- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061598928
作品紹介・あらすじ
俗世を捨て数珠を携えておくのほそ道を旅する晩年の姿。対照的に青壮年時代には算勘の心得を武器に処世に長け、伊達を好んだらしい芭蕉。伊賀上野の生まれ、二九歳で江戸に出、四一歳以降は旅に過ごす。このわずかな伝記的事実の間に残された空白の時代、芭蕉は何を生業とし、どんな交友関係を結んでいたのか。前半生の謎に切り込む画期的な論考。
感想・レビュー・書評
-
講談社選書メチエ
田中善信 「芭蕉=二つの顔」 松尾芭蕉
芭蕉41才(野ざらし紀行)までの人生を紐解いた本。俳聖芭蕉とは全く異なる人間像に驚く。
芭蕉37才(深川移住)までは、俳諧という遊び事で一旗あげた成功者。才気と社交性に富み、煩わしい結婚を避けて 妾の寿貞と気楽に暮らし、病気や貧困とは程遠い生活
桃印(芭蕉の甥)と寿貞(芭蕉の妾)の密通による死罪から逃れるために深川に移住し、それら苦悩を和らげるために学んだ禅や荘子が、芭蕉の作風を確立させたという仮説
芭蕉50才の時に書いた「閉関の説」が、色欲で身を誤りやすい人間を擁護している点について、芭蕉の年甲斐のない色恋に対する自己弁明でなく、桃印の擁護という自然な解釈が成り立つ
桃印(芭蕉の甥であり弟子)と寿貞(芭蕉の妾)は密通により結ばれた説から芭蕉や桃印に関する様々な謎を解明
なぜ深川へ移住したか
*密通は 当時 死罪であり、それを防ぐため、日本橋から深川へ移住
*深川は江戸府外の新興住宅地であり、身を隠すには格好の場所
*深川は 俳諧師が暮らしを立てられる場所ではない
深川移住後、芭蕉は苦悩から逃れるために 禅や荘子を学んだ
*仏頂和尚に禅を学び、詩禅一致〜物事を直覚的に捉える作風へ
*定住の場を持たない一所不在の生活は仏頂和尚の教えを継承
*過酷な現実を荘子的な天命観により直視
*造化(自然の道理)にしたがい、自己の恣意を捨てる
深川に移住し、世俗的な名利と無縁に生きることによって、高い人徳を備え 結果的には高い名声を受けた
芭蕉50才の時に書いた「閉関の説」の意味
*閉関の説=色欲で身を誤りやすい若者を擁護し、自責の念を示した
*閉関の説は、桃印の死の直後に書かれた→追悼の意
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
松尾芭蕉が俳人として有名になる前の空白の40年間に焦点を当てて解き明かしていくという内容だと思って手にしたが、作者の持論展開って感じだった。どちらかというと俗人松尾芭蕉メインだったので、読み終わった後やっぱり自分は俳聖松尾芭蕉が好きなんだなと実感した。