- Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061593084
作品紹介・あらすじ
英国生まれの世界的プラントハンターが、植物採集のため幕末の長崎、江戸、北京などを歴訪。団子坂や染井村の植木市など各地で珍しい園芸植物を手に入れるだけでなく、茶店や農家の庭先、宿泊先の寺院で庶民の暮らしぶりを自ら体験。日本の文化や社会を暖かな目で観察する一方、桜田門外の変、英国公使館襲撃事件や生麦事件など生々しい見聞をも記述。幕末日本の実情をつぶさに伝える貴重な探訪記。
感想・レビュー・書評
-
イギリス人のプラントハンターが幕末日本(と、中国もちょっと)へ来て、シーボルトに会ったりまだ見ぬ植物を探索したり、自然に大感動したり人と触れ合ったり。
中でも斑入りの植物に対する感動度はかなりのものだったもよう。
この時代のイギリスにあった斑入りの植物は、それも綱吉の時代に日本に来ていたケンペルというドイツ人医師が持ち帰って広まった斑入りのアオキだけだったそうで。
それが斑入りの蘭もあるしシュロもあるし茶の木にまであるよ!と大興奮したのがハイライト。
しかもそのアオキ、何故か雌木しか導入されず実が成らなかったのが、この時にフォーチュンさんが雄木を持ち帰ったのでその後赤い実がイギリスでも見られるようになったそうな。
あれもこれもと植物を選ぶのは楽しかっただろうなぁ。
この当時、中国にはなかったサボテンが既に導入されていたのにも驚いてましたね。
生麦事件に合ったのは知人だったようで、心中穏やかではなかったろうに、それでもかなり冷静な語り口。
おおらかな翻訳で、概ね日本暮らしを楽しんだ様子が伝わってきたのも良かったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
未知の植物を求めるイギリス人の「プラントハンター」が、部分的に開港が始まったばかりの幕末(1860年10月~1861年7月、途中で一時上海に行って戻る)の日本と中国(~1861年9月)を訪れ、当時ヨーロッパにない園芸植物や昆虫・貝類を探します。
本書の前半 3/4 が江戸近郊、後半の 1/4 が天津、北京近郊での植物探訪の内容。
日本や中国の植物の記述は当然多いが、富士山を含めて日本の各地の風景の美しさにも言及しています。
探す植物は花や果物だけでなく、むしろ葉の美しい常緑樹や斑入りの観葉植物に注目しています。これは、あとがきによれば当時のヨーロッパでの流行のようです。
実のところ、植物よりは幕末日本のようすに興味があって購入したので、日本社会の様子についての記述はそれほど多くない(滞在も短い)ことが、個人的にはやや期待はずれかな。
本人はプラントハンターなので、日本の崩壊してゆく幕府にも、西洋諸国の日本への介入にも淡々とした態度で、ただ西洋人の身の安全や貿易相手としての日本を気にかけるスタンスです。
当時、外国人は自由に移動ができず、どこに行くにも常に帯刀の役人がついて回る状況。それは、外国人の行動を監視するためではなく、不穏な攘夷論者の襲撃から外国人を守るのが目的だったようです。
実際、著者本人が直接被害を受けはしなかったものの、日本滞在中にも英国公使館襲撃事件と生麦事件が発生します。単純に「大名行列に道を譲らなかったため」と習ったと記憶しますが、背景として攘夷論があり、実は薩摩藩の密命を受けた臣下が、口実を作った上で計画的に襲撃したらしいと書かれています。そして、著者は幕府には襲撃を阻止するだけの力が無くなっており、革命が始まっていることを感じ取ります。ここで著者は、革命による武力衝突や内戦などではなく、西洋諸国が日本との自由で安全な貿易が開かれるかどうかを、淡々と気にかけています。あくまでも短期訪問の商人なんですね。
そんな状況なので、ヨーロッパ各国の駐在員同士の付き合いや情報網がとても緊密なのが、とても印象的です。
また、当時は馬がわらじを付けていたことにはちょっと驚きました。さらに西洋人の馬が蹄鉄を付けていることを知った井伊大老が、その馬を借りて真似をしたという伝聞の話も面白い。
一般日本人が西洋人をめずらしがる様子も結構興味深いのですが、まあ想像どおり。
一方桜田門外の変の伝聞の記述には驚きます。当時外国人の間に流れた話では、井伊直弼の首級がダミーの別人の首にすり替えられて持ち去られたことになっています。顛末の記述が意外に詳細なので、どこまで本当?と思わせられます。
翻訳は、アルファベット表記のブレが大きい(まだ表記法が定まらず、音写に頼っている)原著の日本の地名や人名や、原著の当時の学名から対応する植物の和名を非常に丁寧に調べ上げて翻訳された労作であることがあとがき(文庫本)に記されていて、あらためて気付かされて感心しました。
また、最初の出版は1969年とそれほど古くないわりに、(当時の日本語とは関係なく)翻訳された和語として今は使わないような単語が結構出てきて、しばしば辞書をひくことになりました。特に中国を徹頭徹尾「シナ」(死語?)と訳されている(一部北支、南支も)のに違和感を感じます。
また、多少長い文章の訳では、まれに文節どうしがうまくつながらないところがありました。あとがきで気づいたのですが、翻訳者は薬学博士ではあっても植物分類学や翻訳者ではないのでした。
もう一つ、単位系にヤード、マイル、フィート、°Fが頻出するので、できれば現代的なメートル法、℃を併記してあれば、読書がより楽しくなったと思います。
-
アーネストサトウの「一外交官が見た日本」並に面白い。
植物ハンターが幕末の日本に来て採取し英国に持ち帰っていたなんてすごい。
大英帝国が強かった時代を象徴。
勉強になりました。 -
プラントハンター ロバート・フォーチュンの日本滞在記。中国の時のチャノキをもちださなければ、という焦燥感はなく淡々とした趣味人の海外滞在記といった趣。江戸末期の日本の風俗をアジア経験の豊富なイギリス人の目から客観的に書いているところも興味深い。植物が筆者の興味の対象であることから植木屋が一番観察されているが、当時からの日本人の生真面目さや新しいもの好きであることが描かれる。
またイギリス人領事館襲撃事件や生麦事件など、当時の日本人にすむ外国人の異文化に対する恐怖感も今の我々の視点から見ると新鮮に感じる。
総じてセンセーショナルを求めない落ち着いた語り口がよい。 -
江戸時代の様子が垣間見える一冊。
-
1960年(万延元年)の日本が
活写されている
植物学者の冷静なまなざしが
その当時の日本の風俗を
ちと大袈裟ですが
森羅万象にかけて
記していく
専門の植物はむろんのこと
目についたもの
耳にしたものが
次から次へと
綴られていくのが
なんとも趣深い
当時の日本人なら
当たり前すぎて記さないであろうことも
異国の人であるがゆえに
微に入り際に渡って
綴られている
なによりも
植物学者として滞在しているので
政治とは離れたところに位置し
それも、当時の庶民の人々と
同じ土の上に位置して
庶民の目線
庶民の心持から
見聞することができたことが
この探訪記の大きな特色になっている -
1860年頃、イギリスのプラント・ハンターであるロバート・フォーチュンが珍種の植物を探して日本にやってきた。当時幕府は開国を迫る列強の圧力に抗しきれず、次々と条約を締結した。諸外国は商機を求めて日本に公使を派遣先するなどしていた。
そんな中でフォーチュンは純粋に珍しい植物を英国へもたらすため、日本で収集に励んだ。その活動の中で彼が見たままの日本の姿を母国に紹介するために書いたものだ。植物に限らず、日本の風俗や政治情勢など、気がついたものは何でも記録しているようだ。中でも井伊大老が暗殺された桜田門外の変や、大名行列を遮ったとして英国人が斬りつけられた生麦事件などは、やはり衝撃が大きかったのか、本国の新聞記事を引いて詳細に記載している。
また、これはフォーチュンの人柄なのか、よくありがちな白人特有の上から目線や差別的見方がない。逆に欧州より優れた技術や考え方を素直に認め紹介している。よほど日本を気に入っていたのだろう。
この頃の我が国の暮らしぶりを外国の文献から知ることができるというのも皮肉に感じもするが、こんな記録を残してくれたことはありがたい。 -
プランツウォークで紹介されていた
ソメイヨシノ発祥の地を訪れた著者が日本の園芸を、ほめているという。