドクスを道徳的な展開をしたということになるんではないかと。
    あと、ニーチェを読んでいて存在と時間の実存主義に近いよな、と感じたがそれは中途半端なニーチェ主義なんだろう。むしろ突き詰めていくと、ハイデッガーの嫌ったダスマンの方が超人に見えてくるのは気のせいか?

    導入の仕方が秀逸。なぜ人を殺してはいけないかという問いをもってきて、道徳的に答える大江健三郎をこき下ろす。誠実に、正直に考えるなら、人を殺してはいけない理由なんてあるわけないのだ。そもそも問い自体が道徳的で、その目的を達しようと思うなら答えを言うのではなく、この世界に生きることがどんなに素晴らしいのかを伝えたほうがいい。至極もっともな話で、思わず妻に読ませて2人で共感した。

  • とても興味深く読めた。
    おそらく難解であろうニーチェをわかりやすく解説してくれている。とはいえそれでもじっくり読まないと途中で分からなくなってしまうけど。
    ニーチェの思想の変遷を、筋道に沿って追って行っている感があり、納得しやすい。
    いろいろと参考になることが書いてあるので、また読みたい。
    以下、印象に残った考え方。
    動物の最大の幸福は過去を忘れること。
    物には固有の価値基準があるが、人間にはそれがない。

  • 永井本の中では読みやすい。(が、すべてさらっとは頭に入らない)
    ・だからニーチェは「重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない」と言ったのではない。彼は「やむをえない」と言ったのではなく、究極的には「そうするべきだ」と言ったのである。
    ・人生の価値は、何か有意義なことをおこなったとか、人の役に立ったとか、そういういことにあるのではない。むしろ、起こったとおりのことが起こったことにある。他にたくさんの可能性があったはずなのに、まさにこれが私の人生だったのだ。そこには、何の意味も必然性もない。何の理由も根拠もない。その事実そのものが、そのまま意義であり、価値なのである。偶然であると同時に必然でもあるこの剥き出しの事実性のうちにこそ、神性が顕現している。そこにこそ<神>が存在する。その奇跡に感嘆し、その<神>を讃えて、ニーチェがなした祝福の祈りこを「永遠回帰」の祈りなのである。

  • ややこい、わからん。章扉のデザインかっこいい。歴史に残るような思想は、多分どれも、他になすすべがなかった人によって、苦しまぎれに、どうしようもなく作られてしまったものなのである。

  •  序文。ニーチェは役に立たない。哲学を、世の中にとって有益な仕事とみなす傾向にあってはなおさらだ。ニーチェから答えを受け取ってはならない。ニーチェは誰一人として問うことのなかった問いを独力で抉り出した。それは答えることが不可能なほど巨大な問いであった。ニーチェは余計なことをしたのだ。われわれを魅了してやまないニーチェの余計な問いとは。

  • 2014年11月2日読了。

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著者プロフィール

1951年生まれ。慶應大学大学院文学研究科博士課程単位取得。日本大学教授。専攻は、哲学、倫理学。著書に、『転校生とブラックジャック』『改訂版 なぜ意識は実在しないのか(以上、岩波現代文庫)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ちくま学芸文庫)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』『私・今・そして神』(以上、講談社現代新書)、『存在と時間――哲学探究1』(文藝春秋)、『世界の独在論的存在構造』(春秋社)など多数。訳書に、マクタガート『時間の非実在性』(講談社学術文庫)などがある。

「2018年 『西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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