老いるということ (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
2.93
  • (1)
  • (0)
  • (11)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 51
感想 : 11
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498655

作品紹介・あらすじ

老いとは生き続けること それは若い人の宿題でもある

これまでにない長い老後を生きる時代が到来した現代、人は老いとどのように向き合えばいいのか。さりげない表現の中に現代日本人の老いを描く幸田文。老いの悲惨な側面から目を逸らさず生きた耕治人。島崎藤村が綴る老後の豊富さと老いることの難しさ。伊藤整が光を当てた老いの欲望と快楽。伊藤信吉が記す90代の老年詩集……。文学作品・映画・演劇に描かれたさまざまな老いの形をとおして、現代に生きる者にとっての<老い>の意味と可能性を追究する。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 黒井千次(1932年~)氏は、東大経済学部卒、富士重工業に入社し、会社員生活のかたわら執筆活動を行い、1968年に芥川賞候補、1970年に芸術選奨新人賞受賞。その後、富士重工業を辞めて作家活動に専念するようになり、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞等を受賞。日本文芸家協会理事長、日本芸術院長も務めた。文化功労者。旭日中綬章。
    本書は、NHKラジオ第二放送で2006年4~6月に放送された「老いるということ」の13回分をベースに、一冊の本にまとめたものである。著者は現在90歳であるが、本書の後も、中公新書、河出書房新社から、『老いのかたち』、『老いのつぶやき』、『老いの味わい』、『老いへの歩み』、『老いのゆくえ』等を数年おきに発表している。
    私はアラ還になり、近年、五木寛之、斎藤孝、佐藤優、出口治明等による、人生後半の指南書的な本を読むようになったが、上記の通り、著者は「老い」について多数の本を書いており、一冊読んでみようと思って本書を手に取った。(一冊目の本書を選んだのは、続篇は前に書かれたものの焼き直しが多く、結局一冊目が最も優れていた、ということがしばしばあるためである)
    内容は、キケロー『老年について』、E・M・フォースター『老年について』、深沢七郎『楢山節考』、映画/戯曲『ドライビング・ミス・デイジー』、マルコム・カウリー『八十路から眺めれば』、幸田文の随筆、映画『八月の鯨』、耕治人の小説、芥川龍之介『老年』と太宰治『晩年』、島崎藤村の短文、伊藤整『変容』、萩原朔太郎のエッセイと伊藤信吉の老年詩集、を材料に、老いるとはどういうことか、その中にいかなる意味が隠されているか、を探ったものである。そういう意味では、ノウハウが中心の一般の指南書的な本とは一線を画する。
    印象に残った記述をいくつか挙げると以下である。
    ◆老いるとは生き続けることであり、現在進行形の時間である。老いはその人にとって精神の最後の運動場であり、日の傾いたグラウンドに何もせずにぽつんと立っているのではなく、その精神のフィールドを可能な限り駆け廻らなくてはならない。
    ◆老年期だけを取り上げて老いを考えることはできない。老いとは過去と切断された時間ではなく、そこまで生きてきた結果として出現するのであり、突然訪れるものではない。よって、老年に達してから慌てて老年のことを考えようとしても間に合わない。
    ◆老いは過去と深く繋がっているが故に、老いの一般論は容易に成り立たない。一般論などないと断念するところから、自分自身の固有の老いへの模索が始まる。
    ◆現代は、かつては存在した、老年とはこのようなものであり、このように年をとっていけばいいのだという規範のようなものがなくなってしまった。しかし、老いの理想としては、元気な老人や生涯青春ではなく、「まことの老年」や「きれいな年寄り」が目指されるべき。
    ◆老人が持つ力は、長く生きて来た経験を糧とする質の力。人の経験は単なる時間そのものではなく、その中で自分が何をどのようにしたかによって篩にかけられ、蓄積されていくもの。その意味で、老いの力は量よりも質に依拠する。
    ◆季節は常に先へ先へと変わって行き、新しいものへと姿を変える。季節は老いを見せることがない。季節と共に生きていれば自分も自然に前向きになり、過去に沈没せずに生きていられる。(幸田文)
    老年期をどう生きるかというハウツー本とは異なる、「老い」のそもそもの意味を考えさせてくれるエッセイ集である。
    (2022年10月了)

  • 人生とは生きられた時間のなかであって、その中には様々な思いが込められ、意味が含まれている。幼い頃を振り返り行く手に待つ死を見つめるとき、流れ行く歳月は暦や時計の上を追加する単なる時間ではなく、人が生きることの輪郭を描き出します。言いかえれば、人生とは切り取った時間に意味を与えることにほかならず、年を取ったと言う自覚はそこに向けて第一歩であるに違いない。したがって、自分は年を取ったとの認識に行き続けると
    しったら、それは自らの人生を単なる時間の流れへと解消してしまうことになるでしょう。
    老人の持つ力は、長く生きてきた経験を糧とする質の力であるように思う。
    人の経験は単なる時間そのものではなく、その中で自分が何をどのようにしたかによって篩に掛けられ、選択された後に蓄積行くものと思われます。その意味で老いの力は量よりも質に依拠するように思われるのです。
    65歳の区切り、定年後5年が経ち、通勤の必要がなくなった日々に慣れ、その先の自分の道程を眺めやる気分に見舞われた頃、ようやく老いを迎える準備が整った時と言える。
    人は自分の意思に関係なく生まれてくるのだし、また自ら選んだケースで無い限り自分の意志に関係なく死んでいくことを考えると、人生の出発と終焉という二大事業が本人の意思とは無関係に遂行される事実にあらためて気づく、そして老いの歳月における日常どれほど自由を奪われ、願望を狭められたとしても、他の時期と同様、現在進行形の日々を辿り続けることは生命の義務の如きもの。

  •  老いることの意味、肉体的に、精神的にあると思いますが、86歳で没した幸田文さんが70歳の時のエッセイに次のようなくだりがあります。「自らの限界を認め、今迄より一歩も二歩もさがったところでものを考えようとしなければならない」と。彼女は「きりりと絞りあげた意志」と表現してますが、心に響いた一節でした。黒井千次 著「老いるということ」、2006.11発行。
      寿命が延びるとは、老後が長期化すること。平均寿命が70歳を超えたのは、男性1971年、女性1960年。自分は年を取ったと自覚して、初めて老いの視野も展望も開けてくる。 黒井千次「老いるということ」、2006.11発行。私は65歳では、体に老いも違和感も感じませんでした。70歳も同じでした。今年74歳になる手前から、ぎっくり腰を契機に腰や背中の痛み、腹部の違和感など、これが老いなのかと感じました。体の様子を見ながら、運動・体操や養生に励みたいと思います。

  • 人は誰でも老いはやってくる。老いはマイナスだけではなくプラスもあるはずだ。老いを認めることから老いの人生は始まるのだろう。

  • 残らず

  • 老いを良く生きるための不可欠の要素は「諸所の徳を身につけ実践する」ことなのだ 青春とはせいぜい20年ほども生きれば出会えるものですが、老年はその三倍も四倍も生きた後でないと手にはいりません 「隠居」という言葉が死語と化した 若い頃は、足し算で捉えていた年齢が、死から逆算した引き算として迫ってくる 他人のことはともかく、自分の老いはそれほど見えにくいものなのです

  • (欲しい!)/新書

  • 今はまだ若いので、老けていく自分なんて想像したことも無かったし感じる事もそうそう無い。なんだか怖いことかな、と考えていたけど安心して読めてじっくり考えることのできる本でした。

  • いろいろな著作から老いるということが一体どのようなことなのか書かれた本。

全11件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

作家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

黒井千次の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
J・モーティマー...
遠藤 周作
ヴィクトール・E...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×