- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061496842
感想・レビュー・書評
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読書の世界は奥深い。人におすすめを聞かれた時に、自分の趣味や嗜好や人間性が見透かされてしまいそうで怖い。本を読むのに目的を持たせるなら、単純に小説の世界に自分を置いて疑似体験することで、そのスリルや感動を味わいたいということ以外に、自分の知らない世界中の知に触れて知識を増やしたいなど様々だと思う。知識を増やすこと自体で自身の満足に繋げたり、ビジネスシーンや飲み会など人と話す際に知識人として見られる事で、これもまた自分の満足感に繋げる事だと感じる。小説、歴史、新書、参考書、絵本、漫画などありとあらゆる書籍があるが、どんな本であっても「読む前の自分」「読んだ後の自分」は明らかに違う自分になれる。私は新書ばかりを読んで、誰と話しても話ができる事、そこに喜びを感じているタイプだ。
本書は文芸評論家かつ大学の文学部教授を兼ねる筆者が、世の中に大量に存在する文学を遠慮もなく評価していくものだ。書いた作品だけでなく、書いた本人を評価していくので、それなりに本人への配慮はあるだろうが、初めて筆者の書いた作品に触れる方は、余りの正直な意見に少し引き気味になるかもしれない。実はそこが一番筆者の作品の面白いところでもあるのだが。
また読む本によっては、その人がどの様な嗜好を持っているかは凡そ見抜くことができ、確かに電車の中で隣の女子高生が読んでいる本などは気になってしまう。
本書は多くの作家と作品を紹介しており、本書後半に記載される通り、読書のためのガイドの位置付けにもなる。ただし筆者の言う通り、捻くれた感じが文章からこれでもか、と言うぐらい伝わってくるので、最終的に誰のどの作品を読むかは、やはり本人次第という事になる。
因みに私も若い頃から、村上春樹や宮部みゆき、浅田次郎などを片っ端から読んでいたが、根が素直だったからか、深く読んでいなかったのか(後者に違いない)、どれを読んでも小説の中の登場人物の様にスリルやワクワクを味わうことが出来た。夏目や太宰も現代に無い異世界に飛び込んだかの様な気分に浸っていたのを思い出す。
まあ、所詮は読書の世界。自分の身近に感じられるものもあれば、遠い世界もあるが、結局は筆者の書いた文字を追う疑似体験でしか無い。疲れたら絵や写真の多い雑誌を読めば良いし、悩んだら新書を、そして時間があって暫く異世界に身を置ける時は小説と、シーンに応じた読み方、力の掛け方があるばずだ。
その様なライト層にハマるかどうかは読んでみないとわからない。ただ一つ間違いなさそうなのは、これまでに読んできた本を、本書を読んだ後にもう一度読む事で前回とは違った読み方ができる様になれそうである。何にも考えずに流し読みをしていた可哀想な本たち(勿論その作者も)をこれまでに無かった視点で読み直す事で、本当の価値に触れられるような気がしてならない。本書を読んだ後、寧ろ本書の狙いはそこにあるのではと勝手に思う自分がいる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
福田さんは、人前で好きな本を読むとき、恥ずかしくない本を読めといっています。分かります。しかし、どうしても読みたい場合は、ブックカバーをつけましょう。今の時代、漫画にブックカバーをつける人がいるのですから!
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現代作家を中心に、著者が吟味して批判する。本書の終わりにあるように、本を選んで読む、という一連の流れは、自分がありたい姿、また、人からどのように見られたいのか、ということに関わる。つまり、自己の形成、規矩を確立する、それくらい強固なものにするために、何が大事なのかを、考え抜いていかねばならない。
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ファッションとしての読書術。読書=内面性と捉えれば、読書に身体性を近づけて考えることもあまり不思議ではないかもしれない。
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書評というより、作家ごとに特徴を滔々と語った本
目次
<blockquote>序章 社交的な読書とは何か
第1章 社交的に高級な作家
第2章 女性作家の読み方
第3章 男性作家の読み方
第4章 価値とよそおい
第5章 カルチャーの周辺
結語 自分を作る読書を
</blockquote>
うーん、本自体を挙げてここがいい、あそこがわるいって書いてなくて、特徴的な作家をあげて、この人の本を詠む人はこんな感じ、あんな感じって言ってるんだよね。要は。
著者の文章の書き方がそうであるように、物語性を帯びる文章はその文そのものに味わいがないといけないとか、そいう考え方が見え隠れするような気がしている。ある意味で、この本も女性的な感じだ。
だから、なんかはっきりしないんだけど、結果だけ見るといいとか悪いとか言ってるみたいなかんじで、つかみどころが無い。その意を汲み取るには、文脈にそっていって、それで初めてわかるんだろうな。そこをここで語るのは個人的な嗜好がモノを言うので、特に書かずに置いておく。
<blockquote>どんな本を読むのか、どんな本を自らの愛読書として人に示すのかということは、自分がどんな人間になりたいのか、どんな人間だと、人から見られたいのかという問いに直結しています。</blockquote>
俺的には、自分の読書記録がこうである以上、本を読むのにこうでなければならないみたいな型を言う人って好きじゃない。本を読むこと自体は、誰がどんな本を読もうが勝手だと思うのね。しかし一方で、誰某の本が好きだ、愛読しているみたいなのは、個人的嗜好を人に話すわけで、ちょっと方向がちがう。それは確かに、自分の主張なり、志向なりが見える訳で、それは確かに考えたほうがいいんじゃないかなぁとは思った。
ただ、今の人に愛読書なんて古風なことをやってる人はいるんだろうか?まぁ、座右の書というか、じぶんにとって大事な本みたいなものはあるにしても、とある本を飽きることなく何度も読むって事をする人は、そうそういないような気がする。本だけでなく、時間を使うことのできるメディアは多いから、それとの兼ね合いで読んでみた、もしくは他と比べて本が少し多いだけみたいな人のほうが優勢なんじゃないかなぁ……。
そうすると、何を読んでるか、何を愛読してるかで人を語るのは、少し偏狭ではないかという感じもする。 -
105円購入2011-11-03
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ずっと考えていたことが言葉になった感じがした
本が持つ品格
今後意識していこうと思う