- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061598201
感想・レビュー・書評
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正直、薄いので期待していなかったが、いきなりやられた。
直前に読んでいた大林太良著「日本神話の起源」で、
日本の文化がいろいろな文化の影響を受けた「るつぼ」(236頁)と紹介されていた。
しかし、私の個人的感覚では「吹き溜まり」なんだよなぁと思っていたところ、
まさに最初の部分でその言葉があった。
そうそう、「るつぼ」という言葉の持つ混沌や熱気よりは、
地理的条件で受動的に寄せられてきましたという「吹き溜まり」の方が、日本文化の形容にはぴったりくる。
内容がうまくまとめられて、かなりわかりやすかった。
他の本で読んだ「日本の神話には、世界各地の神話が含まれている」という説明が、決して大げさでなかったことがよくわかる。
現代社会で先進国といわれる日本で、
鹿の模型を射て、その中に納めた食物を食べるという祭りが、
伝承されており、
ハイヌウェレ型神話(かなり残酷な形で具現化されることこともある)、そのまんま、という不思議さには、本当に感心した。
日本は、渡ってきた文化をどういった基準で選択してきたのか、
同一感を何によって保っているのか、
まだまだ謎はつきない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
神話学者 吉田敦彦氏の1976年の著書を底本とした
文庫版。
30年前の著書であるが、そこからとりわけ否定や異論を
重ねていないところからすれば、
おおよそその時点で吉田氏の見方ははっきりしたものが
あったということであろう。
大林太良氏とほぼ考え方を同じにしており、
日本神話のルーツの研究状況においてはこうした研究者の
知見を学ぶことができれば、教養としては十二分に
得られるように思う。
本書はオセアニア、東南アジア、中央アジアからギリシアに至るまでの
広い世界の神話との比較研究から、日本神話のルーツを
わかりやすく提示してくれる。
大変読みやすい。
興味深いのは、ニューギニアのマリンド・アニム族のマヨ祭儀という
成人儀式の話である。
現代的・西欧的感覚からすると非常に「残酷」な儀式であるが、
それはあくまでそちらの価値観ではそう思われるということだ、
ということを著者は指摘する。
彼らが残酷な民族なのではない。その儀式には、彼らの神話体系の
中で、食べるものを得る、その食べ物が彼らにもたらされるようになった
ルーツの神話はまさに真実なのであり、それに基づいた伝統のやり方
なのである。
本書第六章では「日本神界の三機能的構造」ということで、
三種の神器に対応する三種機能の分担があると指摘する。
1が祭司=主権者、2が戦士、3が食糧生産者=庶民、
ということである。
p.202の短い記述を抜粋すると
「日本神話の神界が、人間社会の理想的構成について神話が抱いていた
観念を反映し、三種類の社会的機能を分担する神々によって構成
されるとみなされていた」
ということで、非常に納得した。
そして、この三機能分類は中央アジアの古代のスキュタイ王家の神話に
原点があるのだという。
日本では、この三分類はそれぞれ
「アマテラス、スサノオ、オオクニヌシ」に当てはまる。
神器であれば、鏡、剣、珠、となる。
となると、いわゆる「国譲り」の神話がなぜそうなるのかの説明が
なんとなくできるような気がした。
生産者の庶民を主権・祭司である天皇家が統治することを正当化する、
まさにそういう話なのだ、と。
庶民と祭司は「発生のルーツ」が違うのだから、ゆえにその血統も神格化
される、という話かと思う。