森の文化史 (講談社学術文庫 1662)

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  • Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061596627

作品紹介・あらすじ

太古、豊かな照葉樹林に囲まれていた日本列島。しかし二千年前の登呂遺跡から出土した木製品はスギ材にかわり、現在の白砂青松はさらなる森の荒廃を証明している。日本の環境破壊は弥生時代に起こっていた-。「森の文化」と呼ばれるわが国で、人びとは森林とどのように接してきたのか。そしてその先に見えてくる、文明と自然の共生関係とは何か。

感想・レビュー・書評

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  • 新書文庫

  • とても読みやすかった。

    文化史
    ・クレタ島はBC1600年頃まで自給自足だったが、都市の肥大化と地力の略奪のため、植民地からの食料に依存するようになった。食糧の確保のためには強力な海軍が必要であり、海軍が敗れたとき、他の文明に吸収されていった。
    ・メソポタミアでは、灌漑と排水のための水路を維持するために浚渫を続けたが、それを負担に感じたときが文明の破綻を招いた。13世紀に侵入した蒙古民族は水路を破壊した。
    ・大阪泉北丘陵は、朝鮮から渡来した技術で須恵器が焼かれた。燃料はカシなどの照葉樹だったが、6世紀後半からアカマツが増え、7世紀後半にはほとんどがアカマツになった。
    ・677年の畿内山野伐採禁止令は農地保全を目的としたものだったが、821年には灌漑用水の確保と洪水防止のための本格的な森林の伐採禁止令が出された。
    ・田上山は藤原京、平城京を造るために伐採された。徳川綱吉の時に砂防植栽が行われ、明治初期に本格的な復旧工事が行われたが、今もはげ山のまま。
    ・東大寺大仏殿は世界最大の木造建築物。1180年、源平争乱によって焼失すると、再建のための木材を周防国に求めた。1567年に再度焼失し、1709年に復興した際、梁には霧島山のアカマツが使われたが、柱は各種の材を何本も鉄の輪で締め付けて長く太くする方法が用いられた。
    ・砂浜の砂の源は山。砂浜の上流の山は荒れている。
    ・江戸時代、山鹿素行が順繰りに計画的に伐採する方法(輪伐方式)を提唱し、熊沢蕃山は治山治水の努力を重ねた。
    ・昭和40年代以降の社寺の改修のために、台湾中央部からヒノキ材が供給された。

    気候を表現する
    ・富士山の高山帯では、ハイマツの代わりにカラマツが低木状になって生育している。
    ・タブの林は海岸沿いや川沿いに、シイの林は丘陵地や斜面に、カシは寒くて高いところに多い。岩場などの乾燥しやすいところにはウバメガシ林がある。ウバメガシは備長炭に用いられる。
    ・ブナは湿潤な土地に、ミズナラは比較的乾燥したところに成立しやすい。
    ・中部山岳の亜高山帯では、日本海側では雪圧に強いオオシラビソ林が、太平洋側ではシラビソ林が優勢。

    移りゆく自然
    ・湿原の遷移:浮葉植物→抽水植物→草本群落→低木林→高木林
    ・カラマツは中部日本にだけ自生する。東北地方や北海道のカラマツは、江戸末期から明治以降に造林されたもの。

    森のエコシステム
    ・光合成のエネルギー効率は、総生産では、森林2〜3%、多年生草原1.3〜1.6%、一年生草や作物1.5%以下で、純生産では1%前後。

    環境学
    ・土壌浸食の量は、森林に対して農耕地は8倍、裸地は50倍、荒廃地は170倍。
    ・森林が吸収したエネルギーの60〜70%は蒸散作用に用いられる。

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著者プロフィール

前名大

「1996年 『森林環境科学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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